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店に中沢さんがやって来たのは、それから三日後だった。
ひどく思いつめた顔をしていた。
「ちょっとっ、お兄さん」
中沢さんは、自動扉をくぐると同時に大きな声を出した。
「あんまりだわっ。私を病気だって、娘に言ったでしょ」
ひどく思いつめた顔をしていた。
大学生が冬休みになるこの時期は平日でもお客さんがいて、店内の人間全員が中沢さんをギョッとした目で見つめた。
「しかも、ボケてるなんて。失礼にもほどがあるわ」
中沢さんは、商品の前で接客中の僕の方に向かってまっすぐに進んでくる。
何がなんだかわからずうろたえる僕の前に来て、わっと泣き出した。
「中沢さん? ちょ、ちょっと……」
今接客中のお客さんに頭をさげて、中沢さんをカウンター席へ連れて行こうとしたら、騒ぎをききつけた所長が事務所から出てきて、事務所に来るように手招きをした。
事務所のソファ腰かけた中沢さんは、それでも硬い表情のまま、僕に訴え続ける。
「娘がね、『携帯屋さんが、ボケたと言っている』と言うの。携帯屋さんってあなたでしょう。こないだ家に来たのは、私がボケてるか探るためだったのね」
「違いますよ」と僕が言うよりも早く、富永所長が口を開いた。
「娘さんが、そんなことを」
「そうよ。アメリカから電話かけてきてね」
「へえ、アメリカからですか」
所長はゆっくりと相槌をうつ。
「娘はね、孫の留学に付き合ってアメリカに行ったままなの。だから、私のことなんか知ってるわけないのよ。なのに、食べきれないほどの食べ物を買いこんでるだろうとか、あちこちで携帯を契約してるだろうとか言って」
話が見えなくて中沢さんの言葉からあれこれ想像している僕の横で、所長は鷹揚にうなずいている。
「義彦さんもたまにしか顔見せないし、私の暮らしのことを知ってるわけないのよ。だったら、こないだ家に来たあなたたちしか思い当たらないじゃない。あなたには、娘や孫の電話番号を登録してもらってるし、あなたしかいないでしょ」
断言されて慌てる。
「私、大丈夫だって義彦さんに言ってくれない?」
「……義彦さん、ですか」
乾いた口から、やっと言葉を発する。
「娘のダンナよ。普段は優しんだけどね。こないだから我が家にきては、私のことを叱るのよ。なんだか怖くって」
中沢さんがぶるぶると首をふる。
「今日も、義彦さんが迎えに来るの。娘に言われたんでしょうね。私を病院に連れて行くつもりよ。だからね……」
中沢さんが、僕の手を握る。握りながら僕の名札を確認する。
「浅木、そう浅木さんから言って。病院なんかいかなくていいって。検査なんかしなくていいって。あの家で私一人で暮らせますって」
その時、事務所の扉が開いて「おまたせ~」と肉屋のおかみさんが顔を出した。
「ご注文ありがとうございます。揚げたてのコロッケ、お届けしましたよ~。温かいうちに食べてくださいね」
「ああ、すみませんね」
所長が立ち上がり、
「中沢さん、コロッケいかがですか。私はちょっと所用で席をはずしますが、浅木と一緒にゆっくり食べてってください」
と肉屋のおかみさんと一緒に外に出た。
ええっ。僕どうしたらいい?
すがるような目で所長を見たら、ヘタなウィンクを返された。
所長はそのまま部屋を出て、アツアツのコロッケと飲みかけのお茶と中沢さんと僕だけが、ポツンと事務所に残された。
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