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「あら、これ、あそこのお肉屋さんのコロッケ? 私好きなのよ」
中沢さんが嬉しそうに手をのばした。
1つずつ手持ちができるように紙でくるんである。
「僕も大好きなんです。一人暮らしだとなかなか揚げ物ってしないんで」
「あら、一人暮らしなの」
「そうですよ」
「じゃあ、私と一緒ね」
中沢さんが一口食べるのを見て、僕もコロッケに手をのばした。
サクサクのぶあつめの衣が、大胆に油の味を口の中に広げていく。
甘めに味付けされたジャガイモの舌触りが気持ちいい。
「アツっ」
ハフハフと口を動かす僕を見て、中沢さんが笑う。
「孫が帰ってきたら食べさせてやろうと思って、ついついたくさん買っちゃうのよねえ」
「食べ盛りですもんね」
「そうなの。でも、帰ってきたら『あれっ』って思うの。孫はアメリカで、私は一人だって」
中沢さんはうつむいた。うつむいたままコロッケを食べ続ける。
「私、やっぱりボケちゃったのかしら。これから、もっともっといろんなことを忘れちゃうのかしら。だったら、こんなに悲しいことはないわ」
僕は噛むのをやめて、じっと中沢さんを見た。
多分、このコロッケは、池田さんか所長が中沢さんが落ち着くように、または、事務所にとどめておくように注文したんだ。
僕の役割は、ここで中沢の話をきくこと。
今、きっと所長は小泉さんに連絡をとっている。
あの日、小泉さんの事務所に行った所長は「小泉さんも、これからが大変だな」と言っていた。
「認知症ってさ、家族が認めるのも抵抗があるし、ましてや本人が認めるのはもっと抵抗があるし、やっかいな病気だよな」と大きくなったお腹をさすっていた。
「忘れるって、悲しいですよね」
僕がつぶやくと、中沢さんが顔をあげた。
「すごしてきた日々が、なかったことになっちゃうのは、辛いですよね」
「そうなのよ。それに怖いの。注文した覚えのない物が届いたり、買った覚えのないものが机の上にあったりするの」
玄関ホールにあったたくさんの段ボールを思い出す。
「最初は、だれかがうちに嫌がらせをしてるのかと思ったの。ほら、うちは財産がたくさんあるでしょう。だから。でもね。ある時届いた申し込み用紙に、私の字で私の名前が書いてあったのよ。私、どうしちゃったんだろうって、怖かった」
中沢さんがもう一度うつむいた。
「義彦さんにも叱られて……」
「じゃあ、僕からお願いしますよ。中沢さんを叱らないでくださいって」
「あら、私、子どもみたいね」
中沢さんは小さく笑って、お茶をすすった。
しばらくして、小泉さんが迎えにきた。
小泉さんは僕にだまって頭を下げた。僕もあわてて頭をさげた。
事務所で話したことを伝え、最後に、「中沢さんを叱らないであげてください」と言うと、「私も、私なりに勉強しました。もう義母に悲しい思いをさせないように、努力はおしまないつもりですよ」とほほ笑んだ。
中沢さんはおとなしく帰っていった
その日の夕方には、地元のテレビ局の取材が来た。
ケンさんがマイクを向けられてカチンコチンになったオンエアを見て、みんなで大笑いをした。
ニュースの後ブログのフォロワーが大幅に増えた。
地元の新聞社も複数取材にきた。
辻川商店街だけに、中村さんがダンスチームに「ツジカワーズ」という何の変哲も工夫もない名前をつけ、あっという間におそろいのTシャツを作ってしまった。
悪のりしたメンバーの一人がポスターまで作って、なんだかイベントの目玉みたいな扱いになっていくのがおかしかった。
商店街全体の売り上げもあがっており、配布している福引券がなくなって慌てて印刷したり、ステージ発表させてほしいというフラダンスの団体からの連絡がきたり、と思っていた以上に反響があった。
僕と森下さんたちが最初に練習していた曲は、柳さんを加えた四人で踊ることになった。
学生時代に体操選手だったという柳さんは、バック転もバック宙もなんでもござれで(なんと日本代表に選ばれたこともあるすごい選手だった)、僕たちのダンスをよりダイナミックなものにひきあげてくれた。
テレビの取材も、新聞の取材も素直にワクワクした。
「LAN」の浅木慎也だとばれたらどうしようなんてことは、不思議なほど考えなかった。
ヒデに電話しよう。
直斗が、どういうつもりでプロフィールを公開していないのかわからない。
でも、もし、ヒデが言うように僕たちのためならば、「もういいよ」と伝えたい。
本当に世の中に出て行こうと思うならば、声だけじゃなく、顔を出してギターを弾いて歌う姿を見せる方がいいにきまってる。
今、大きなチャンスが来ているなら、直斗につかみとってほしいと素直に思えた。
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