最終章

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最終章

イベント前日は土曜日で、なかなか店を抜け出すことができず、仮設ステージに顔を出せたのはもう夜の七時を回っていた。 垂れ幕やら立て看板やらがステージをにぎやかに飾る。 長椅子が整然と並び、その周りをお餅つきや福引き、その他いくつかのブースが囲む。 もう明日になるのを待つだけの状態になっていた。 だれもいないと思っていたのに、長椅子に一人座っている人がいることに気づく。 ニット帽を深くかぶって、黒っぽい革ジャンを着ている。 それは、僕がよく知っている後ろ姿だ。 「直斗」 僕が発したのは、とっても小さな声だったのに、直斗が振り返った。 「慎也?」 「なんだよ」 自分でもびっくりするくらいに、嬉しそうな声がでた。 「なんでこんなとこにいるのさ」 「ヒデが連絡くれてさ。ツジカワーズのブログ、見たぜ」 直斗がニヤリと笑った。 ちょっと大人っぽくなったけど、全然かわらない。 キリリと整った眉毛も切れ長の目も。ちょっと皮肉な笑い方も、低くてよく通る声も。 「お前こそなんだよ。大ヒットしてんじゃん。僕、その携帯会社勤めてんだからな。毎日毎日、店で直斗の曲聞いてんだからな」 僕は直斗にかけよった。 「ありがと」 直斗が軽く片手をあげる。 「でっかいチャンスもらったと思ってる」 「僕、何も知らなくて。事務所やめてなかったことも、路上ライブのことも」 「電話もでねえし、家も引っ越してるし、お前行方不明だったから」 直斗が僕の背中をたたく。 「それ、ヒデにも言われた」 そう言って、僕たちは笑いあう。六年ぶりに。あの頃みたいに。 「会わずに帰るつもりだったのに」 笑いながら、直斗がボソリとつぶやいた。 「え?」 「さっき、慎也の携帯ショップ行ったんだ。お前なんか楽しそうに働いてて、なんていうか、邪魔したら悪いなあみたいな感じで、そのまま店出たんだ」 「なんだよそれ」 「なんかさ、『LAN』のメンバーだって暴露されて、慎也がへこんでんじゃないかって勝手に思ってたからさ。そうでもなさそうだったから、もういいやって思って」 僕たちは、どちらからともなく長椅子に腰掛けた。 となりにある辻川会館は電気が灯り、威勢のいい声が聞こえてくる。 「ずっと隠してきたから、正直、うわってなったけど、思ったより平気だった。みんなが興味あるのは僕が『ZAK』とつながってるかどうかで、そうでないとわかったら、なんていうか、もう普通」 あははと笑う僕の息が白い。 「それなら、よかった」 直斗の息も白い。ブースにとめてある旗がひらひらと揺れる。 「……だからさ」 「ん?」 「公表しろよ。プロフィール」 直斗が僕をまっすぐに見る。 「僕やドラッグやっちゃった中坊のことを気にしてんだったら、もういいから。ヒデもそう言ってたし」 「ばーか。オレは、そこまでお人好しじゃねえよ」 そこまで言って、言葉を切った。視線が揺れる。 「オレが怖えんだよ。公表したら、事務所がオレをつぶしにくるんじゃねえかって」 「え?」 「自信過剰だよな。ふたを開けたら、相手はオレのことなんか蟻んこほどにも思ってないかもしれない。お前やヒデが気がついてんだ。事務所だってもう知ってるかもしれない。疑心暗鬼になり始めたらキリがねえ」 直斗はふっと空を見上げた。僕もつられて空を見る。 商店街に空はなく、古いアーケードがひろがるだけだ。 「直斗の歌なら、負けないよ」 「ん?」 「うちの所長がさ、もう四十代後半のおっさんなんだけど、『歌がいいんだ』ってまだオンエア前のCMを見せてくれたんだ。見せた後も『いいだろう、いいだろう』ってうるさくて」 自分が選曲したみたいに誇らしげだった所長を思い出す。 「新曲の話があってさ」 「すげえじゃん」 「今までたくさん曲作ったし、その中からいいのを選んでって思ってたんだけど、働いてる慎也見てたら、新しい曲を作りたくなった」 「僕見て?」 「そうさ」 直斗は設置された仮設ステ―ジにひょいと上った。 「できたてほやほやだぜ~」と言いながら、直斗が歌いだす。 多分サビの部分になるだろう高音部が、ゾクゾクするほど色っぽい。 小さな商店街のだれもいない夜のステージ。 灯なんか何もないのに、そこだけスポットライトがあたったみたいに見えた。 土に埋まった種が芽を出すように、眠っていた虫たちが動き出すように、「その時」は必ずくるから、信じて生きろ。 そんな歌詞だった。 歌が終わっても、僕はしばらくだまったまま直斗を見ていた。 直斗が白い息を吐く。僕も白い息を吐く。 「……すっげえ。かっこいい」 直斗は上ったときと同じように、軽々とステージからおりてきた。 「なんだろ、華があるってこんな感じかも」 「ばーか」  直斗は、照れくさそうに髪をかき上げた。 「タイトルはさ、『春を待て』ってのどう?」 「春を待て……」 あの日都会の児童公園で、「華ってなんだ」とくすぶっていた夜、星は数えるほどしか見えなかった。 今だって、アーケードの下からじゃ、星どころか夜空のかけらも見えない。 でも、あの屋根の上にどこまでも続く宇宙がある。 数えきれないほどの星がそれぞれの光を発している。 見えても、見えなくても、だれかに気づかれても、気づかれなくても、ちゃんとずっとそこにある。 「会えてよかったよ」 直斗が、僕の肩をたたいた。
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