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三 優しい笑顔
「ねえ、どこまで行くの」
この問い、茜が答えた。
「あのね。聖子ちゃん。みんないるか確認してくれないかな?お盆だから同級生が全員いるはずなの」
「みんな?ええと待ってね」
田舎の同級生。人数は知れている。聖子。見知った顔を確認していた。
「いる、と思うよ」
「へえ。いるんだ」
「……どうしたの」
やがて。女子達は崖のそばにやってきた。浜の風が強い。茜は海辺の小屋にみんなを集めた。
「それでは。これから静江ちゃんの会をします」
「静江ちゃん?そういえば」
いない、彼女だけ。それは地味な女。でも頭が良い彼女。聖子が嫌っていた女だった。茜は淡々と続けた。
「私から行くね。私は仕事を紹介しましたが、断られました。これは紹介してから断るつもりだったので失敗でした。ごめんね、静江ちゃん」
「な、何を言っているの」
「次は私。静江ちゃん。私は美容師になったの。例の女が髪を切りにきたんだけど、お仕事だから切ったの。私、そんな事したくなかったんだけどね。向こうはそんな私を知らずに、仕上げに不満そうだったわ。だからもう二度どこないと思うよ」
「そんな」
どれも聖子の悪口。聖子、恐ろしさに腰が抜けてきた。
「私です!私は今日のことを黙って連れてきました。そんなことしかできず、ごめん。静江」
涙を浮かべて手を合わせる同級生達。聖子、じっと茜を見た。
「どういうことよ。私が何をしたっていうのよ」
「あんたは何もしてないつもりでも。相手を傷つけることってあるんだよ」
「だから!私が何をしたのか、教えなさいよ!こんなことしないで」
すると。着付けの中年女が静かに話し出した。
「静江は自殺しました。あなたに意地悪をされて」
「意地悪?私が何をしたっていうの」
「……学生時代も、あなた、娘に小さな嫌がらせをしてたわね」
静江の母。涙を溜めていた。
「私も、お前の気のせいだって。あの子を頑張らせてしまったわ。でも、違う、あの子に非はないのよ。だから、無理させた私がいけないのよ」
泣き出した母親。聖子。なぜそんなことになったのか、全くわからずにいた。
「そんな自殺に追い込むような。私はそこまでのことはしてなはずよ」
「聖子自身はね。でも、あなたがきっかけよ」
学生時代。静江が頭が良いのを妬み、聖子は静江の悪口を言っていた。やがて田舎に残った静江。この悪い噂を信じた人たちに虐められていたと茜は話した。
「男にだらしない。親が借金でお金がない、美人なのは整形手術のせい。これはみんな聖子でしょう」
「……そこまで言ってないけど」
「静江は銀行に就職したのに。お金が合わなくなって。それで静江のせいにされたのよ?結局、上司が横領していたのに」
「そうよ!なのに、その上司と不倫していたんじゃないかって。噂になって、奥さんが包丁を持ってきて」
「そこまで?」
「そうよ。どれもこれも。全部聖子のせいよ!最後は、せっかく結婚が決まったのに。整形の噂があって。相手のご両親に反対されてしまって」
「お盆に自殺したのよ。海辺の小屋で」
「まさか……ここ?」
女達の罵倒。驚く聖子。見ると。床に黒い跡。もしかしてと聖子は怖くなった。そばにいた静江の母にひざまづいた。
「ごめんなさい!私、そんなつもりじゃ」
「謝っても。あの子は帰ってこないのよ」
「すいませんでした!本当に」
土下座するしかない聖子。やがて小屋は静まり返った。暗い部屋、波の音がした。
「死んでよ」
「死んで責任取りなさいよ」
「ほら。あるわよ。静江が使った包丁が」
「や、やめて」
「白装束で。ちょうどいいじゃない」
死ねと迫る女子達。恐怖で腰を抜かし泣いていた聖子。ここに戸がバーンと開いた。
「そこで何をしているんだ!」
「翔太」
「こっちに来い。聖子。俺のそばに」
女をかき分けて翔太は助けてくれた。聖子。こんなに彼がたくましく優しいと思わなかった。
怖がる聖子を抱きしめた翔太。ずっと前から好きだったと言ってくれた。聖子は嬉しかった。元彼の翔太。この日は朝まで一緒に過ごしてくれた。
そして。聖子は実家を出て隣町で暮らすことにした。これは翔太が言い出したこと。一緒に暮らそうと言ってくれた。
心躍らせ先に引っ越しをした聖子。だがどんなに待っても翔太は来ない。連絡も返ってこない。嫌な予感。聖子、勇気を出して彼の家に顔を出した。
「おい。お代わり」
「はい。翔ちゃん。こぼさないようにね」
どこかで聞いたことのある女の声。聖子。そっと夜の庭に忍び込んだ。窓辺には二人の顔が見えた。
「ところで。どうするの、例の女」
「別に。放って置くだけだよ」
「いいの?待っているじゃないの」
「それがいいんだろう。生殺しって奴さ」
話し相手はまさかの茜。聖子、悲鳴をあげそうな声を必死に殺していた。
「そうね。まさか、翔太が今回の黒幕なんて。思いもしないでしょうね」
「……静江が死んだことさえ、気にしない女だ。気がつくわけないよ」
聖子は思い出した。静江が翔太と仲が良かったこと。自分が去った後、二人が交際していたのだと、ようやく気がついた。
そして茜の話しぶり。二人が夫婦であると知った。聖子。胸がズタズタになっていた。
ゲラゲラ笑う茜。聖子、涙よりも怒りが湧いてきた。
……そうよ。気がつかないうちに、恨みや怒りを買うってことがある事。教えてくれたのは、あなた達だものね。
暗闇。誰にも気付かれずここまできた聖子。そっとライターを取り出した。その時は久しぶりに気分が良かった。
◇◇◇
「大変だったらしいわ」
「へえ」
「うちまで煙がきたのよ」
翔太の家。全焼。命は助かったが、家族は大火傷。近所の噂話。聖子の母は娘に語っていた。そこに警察がやっていた。
「聖子さんですね。恐れ入りますが、火事があった時間。どこにいましたか」
「火事の時間を知りませんが、その日は隣町のアパートにいました」
「それを証明してくれる人は」
「一人暮らしなので。いませんよ」
アリバイのある人が稀。それに携帯をわざとアパートに置いてきた聖子。警察はGPSの情報で、聖子はアパートにいたと判断させるため。それに電気もつけっぱなしにしての外出。さらにその日は交通機関を使用せずスクーターで移動していた。
「ところで。そのアパートに今もお住まいですか」
「いいえ。都合が変わったので、今は別です」
「そう、ですか」
歯の奥に物が詰まったような警察の話。聖子。まっすぐ彼らを見た。
「どうしてそんなことを聞くんですか」
「これは皆さんに聞いています」
ここで。母が話に入ってきた。
「あの。これは放火なんですか?噂ですけど」
「まだわかりません」
「お母さん。私の同級生の家よ。そんな噂は不愉快よ」
「そ、そうだね」
刑事。そっと手帳を閉じた。
「そうですよね。ここは狭い町ですから」
「ええ」
「狭いが故に。噂も広まります、すぐに」
じっと聖子を見つめる目。静江を自殺に追い込んだ噂。そして放火の犯人が自分であるという噂。それを疑う刑事の目。しかし、同級生達は自分を責められるはずがない。それを告白するのは今までの嫌がらせを告白するようなもの。結婚し、家庭のある同級生達。聖子を虐めていたことなど口にするはずがない。聖子はそう、思っていた。
「噂、そうですね……怖いですね」
真顔の刑事。頭を下げて帰って行った。聖子。それを見送った。
「じゃ、私も行くね」
「新しいアパートの住所を教えてよ」
「後で知らせる。あ?お母さん」
聖子、母を振り返った。
「もしも。誰かに私の行き先を聞かれたら。男に騙されて借金に追われて逃げているって噂にしてちょうだい」
「どうしてそんな嘘を」
「……噂なんか不幸の方がいいのよ。人の幸せの噂なんか。恨みを買うだけだから」
聖子。手荷物一つでバスに乗った。狭い田舎、窮屈な場所。別れを告げた。そして、二度と帰らなかった。
完
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