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自分の足が動くのを見ていると落ち着く。
自分の足の先に何もないのが見えると落ち着く。
自分の足を見ていれば他に何も見なくていいから落ち着く。
だから僕は今日も下を向いて歩いている。
一定のリズムで左右の爪先が交互にコンクリートを踏みしめる。
右の靴紐が少し緩いが、学校までは保つだろう。もう一年以上歩いた道だ。そのくらいわかる。
緩んだ靴ひもを揺らしながら歩みを進めていると、視界いっぱいの灰色の上に白色の文字が現れた。
十字路前の『止まれ』の文字を踏みつけて進み『ま』の上に足を乗せる。
「おはよう、唐沢くん」
うつむいた頭の上から降ってきた声に顔を上げる。
狭い十字路の真ん中に一人の女子高生が立っていた。
「おはよう、朝比奈さん」
彼女はいつもこの場所で僕を待っている。
そして僕は彼女の背景の色を見て、はじめて今日の天気を知るのだ。
本日は晴天なり。
「また下ばっか見てる。前向いて歩かないと危ないよ」
「道の真ん中に立ってる人に言われたくない」
僕は言いながら彼女の横を通り過ぎる。彼女はくるりと身を翻して歩き出す。
そうして二人並んで十字路を越える。それが僕たちの朝だった。
「大丈夫大丈夫。どうせ車も人も来ないんだし」
「まあそうか。でもそれなら下見てても大丈夫じゃない?」
「ダメだよ。隕石が降ってきたときに避けられない」
「それはもう運命だ。諦めよう」
「そんな簡単に諦められないよ」
「どうしようもないこともある。神様ってのは意地悪なんだ」
「神様のせいにしないで。早めに気付けばかすり傷で済むかもしれないじゃん」
「隕石は無理だろ」
僕と朝比奈さんは並んで喋りながら、時折笑い声を挟みつつ、道の真ん中を歩いていく。迷惑がかかるような車もいなければ、僕らを冷やかすような人もいない。
そんな小さな町の片隅に僕たちは住んでいる。
「あ、もう学校着いちゃった」
少し先に正門が見えてきた。
さすがに学校が近付くと周りに学生も増え、見知った顔もちらほら視界に入る。両端に石柱を立てただけの簡易な門に登校してきた生徒が次々と吸い込まれていく。
「じゃあこの辺で」
正門を抜けて爪先の方向を変える。
僕と彼女は一年の時は同じクラスだったが、二年に上がって別々になった。下駄箱の場所も違うため、最近は正門に入ったところで解散だ。
「うん。じゃあね」
朝比奈さんは小さく手を振って笑った。
僕はその笑顔を今日も直視できないまま教室に向かう。
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