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気が付けば、刑事が病室を出て行ってから、かなりの時間が経過していた。
秋雨はまだ降り止む様子はない。
その間、私は、井上亜由美という人間……私という人間について、慌ただしく思考を巡らせていた。
なんということだろう、記憶を無くした末、私を待ち構えていた「私」は、あまりにも多面性に満ちた人間だった。
ある場面では、従順に、敬虔深く。
ある場面では、可憐に、恋の炎に心を燃やす。
ある場面では、淫靡な激情を、欲望のまま他者に叩きつける。
私とは、いったい。私とは、いったい……? 何者なの……?
私は自分に、震えた。
感覚など失われた腕の代わりに、心臓に鳥肌が粟立つ様が、脳内に浮かぶ。
発狂しそうだ。
……だが、それはよくあることなのだと、刑事は言った。
……考えてみれば、そうなのかもしれない。さまざまな矛盾も理不尽も内包してこその、人間、なのかもしれない。それをそれと知って、皆が皆、知らぬ振りをして、生きている。それが、世間、なのかもしれない。
しかし、それを外側からこのようなかたちで見せつけられてしまったとき、これから、私は、内なる「私たち」とどう付き合って生きていけば良いのだろうか。
多様性という名の私の欺瞞は、焔で灼かれて、どろりと溶けた身体から溢れだしてしまった。
それを見てしまえば。
知らぬ振りは、もうできないじゃない。
閉じられた白い空間の中で、未だ、私の答えは見つからない。
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