三崎兎太郎と蓼丸鷲介

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寮に帰るため仕方なしに出勤ラッシュの電車に乗り込んで走行音と共に揺られると、疲れた身は乗り合わせた人らとぶつかって揉みくちゃになる。 電車内で揺られる人の多くはスーツを身に纏いどこか会社へと向かっている、そこにあるのは日々変わらぬ日常を送る気怠さとか憂鬱。それにさえ大いに憧れるのだと言えば、道行く彼らは一体どんな顔をするのだろう。車窓から見えるのは朝陽に照らされた都会の街並み、冷たいビルが温まるその様子を眺め続けて何年経ったか。薄汚れた街が温度を取り戻し動き始める瞬間は嫌いじゃない。ドアに寄りかかりスマホを無意味にいじりながら陽に照らされたビルを見つめていると、背後で感じていた只ならぬ気配が不穏さを増す。 やけにくっついてくるなと思ったら、両方の尻を思いっ切り揉まれて痴漢めまたかと辟易した。 大きな手、太い指が臀部を揉む。出勤ラッシュにかち合うと高確率で痴漢に遭うのだからまったく、しかも揉んでいる手の主は男。男が男の尻を揉んで何が楽しいのか、はあはあと荒く粘ついた息づかいが気持ち悪い。こういう奴は抵抗すれば興奮し、無視すれば躍起になって、結局辞めやしないのだから好きなだけ触らせてやる事にしている。 しかしそれも降車するまでの話。 車両が駅に滑れ込み揺れが収まって扉が開いた瞬間、三崎兎太郎(みさきうたろう)は背後の男を仰ぎ見て手首をそろりと撫で掴み、にこりと笑って囁いた。 「……着いておいでよ、お兄さん」 スーツ姿の40代くらいの男性は脂下がった笑みを浮かべ、腕を引かれるままに着いてくる。兎太郎は自身の姿形が他の人より優れている事を知っていた。間も無く26歳の誕生日を迎えるが、実年齢よりも遥かに若く見えるらしい。17歳の高校生とも言われるし20歳の青年とも言われる、まさか三十路に片足突っ込んだとは思えない容姿は学歴の無い兎太郎にとって宝だ。 こればかりは碌でも無い両親に感謝した。 手近なトイレを見つけ個室に押し込み、便器に触れと言えばスーツの男は喜んで従う。兎太郎は背負っていたリュックを荷物かけに引っ掛けて、ペンケースをこれ見よがしに取り出した。男はそこからコンドームでも出てくると思ったのか酷く興奮して息を荒げているし、自制の効かない愚息がスラックスの前立を押し上げている。兎太郎はそれを見て馬鹿だなともカモだなとも思い、愛らしい顔を作って営業スマイルを見せてやった。肩に手を置いて股の間に膝を押し入れナニを圧迫してやると男は歓喜の吐息を漏らす、しかし次の瞬間その顔面を引き攣らせた。何故なら兎太郎が男の目玉にシャーペンを突き付けたからだ、親指で数回ノックするとそれに従って伸びる芯。 「指一本でも動かしてみろ、刺すぞ」 トイレの個室に男が二人。兎太郎の下で男は身を震わせ、誰かが手を洗い水を弾く音に紛れてシャーペンがノックされる音も小さく響く。 「おっさん、俺の尻タダじゃあないんだよね。そっちのサービス込み込みなら1時間1万円なんだわ」 「ーーー…ッ、な、な、」 「な、な、じゃなくて、楽しんだんならそれ相応の金払えって言ってんの。財布はどこかな」 ジャケットの胸の辺りを探る様に摩ると長財布の存在を手のひらに感じた、それを手渡す様に要求するも男は抵抗の意思を見せる。だから兎太郎は靴裏で男の萎えたナニを踏んづけて、目玉に向けたシャーペンの頭をまた数回ノックした。 「おい痴漢やろう、駅員に突き出してもいいんだぞ」 「っ、この男娼が!」 「何とでも言えよ」 兎太郎の正体を察した男は悪態をつく。そんな事には気にもかけず、渋々差し出した財布から万札を数枚抜き取った。悲観して悲鳴を漏らした男へ利用代と迷惑代だと言えば大きな舌打ちをされ、それを鼻で笑った兎太郎はシャーペンをペンケースにしまい自分の名刺を一枚取り出すと男の胸ポケットへ押し込んだ。 「犯罪なんかしないでさ俺指名してよ、サービスするから。タダでいい思いなんてできっこないんだよ、捕まったらどーするの?」 出来るだけ優しいく気遣う様な声音で"大事な物沢山あるでしょう"とそう言って、男の乱れたスーツを正してやる。すると我に帰った男は力んでいた体から力を抜きぐっと押し黙った。 だから兎太郎は男の頬を労る様にそっと撫でた。
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