テッシュ配りとおつかい

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あれは確か一月(ひとつき)か、二月(ふたつき)くらい前の事……たまたま知り合いに頼まれ、駅の近くで昼から夕方にかけてポケットテッシュを配るバイトをしていた時だった。最後の束を配るため道の端の花壇の側に寄せて置いてある段ボールの箱の前で身を屈めていると、真上から声をかけられたのだ。 「おい、少年。お前だお前」 「……へ、おれ?」 「そうお前」 おいと声をかけられた。まさか自分が呼ばれているとも思わず手元を注視していたら肩を叩かれ、その手を辿り腕の先を仰ぎ見れば強面の男が一人困った顔をして立っていた。ビシッと着込んだ少し派手で厳ついスーツ、色付きのサングラスの向こうの瞳は鋭く、右目の上の眉尻の辺りに古傷があり、その風貌を纏めて例えるなら絵に描いた様なヤクザな男。本物の極道さんかと、口から飛び出そうになった言葉をすんでのところで生唾と一緒に飲み込んだ。 どこか草臥れて見えるその人は、ちょっと頼まれてくれないかと言った。 「……運び屋とかそういうの以外なら」 「そんなことはさせねえよ」 こちらは至って真面目だったというのに男はふにゃりと笑う。 風貌に似合わず優しい笑顔、兎太郎は嫌いじゃないなと思った。人を見る目はある方だと思う。道で出会ったら避けて歩きたくなる様な身なりをしているけれど、悪い人ではなさそうだと結論付けて立ち上がった。目の前のその人は兎太郎より随分と背が高かった、立ち上がったのに見上げなければいけないほど。すると心の声が聞こえてしまったのだろうか、男にお前は小さいなあと言われてむっとする。一応日本人男性の平均身長を満たしていると訴えると、サングラスの向こうの目は細くなり目尻に寄るのは笑い皺。 強面のお兄さんに似つかわしくない"チャーミング"という言葉が頭の中に浮かんだ。 「頼み事ってなんですか」 「ああ、その事なんだけどなあ」 男はすっと車の行き交う道向こうの通りを指差す、釣られてそちらを仰ぎ見るとそこにあったのは一軒の有名な洋菓子店。今日も大層繁盛しているようで店内に入る為に主に女子が列を成している。兎太郎が何であのケーキ屋と首を傾げれば、男はバツが悪そうな顔をして俺はちょっと並べないからなと呟いたので何となく察した。 「あそこでケーキを幾つか見繕って来てくれないか」 「……なぁんだそんな事か、それなら俺にも出来るよ」 なんだ、何を言い出すかと思えば、なんだそんな事か。 もっと怪しい事を頼まれるのかと思っていた分肩透かしもいいところ。随分と可愛らしい頼み事に呆気に取られ、ついついぽかんとしてしまった顔を引き締めて男を見上げる。兎太郎がお安い御用だ任せてとにっこり笑えば、彼は肩から力を抜きあからさまにホッとした。次いで懐から取り出した長財布をぽんと投げて寄越すものだから驚いた。万札しか入っていない財布からお札を一枚拝借し、全部渡すなんて無用心過ぎるだろうと注意をしてそれを突き返す。 すると男は真面目だなと言いまた笑った。 「リクエストは?」 「彩り良ければ何でもいい。4つ……いや、6つくらい買ってきてくれ」 そう言うと男は道の端に避けて置いていた段ボールと並び、安堵の溜息と共に花壇に腰掛けた。背が高い分足も長い。大きくて厳つい男と段ボールと花壇、そのちぐはぐさに面白味を感じてしまう。行ってきますと言うと頼んだぞと返された、横断歩道を渡りながら女子の並ぶ列を見るに20分位は待たされそう。確かにこの列にあの人が並ぶには場違い感が否めない、さぞ恥ずかしかろう。 もしもの様子を想像してしまったら堪らずふふふと笑いが漏れる。 道向こうを見ると相変わらず花壇に腰掛けている男の足元には段ボールが一つ。暇そうに箱の中身を覗いた後、長い足を組み胸ポケットを漁って無造作に取り出した煙草に火を着けようとしている。ここは路上喫煙禁止なんだよなあと思い視線を送り続けていると、男は兎太郎の存在に気が付くなり不機嫌さを露わにして顔を顰めそれをしまった。 ちょっとだけ、気分が良かった。 浮足立って列に合流すると、前にいた女の子が兎太郎を見上げ顔を赤くし会釈した。
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