テッシュ配りとおつかい

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跪いたすぐ側にぺたんと落ちたのは見覚えのある名刺、長い足を組み直した男は高揚な態度で"TAROU"とはお前かと問うた。 「二度と付き合うなって言ったよな」 「拉致られたんだし」 睨み合いに負けて床に投げ捨てられた名刺に視線が落ちる。こんな風に再開したくなかった、いい思い出で胸の内にしまっておきたかったと心底思う。 あの時"またね"と言って別れた、ケーキのおつかいの極道なお兄さん……。 見覚えのある男の声にあの時の様な柔らかな優さは無くて、それどころか残念な事に少し怖かった。 「学生じゃあなかったのか」 「アニキ、こいつ学生どころか……もう直ぐ26歳っすよ」 「随分と……いい大人じゃねえか」 「あんたが勝手にガキだと勘違いしたんだろ」 チンピラ男が兎太郎のリュックの中身を見物し財布から取り出した保険証を見ている、何でこんな所に連れてこられたのか検討も付かずその場に膝を抱えて座わり直した。するとチンピラ男がペンケースからシャーペンを取り出して、その先を兎太郎へピッと向けた。デジャブだ、どこかでこんな事した気がする。身に覚えがあるが何だったっけと考えていると、突然頭頂部の髪を鷲掴みにされシャーペンの先を目玉に突きつけられた。 羽交い締めにされ喉は反り髪を引っ張られて頭皮が痛む、ノック音と共に迫るシャー芯に背筋は冷えて息を飲んだ。 「……ーーーッ」 「お前、こーやって痴漢野郎を脅したんだろ。なあ、あいつの持ち金今どこよ?あれうちに支払うはずの利子なんだわ」 そう言われて色々と思い出した、通勤ラッシュの痴漢野郎がこの人達と繋がっていたのかと合点がいく。臨時収入だったその金はさっさと貯金してしまったのでもう手元に無い。しかしさっきからこのチンピラ叩いたり掴んだり乱暴だ、怪我でもして跡が残ったらどうしてくれる。兎太郎が横目で睨み返すとチンピラ男はシャーペンを放り投げて平手で頬を叩いてきた、パンという破裂音と衝撃で体は横に倒れる。バランスを崩して片肘を床に打ちつけた、これはあざになるかもしれない。口の中でじわりと溢れる涎ではない何か、内側が切れて血が出たのかも……。 「利用代と迷惑代だったか、それで5万はぼり過ぎやしないか」 静かな男の声が頭の上から降ってくる、俯いていると口の端から漏れぱたぱたと床を打つ赤。傷付けられたと思ったらその瞬間かっと頭に血が昇り、偉そうに座る男の方を睨み上げる。 「名刺見たんだろ、俺の!体はなッ!売り物なんだよ!この体も時間もタダじゃない、金を取って何が悪い!!」 「開き直るんじゃねえよ所詮男娼だろうが!」 「お前ッ!さっきからバシバシ叩きやがって、これ以上傷付けてみろ仕事出来なくなったら慰謝料がっぽり請求するからなッ!!」 「い、慰謝料だあ?お前身の程を知れクソが!」 怒るチンピラに恐れず食ってかかると余計に怒らせた、胸ぐらを掴まれ途端に振り上げられる拳。あれを顔面に受ける訳にはいかないと、兎太郎は暴れて身を竦める。 「俺は稼がなきゃいけないんだ、お前らなんかに邪魔されてたまるか!殴ってみろよカモにしてやる!」 「やれるもんならやってみろや、お前なんかやべえ風俗にでも沈めてやるよ!」 生意気だと言って掴みかかってくるチンピラ男に負けないように、そして殴られてたまるかという一心で必死に抵抗していると突然後ろ襟を引っ張られて尻餅をつき、蛙が潰れたようなみっともない声が口から飛び出た。 「ーーぐぇっ、ぅ、!?」 「やめろ一平、お前も少しは慎ましくできないのか」 「な、ん、で、俺がッ!」 慎ましくなんてしなけりゃいけないのかと怒りに任せて後ろを仰ぎ見る、するとあの男が呆れた顔をしてこちらを見下ろしているではないか。兎太郎の体から怒りがすとんと抜け落ちた、男は何を思ったのか掴んでいた身を引っ張りくるりと返して対面すると口を開けろと言う。 「口の中、切ったのか。まだ血はでてるか?」 「や、待って、大丈夫もう出てないと思う」 突然迫る顔、色付きのサングラスをしていない男の目を直視する事が出来ず、兎太郎は顔を大きく横に逸らしてしまった。
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