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束の間の青春
翌日、所用を見つけて侍従と護衛2人を連れて学院を訪ねた。私は昨年度で学院を卒業している為、こうして時間を作らねばダルシニアに会うことができない。私の青春はダルシニアと過ごした一年だけが光り輝いたものだったのだと今更に思う。
侍従にダルシニアを呼んでくるように使いを出せば、すぐに彼女はやって来た。
「クロード様、御機嫌よう」
パステルカラーのシンプルなドレスに、柔らかそうな栗毛を緩く編んだ髪型が可憐なダルシニアによく似合っている。私が褒めれば頬を染めて喜ぶ初心な様子も、エヴァンジェリンにはない魅力の一つだ。
「先日の耳飾りの話だが、やはりエヴァンジェリンは頷かなかった」
「まぁ!お義姉様ったら、クロード様のお手を煩わせたのね。本当に我が儘ばかりで困ってしまうわ。義姉が申し訳ありません」
「そなたが謝ることはない。それもこれもエヴァンジェリンが悪いのだ」
「いいえ。私の母は平民ですから、その娘である私と仲良くしたくない気持ちも分かるのです」
「平民だから、などと卑下することはない。王国の大部分は平民によって構成されている。彼らが税を納めてくれているから王族や貴族は生活できるのだ」
「クロード様……」
感極まったようにダルシニアは目尻に涙を浮かべた。
エヴァンジェリンはもっと違う人間だと思っていた。王妃殿下自ら手ほどきをしていたのだから、王妃殿下や亡くなったスティーヴンのように慈愛溢れる性分になってもおかしくはないというのに。
本当に愛情深い人間であれば、母が違うとはいえ血の繋がった妹を優しく導いてやることもできたはずだ。母親の身分が低いからと言って差別するべきではない。ダルシニアのように温かで思いやりのある娘を育てた女性なのだから、過去を論って否定するのは猶更良くない行いである。
「そういえばエヴァンジェリンは今日はどうしている?」
昨日はあれほど叱責したのだ。多少は響いているだろうと思ったから反応を見たかった。
「お義姉様とは普段から別の馬車で登校しているので……ただお見掛けしていないので、お休みかもしれません」
二人で一緒に登校すれば耳飾りなど必要がないくらい仲を深められるというのに、本当に我が儘な娘だ。しかし婚約破棄という言葉に落ち込んで、学院を休むなど他愛もない。この分ならすぐに音を上げて謝って来るに違いない。
それから侍従に茶の用意をさせ、それを飲みながらダルシニアと語り合った後、城に戻った。彼女との話は楽しい。最近読んだ本の話や新しいドレスの話、面白かった家族との会話など、明るく彼女の純真な性分がよく分かった。
反対にエヴァンジェリンとの会話は重苦しくつまらない。
菓子の一つとっても、どこ産の果物だ小麦だの言いだして数字の話を始める。最近の天気の話をすればどこそこの地は雨が降っていないから作物が心配だと、すぐに暗い話へと結びつける。底が浅い女の考えることなど高が知れているのだから、せめて愛嬌でもあれば良いだろうに。
城に戻ると側近であるラルフ・マクラーレンが苛立ちを隠さず出迎えた。
「殿下、今日はどちらに?」
ラルフは一年前から側近として私の下に仕えているが、宰相の息子ということもあって正直私への態度が聊か不遜にも思う。
「学院に所用があってな」
「エヴァンジェリン様に御会いに?しかし、昨日は定例の交流会があったではございませんか?昨日に続き今日も、とは……」
「私が誰に会おうと自由であろう。仕事が滞っているわけでもなしに」
こう言えば普通は引き下がる者が多いのに、父親の権力を笠に着てラルフは更に言い募った。
「まさかダルシニア嬢に御会いに行かれたのではございませんでしょうね?」
「……だから何だと言うのだ」
「殿下とダルシニア嬢の会合があまりに頻繁にあり過ぎると学院では物議を醸しております」
「無粋な連中だ。婚約者の妹に会っているだけだというのに」
エヴァンジェリンの性根を変える為にダルシニアと相談しているだけだ。男女の関係など有り得ない。
「人の少ないガゼボにわざわざ呼んで、ですか?」
「何?」
「お付きの者達を下げて二人きりで会っている姿を見て疑うなという方がおかしいとは思いませんか?」
「……」
学院での出来事を逐一報告していたのかと従者を睨みつけるが、顔を青くした従者は泣きそうにながら首を振るだけだ。
「ハンスを睨むのはお止めください。どうせそのようなことだと私が推論を語ったまでです」
従者を庇って前に出たラルフは更に言い募る。
「ダルシニア嬢をどうなさるおつもりですか?侯爵家の人間とはいえ平民の出ですよ。ましてエヴァンジェリン様を御正室としてお迎えされるというのに、ダルシニア嬢にまで御手を付けられるのは問題となります」
「男女が二人で会っていたというだけで恋仲か。己の心が醜いから、そのような低俗な発想が湧くのではないか?」
「あくまでも否定なさるおつもりですか?」
「私にやましいことは何も無い」
嫌味ったらしく眼鏡を押し上げ、ラルフは大きく息を吐いた。
「貴方様にはエヴァンジェリン様を選ぶ以外に道は無いのですよ?」
「……何だと?」
「この際、はっきりと言いましょう。子爵家の娘が産んだ王子の命令など誰が聞くというのですか?」
「貴様ッ!!」
「殿下以上に王家の血が濃い王族は他にもいるのです。平民などに気を取られ、エヴァンジェリン様を蔑ろにすれば殿下が……」
「うるさい!!うるさいうるさいうるさいッ!!!!!」
私は衝動のまま拳を振り上げ、ラルフの顔を殴りつけていた。奴は抗うこともせず、しかし倒れることもなく直立のまま、私に咎めるような視線を投げてくる。
「無礼者め!!父親の威を借りて、貴様自身が偉くなったつもりか!!」
「……」
「貴様のような者の顔は二度と見たくない!!私の許可無くば王宮に出仕することを禁じる!!分かったら、さっさと去ね!!」
不満げなラルフだったが、護衛達に引きずられて退室していった。貴族にとって出仕を禁じられることは酷い屈辱に違いない。ざまをみろ。優秀だと持て囃されているようだが、どうせ父親の権力に媚びる連中の戯言だったのだろう。己の力量を過信し、驕りが過ぎて自滅したな。
それに私は第一王子。王家唯一の王子。母は父の寵妃であり、王妃殿下からも可愛がられているのだ。私の代わりなどいない。たとえエヴァンジェリンが隣に立つことがなくとも、それは変わらないのだ。
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