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立太子
それからスティーンヴの帰還がすぐに発表された。
奇跡の生還に国民は興奮に沸いた。そしてすぐに行われた舞踏会での御披露目には、国内外から多くの者達が招かれ、第二王子の帰還を寿いだのだった。
招待客達の誰もがスティーヴンから目を離せなかった。父王の若い頃を彷彿させる容姿に、慈悲深い王妃によく似た穏やかな表情。畑仕事で鍛えられた体はたくましく、一人前の男として働いていた経験からは心なしか他より大人びて見える。
もちろんスティーヴンのパートナーは先日まで私の婚約者であったエヴァンジェリン・アシュフォードだった。生家には勘当されたが、祖父母のデイヴィス家に引き取られ、伯爵家の令嬢として参加している。
これまで学院では妹を虐げる意地悪な姉として有名だったが、あの日の舞踏会でのデイヴィス伯爵の発言と、初恋の相手を想い、自ら探しに向かった勇気を讃えられたエヴァンジェリンの評価は180度変わっていた。
「今宵のアシュ……デイヴィス伯爵令嬢は本当にお美しいわ」
「えぇ。以前はもっと宝玉のような硬質さがあったけど、今は大輪の花が綻ぶように華やかで麗しいこと」
私が近くにいることに気づいていない御婦人がたが思い思いに語らっている。しかし、彼女達が言うように、エヴァンジェリンは私が今まで見たことのない顔で笑っていた。優しく慈愛溢れる笑みを浮かべ、スティーヴンに寄り添う。スティーヴンもまた、エヴァンジェリンに気遣いながら挨拶回りを続けている。
「六年前のあの事件から、デイヴィス伯爵令嬢はすっかり様変わりをしてしまって、私は心配しておりましたの」
「えぇ。私もですよ。あんなにも可愛らしく爽やかなお嬢様でしたのに、急に大人びてしまって……。本当に痛ましい出来事でしたわ」
『可愛らしく爽やかな』だと?私の前では一切そんな顔を見せなかったのに。スティーヴンには向けるのか。
「でも、まさかスティーヴン殿下を失っただけでなく、御実家で虐待されていたなんて……」
「クロード殿下の無慈悲な差配には憤りを隠せませんけど、逆に事が明るみに出て良かったのでしょうね」
「初恋の君も御帰還されましたしね。婚約の解消は丁度良かったとも言えますわね」
好き勝手な物言いを流石に周囲も止めに入り、別の話題へと移っていった。今夜の舞踏会はどこもかしこも同じような話題で持ち切りだ。誰も私が、第一王子がいることなど気にも留めない。これまで私が後回しにされるようなことなどなかったのに。そう、スティーヴンがいなくなる前でさえ、私は尊重されていた。
だが、今の私の周りには誰もいない。婚約者の座も空白のままだというのに、誰も近寄らない。私やアシュフォード家がエヴァンジェリンを虐げていたことは国中の誰もが知っているのだ。娼婦の娘と懇ろになり、婚約者を蔑ろにした愚かな王子と城下では噂になっているらしい。私は不義など働いていないのに誰も信じやしない。心優しいダルシニアも、王子を誑かした悪女として取り沙汰されているとか。
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王宮の主役になったと言っても過言ではないスティーヴンは、長く市井で暮らしていたものの、地頭の良さと幼い頃からの教育のおかげか、驚くほどの速さで同年代の貴族と遜色のない知識と教養を身に付けた。更には貧しい平民の暮らしを知っているからこそ、そこであった理不尽や不自由さを変えようと有識者を集めて議論する毎日を送っているようだ。
「お前は王になりたいのか?」
何かの折に尋ねてみれば、スティーヴンは私を真っ直ぐ見つめ、頷いた。
「……昔の私であれば、兄上を応援していたかもしれません。ですが、民衆の暮らしを知り、彼らがより良く暮らすことができる国を作るには、国王になるより他はないと思っております」
「そう、か……」
強い意志がそこにあった。この姿を見て、誰が農夫であったと思うだろうか。
「勿論、父上がお選びになることに異を唱える気はありません。私達のどちらかが王になろうとも、力を合わせて我が国を今以上に発展させていきましょうね」
嫌味なほどに爽やかな笑みを浮かべる異母弟に、私はただただ惨めな気持ちを覚えるだけだった。
それからまた少し経ち、王立学院を異例の速さで修了したスティーヴンは王太子に指名された。婚約者にはエヴァンジェリンが選ばれ、一月後に立太子の儀が行われる。弟達の周りは常に華やかで賑やかだった。
対して私の方はと言えば、側妃である母は最近体調が悪く自室で寝付いている。見舞いに行ったところで『次期国王はクロード、貴方よ』と、うわ言を繰り返すばかり。
側近のラルフも出仕停止を解く前に異動となり、今はスティーヴンの右腕として辣腕を振っているらしい。侍従や護衛なども入れ替わり、私の下には以前の者達よりもやる気のない者達が宛がわれたように思う。
母方の力が乏しいせいか公爵の位も与えられず、婿入りすることになったのだが、私とエヴァンジェリンの騒動を国中が知っている為にどの家からも嫌がられた。そうして最後に残っていたのがアシュフォード家のダルシニア。彼女もまた根も葉もない醜聞に踊らされ、誰とも婚約ができないでいたのだ。
結局私はダルシニアと婚約した。後継のはずだった侯爵の弟には王家から所領を与えられ、そこの領主となった。次期王妃を虐げた家を継がなくて良かったと嘯いていたとか。スティーヴンの立太子を祝う舞踏会が、私達二人のハレの舞台になるとは思いもしなかった。やって来たダルシニアを王宮で出迎えれば、
「どうしてクロード様が王太子になれませんの?」
と、久しぶりに会った彼女の第一声がソレだった。
「私よりもスティーヴンが優れていただけだ」
「まぁ!クロード様は誰よりも努力なさっておいででしたわ!」
またその話かと居心地の悪さを感じたが、やはり彼女は違う。私の心を癒やし、慰めてくれているのだと思うと胸に温かいものが感じられた。感情の面では弟に負けたことは悔しいが、理性の部分では立派な王となる弟を頼もしくさえ思っている。いずれはこの気持ちに折り合いがつけられる日がやって来るだろう。その日をダルシニアと迎えることができれば良いと、私はそう思っていた。
「きっとお姉様が陛下に良くないことを言ったんだわ」
「え?」
しかし、ダルシニアはそうでなかった。顔をしかめた彼女は、どこかを睨みつけていた。
「御自分が殿下に振られたからって、第二王子を王太子にしようなんて馬鹿なことを……」
「ダルシニア……いや、違うんだ」
ずっと可憐な姿の彼女しか見てこなかった私は、驚いて言葉を失くしてしまった。だからダルシニアが睨みつけた先にエヴァンジェリンがいるだなんて思いもしなかった。
エヴァンジェリンは光沢が美しい紫色のドレスを身にまとい、護衛や使用人に傅かれ、スティーヴンが待つ部屋に案内されている途中のようだった。
「お姉様!!どうして意地悪をなさるんですか?」
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