終幕 Ⅰ (ラルフ視点)

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終幕 Ⅰ (ラルフ視点)

結局、立太子を祝う舞踏会は延期となった。 あの後、王太子に不敬を働いたエヴァンジェリンの義妹・ダルシニアは護衛騎士に取り押さえられ、地下牢に放り込まれた。第一王子の婚約者とはいえ、あのような公の場で、次期国王を侮辱するなど前代未聞の出来事である。もちろんアシュフォード侯爵家が嘆願しようとも許されることはなく、多くの人の証言があった為、ほどなくして絞首刑となった。 貴族の処刑は斬首刑が常だが、アシュフォード侯爵夫妻の婚姻は遡って無効となり、ダルシニアの養子縁組も白紙に戻された為、平民として処刑されたのだった。そして侯爵夫妻もまた、娘の虐待と王家を謀ろうとした罪で、爵位と領地を没収の上、既に娘と同じく処刑が行われている。 侯爵の両親は鬼籍に入っており、分家の者達は侯爵の弟と共に別の領地へと移っていたので、侯爵家は事実上取り潰しとなったのだった。 「クロード殿下は北の宮に移られたそうだ」 北の宮は、王族が罪を犯した際に幽閉される離宮である。 事件の後、第一王子であるクロード殿下の権威は完全に失墜した。次期王太子に対して、己の婚約者が行った不敬を咎めることもせず、木偶のように在っただけの男を支持する者はいないだろう。ましてエヴァンジェリンに矜持を砕かれてしまっては立つ瀬がなかった。 あの男が『姉ならば妹に配慮しろ』、『姉ならば妹を愛すべきだ』と訳の分からぬ妄言を繰り返していたことは、我々と同時期に学園に在籍していた者は知っている。そこから尾鰭がついて、悪意ある噂が社交界だけでなく、平民達の間にも流れているのだから恐ろしい。 エヴァンジェリンは『そう』と一つ答えて、気怠げに視線を窓の外にやった。 第二王子が与えられた宮の一室に、私――ラルフ・マクラーレンとエヴァンジェリンはいる。三人は幼い頃からの学友であり、幼馴染でもあった。宮の主たる“スティーヴン”はいない。今頃、国王陛下と王妃殿下から事の次第を説明されているのだろう。 「側妃が毒杯を賜った」 側妃はクロード殿下の母親だ。だが別に息子の責任を肩代わりするわけじゃない。 「あの女狐、よりによって陛下の前で『スティーヴンは確かに殺したはずなのに』と言ったそうだ」 「それはそれは……フフッ、いい気味だわ」 六年前、スティーヴンを事故に見せかけて殺害するよう企てたのは側妃一派だった。動機など単純明快。クロード殿下を王位に就かせる為に邪魔なスティーヴンを排除しようとしたのだ。 側妃の発言に慌てた陛下は慌てて事件の再調査に入り、側妃の生家である子爵家と、寄親であった侯爵家が主導となって殺害計画を企てたことが判明したそうだ。 奴らは傭兵と街の破落戸をそれぞれ雇い入れ、山賊に扮して馬車を襲ったらしい。スティーヴンには直接手に掛けず、追い回し、絶対に生きて登っては来られない場所から落ちたのを確認し、引き上げさせたと証言している。 命乞いをしながら、見苦しくも毒杯を拒否する側妃に最期は無理やり飲ませたとか。 本来なら王族殺しは主犯及び実行犯は公開処刑、連座で一族郎党根絶やしにするのが常だが、今回は側妃の父親と黒幕の侯爵が斬首刑が決まっているのみで、三親等までは非公開の上で毒杯を賜り、九親等に至っては貴族籍を没収し、鞭打ちをした上で放逐することが決まっている。 ここ百年の間、平和な時代が続いたせいで血生臭い処罰を民草は厭うようになった。加えて王妃殿下や王太子が福祉と教育に力を入れていた為、苛烈な罰で悪印象を与えては、王位を継いだ後の治世に何らかの影を落とすだろうと陛下と王妃殿下はお考えになったようだった。 つまり北の宮に幽閉されたクロード殿下も、毒杯を賜る為に控えているに過ぎない。 「周到な計画だったけど、スティーヴンが生きて戻って来るとは思わなかったのでしょうね」 「まさかあれほど瓜二つの人間を用意できるとは思わなかったんだろう」 「殺したはずの人間が大人になって戻ってくるなんてね」 殺人未遂として処理されたが、側妃一派の計画通り、あの日、スティーヴンは崖下に落ちて死んだのだ。遺体は見つかっていないとされているが、崖から落ち、川に流され、全身の骨が殆ど砕けた姿で発見され、秘密裏に王都に運ばれたスティーヴンに、私とエヴァンジェリンは対面している。私達は死に化粧をして、どうにか取り繕った死に顔だけを見せられ、動揺したまま彼の死出の旅路を見送ったのだ。 彼女は国葬の時、空の棺に泣いて縋った。本当の別れの時は、現実を受け止めきれず、ただただ呆然と立ち尽くすばかりであった。段々と時間が過ぎ、空の棺を前にしてようやく理解したのが初恋の君の死だ。復讐に縋る以外、彼女に残された道はなかった。 『絶対に許さない。スティーヴンが手に入れるはずだったものを、私は絶対にあんな奴らに与えはしない!!』 スティーヴンが手に入れるはずだった地位、名誉、気の合う仲間、愛する伴侶に子ども達。たとえ王座に就くことはなくても、生きていればきっと幸せな日々が彼を待っていたはずだった。それらを12歳の少年から取り上げた者をエヴァンジェリンは許さなかった。 一年前に戻って来た“スティーヴン”は、先々王が侍女に産ませた落胤の血筋の者だ。一夜の関係だったとしても、その所在を王族の女性は把握しており、国葬後すぐにスティーヴンの身代わりとして生きる為に召されたのである。年は私達より二つ上で、目も紫ではなく青色だったけれど、第二次性徴を挟んだお陰か、露見することもなく今に至る。“スティーヴン”を匿った老夫婦もまた父宰相の手の者だった。 そして第二王子の婚約者候補であったエヴァンジェリンとの縁談を王妃殿下自ら、第一王子に薦めたという事実で、奴らは我々があの暗殺事件を事故だったと本気で信じていると判断したのだろう。密かに教育を受けていた“スティーヴン”のことに気づきもしないで、奴らは安穏と暮らしていたのだ。 計画を全く知らなかったクロード殿下は、エヴァンジェリンに試されていたことに最後まで気づくことはなかった。本来、スティーヴンが持っていたはずのものを奪ったくせに、当たり前のような顔をしてダルシニアに物を譲れとのたまう神経が分からなかった。口先だけではなく弟の死を悼み、己の厚遇に感謝して、婚約者であるエヴァンジェリンを大切にしていれば、彼の未来は違うものとなっていただろう。 「スティーヴンに会いたい」 エヴァンジェリンは、そうポツリと呟いた。 「ねぇ、ラルフ。やっぱり駄目だわ……」 「駄目とは?」 「あの女達が死んでも、スティーヴンが帰って来ないことに気づいてしまったの」 息子を失った王妃殿下と共に、エヴァンジェリンは側妃一派に復讐を誓った。王位欲しさにスティーヴンを殺したというのなら、絶対に渡してはやらないと己の身を捨てる覚悟で生きてきた。そうして側妃を死に至らしめ、クロード殿下を実質幽閉に持ち込んだ今、人目のないところでは、どこか上の空になってしまっていた。 「早くスティーヴンに会いたい……」 エヴァンジェリンは、その美しい瞳から、ぼろぼろと大粒の涙を零して泣き崩れてしまう。頼りない彼女の肩を抱くと、この復讐譚を演じきったとは思えないほどの華奢さに、私の視界まで滲むようだった。 「エヴァンジェリン。それでもどうか行かないでくれ。スティーヴンを失い、貴女まで失うなんて私には耐えられない……」 「ラルフ……」 「貴女がもう表舞台には立てないというのなら、王妃殿下と父に掛け合って、私がどうにかしよう。だから私を置いていかないでくれ」 彼女が復讐の為に生きてきたというのなら、私は彼女を守る為に生きてきた。 亡き友が願った、初恋の君が幸せな未来を歩めるように、その力になると私はスティーヴンの棺の前で誓ったのだ。エヴァンジェリンの願いが叶ったのなら、スティーヴンの願いを叶えてやらねばなるまい。 「貴女が幸せになる未来を探そう。今度こそ、貴女が心から笑えるように……」
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