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高貴なる義務
「何故、そなたは妹に譲ることができないのだ?」
自分の発言ながら、同じことの繰り返しでうんざりした。
いつも同じことを言われているというのに、全く改善の兆しを見せない目の前の女は、口許を扇で隠したまま私を冷めた目で見つめている。
私の名はクロード・ラファティ。レガリア王国ラファティ王朝バーナード王の第一子である。目の前の女はエヴァンジェリン・アシュフォード侯爵令嬢――私の婚約者だ。一つ年下のエヴァンジェリンとは特別親しい付き合いはなかったが、母が子爵家出身の側妃ということで後ろ盾の足りない私は、アシュフォード侯爵の娘と婚約したのだ。
エヴァンジェリンは容姿端麗で、賢く淑女としての評価は高い。しかし、彼女と私との相性は最悪だった。定期的な交流をしても事務的な会話の域を出ず、婚姻生活も公務の延長なのかと憂鬱な気分にさせられる。
そんな完璧な淑女と名高い彼女だったが、欠点を見つけたのは一年前のことだった。アシュフォード侯爵家の次女が王立学院に入学したのである。私が最終学年である四年次、エヴァンジェリンが三年次の出来事だった。
入学式で次女――ダルシニア・アシュフォードを見た瞬間、私は衝撃を受けた。世の中にこれほど愛らしい人間が存在していたのかと。それまでは侯爵家を訪問することもなく、エヴァンジェリンに異母妹がいるという事実だけしか私の頭には無かった。エヴァンジェリンが一歳の時に先妻は産後の肥立ちが悪く儚くなり、その後に平民と再婚したと聞いていた。本来ならば貴族から娶るべきところを周囲の反対を押し切って結婚したらしい。
そうして父と後妻の間に生まれた異母妹をエヴァンジェリンは冷遇している。
顔を合わせても頑なに無視し、仲良くなりたいと甘えるダルシニアを切り捨てるエヴァンジェリンを私は見ていられず、常々注意しているのだが、エヴァンジェリンが聞き入れることはなかった。
そして此度は、姉の持つ耳飾りを羨ましいと言ったダルシニアを冷たく蔑み、あしらったと相談されたので、こうして呼び出して叱責しているのである。
「どうしてそのようにダルシニアを蔑ろにするのだ」
「私にそのような意図はございません」
「そなたは次期王子妃として欲しいものは何でも得られるだろう?身分の低いダルシニアではそれも叶うまい。そなたは、その耳飾りを譲ったところで代わりなどいくらでも持っているだろう?」
「仮に代替品があったところで、あの娘に譲る理由がございません」
「姉ならば妹に譲るべきだ」
「父が勝手に作った娘を妹のように可愛がれと仰いますの?」
「血を分けた姉妹ではないか」
侯爵と伯爵家出身の母との間に生まれ、次期王子妃であるエヴァンジェリンが望むのなら、大粒の宝石とて手に入れることができるだろう。けれども母親の身分も低く、優しくか弱いダルシニアは得ることはできず、よしんば機会に恵まれても恐れ多いと固辞する姿が目に見える。勇気を出して甘えたというのに、容赦なく妹を切り捨てたエヴァンジェリンの性根が私は気に入らなかった。
「国王陛下の正妃である王妃殿下と私は、血こそ繋がっていないが、我が子のように可愛がってくださっている。王妃とは、国母とは斯くあるべきだと私は考えている」
母が私を生んだ一年後、王妃殿下も第二王子スティーヴンを出産された。しかし、スティーヴンは六年前に事故に遭い、この世を去っている。その息子の代わりかのようにジョアンナ様は私を可愛がってくださった。エヴァンジェリンも次期王子妃、ひいては次期王妃となる存在ならば血の繋がった妹を慈悲深く見守るべきだと思うのだ。
「恐れながら殿下。私はこの耳飾りだけは、たとえ国王陛下に、いいえ神話の神々に乞われようともお渡しする気は毛頭ございません。ましてやあの娘に譲ることなど有り得ません」
「強情な……そうやって家でも妹を虐げているのだろう!そなたが妹に嫉妬し、学院で取り巻きを使って虐げていることは分かっているのだぞ!!」
婚約者の顔を立てて言葉を選んでやったというのに全く意志を翻さない様子に私は沸々と怒りが込み上げてきた。醜聞だからとあえて槍玉に挙げなかったが、今日こそはとつい口をついて出てしまった。
「そのような事実はございません」
「認めぬのか!?」
「有りもしないことを認めることはできません」
全く顔色も変えないエヴァンジェリン。しかし、学院で会うダルシニアはいつも物憂げで、気になって話を聞いてやれば、ポツリポツリと姉と上手くいっていないことを話し始めた。
学院では無視される他に持ち物が無くなったり、すれ違いざまに誰かに押されて転ばされたりすることが度々あるのだという。恐らくエヴァンジェリンが人を使ってやっているのだろう。家でも同様に古参の使用人を使って嫌がらせをしてくるのだと涙ながらにダルシニアは教えてくれたのだ。
「強欲な上に冷血ときたか。このような人間と添い遂げることなどできそうにないな」
婚約の成否を匂わせた途端、エヴァンジェリンの鉄面皮が僅かに動く。王子妃になりたいのだから、こうして私が言えば動揺を誘えることは分かっていたのだ。
「婚約について今一度考えたい。私の方から陛下に話をしておこう」
愚かなエヴァンジェリンとは正反対に妹のダルシニアは思いやりの心がある娘だ。道を外そうとする姉を庇って、姉を怒らないで欲しいと願うのだから。だがこの一年で、エヴァンジェリンの醜く曲がった性根を正すことは並大抵ではないことを悟った。だからこそこの手段でこの女を悔い改めさせようと思ったのだ。
「分かりました」
けれども顔色も変えずにエヴァンジェリンは頷いた。泣いて縋り付いて許しを請うと思っていた私は予想を裏切られた。
「殿下、最後に一つ。もしスティーヴン様が御存命でありましたら、貴方様は請われたものは全て譲りましたか?」
スティーヴン――王妃殿下が生んだ私の弟。母に似た私とは違い、父によく似た風貌と王妃殿下の瞳の色を持って生まれた最愛の弟だ。明るく朗らかで、とても優秀で王家が抱える学者達からも人気があった。
「勿論だとも。あれは大切な弟だったからな」
「左様でございますか」
そう言って、何事もなかったかのように礼をしてエヴァンジェリンは去っていった。
追いかけていって謝罪するように諭すべきだったというのに私は動くことができないでいた。婚約者を躾けることすら儘ならない己の不甲斐なさと共に、若くして亡くなった弟に心を揺さぶられてしまったのだ。
スティーヴンが亡くなった日のことはよく覚えている。王妃殿下の御実家を訪問する為に乗った馬車が盗賊に襲われ、逃げる途中で崖から落ちたらしい。捜索の甲斐なく、崖近くの木の枝に引っ掛かって破れた布の切れ端が、スティーヴンの外套と同じだと証明され、崖下の川に落ちて流されたのだろうと結論付けられた。
福祉政策に熱心な母君の薫陶を受けたスティーヴンは孤児院への訪問も頻繁で、気さくな人柄が噂を呼んで国民にはとても人気の高い王子であった。国葬には王都の住人は殆ど皆献花を捧げに城門の前までやって来て、地方からも村の長などが代表して弟の死を悼みに王都へやって来たという。
幾人もの人々が空の棺に縋り付いて泣いている姿を私は母と共に眺めていた。気丈な王妃殿下はもちろん、スティーヴンと親しかったであろう子女も外聞も構わず泣いていた。
もしもスティーヴンが生きていたのなら、私はきっと可愛がっていたに違いない。弟が欲しいというのなら何でも譲っていただろう。私はエヴァンジェリンとは違うのだから。
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