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●クロエは封印っす
「おはよーございます」
抑揚を欠いた声で挨拶を述べて瑞穂は出社すると、入浴する親父のように緩慢な動作で自らのデスクへと腰掛けた。
パソコンの電源を入れ、ログインパスワードを入力すると、瑞穂は睡眠不足を少しでも解消させる為、組んだ両手の上に頭を載せ、仮眠をとる。
「眠そうだな」
その時、瑞穂の後ろから声が聞こえてきた。
「……はい」
瑞穂は寝ぼけまなこで、ゆっくりと後ろを振り返る。
見慣れた、ポール・スミスのスーツ。
くっきりとした二重まぶた、高くそびえ立った鼻。
嗅いだ人間の心を取り込むような、ブルガリ・プールオムの香り。
我が営業二課のエースである和田マネージャーが、口元を曲げながら瑞穂を見下ろしていた。
「眠いッス……」
仮眠を妨害された瑞穂は、唇を尖らせながら和田マネージャーに対して返答する。
「その様子じゃ、殆ど寝てないって感じだな。
なんか、変な事でもしてたのか?」
「してませんよ、そんな事」
和田マネージャーのブラックジョークに、瑞穂は苦笑いを浮かばせながら反論した。
「ウチの、エアコンが壊れたんですよ。
昨日、真夏みたいに蒸し暑かったでしょ。
だから、掃除はまだしてなかったんですけど、その場しのぎって感じで電源を入れたんですね。
けど、何か変な音が鳴るだけで、全然涼しくならなくて……。
何か、水漏れとかもしてましたし。
で、仕方ないから、昨日は扇風機だけで寝たんですけど、あまりにも暑くて殆ど寝れなくて……。
それで、今、こんな状態って訳ですよ」
「窓、開けたら、少しはマシになるだろ?」
「ウチ、二階なんですよ」
「なるほど」
アクビ交じりの瑞穂の弁を聞き終えた和田マネージャーは、納得した、といった様子で顎に手をあてた。
「まっ、朝礼までには何とかしますから、出来ればそっとしておいて下さいよ」
両腕を高く上げて伸びをしながら、瑞穂は和田マネージャーへと向き直る。
「朝にシャワー浴びたりとか、野菜ジュース飲んだりとか、柑橘系の香水つけたりとか。
こっちも、気を引き締めるように、それなりに色々何とかしてますんで」
「あっ、そういえば確かに今日の高畑さんは、いつもとは違う匂いがするな」
和田マネージャーが、鼻をひくつかせる。
「でしょ」
その和田マネージャーの言葉に、瑞穂は気持ちを汲み取ってくれた、というのもあってか、口角を上げ、八重歯を見せる。
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