09 荒野の果てに

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09 荒野の果てに

 ()けつくような夕陽に向かって、フェルームが脇目も降らずに進んでいく。カムランはその後を、ただ必死に追いすがるように歩いた。心なしか先程からフェルームの歩みが早く、気を抜くと置いてけぼりを食いそうな勢いなのだ。  そうして荷馬車隊から少し離れた崖の上までやって来た時、フェルームは今度は不意にその足を止めた。崖には先客がいて、穏やかなハズなのに何処か不気味な表情をして谷底をのぞき込んでいた。それは、あの青年騎士だった。 「まだ、飽き足りませぬか」  フェルームの咎める様な口調に、青年騎士はこちらを振り返るなり笑顔の体裁をとる。が、いくら取り繕ってみても、もはや彼の笑みはひどく歪なものにしか見えなくて、カムランにはそれが思った以上にショックで仕方なかった。 「下手人は、そなたですな」 「は、ははっ。お坊さま、いきなり何を申される」  青年騎士はそれでも貼りつけた笑みを崩そうとはしなかった。 「私は見ての通り、手傷を負わされた身。今も逃げたあの男の行方が分からぬか目を凝らしておったところです」 「もうおそらく、あの芸人も生きてはおりますまい」  フェルームは冷ややかだった。 「大方、その崖下にでも投げ捨てたのでしょうな。過去を償って懸命に生きようとする者に、この上無実の罪を着せて殺すとは何たる惨いことを」 「ご勘弁願いたいな。お坊さまは、私が見せかけの武器しか持たないのをお忘れか。それとも何か証拠でもお在りか?」 「なれば、これを今そなたにお返ししよう」  フェルームがぞんざいに、何か手のひらサイズの物体を青年騎士に投げて渡す。相手が受け取る際の動きを見て、カムランも違和感に気付いた。まるで腕の痛みなど存在しないような、素早い動きだ。  青年騎士に返されたのは、例の火魔法石だった。 「そなたは確か、北国の生まれゆえに寒さには強いと、自ら申しておりましたな。だが拙僧の知る限り、火魔法石を肌身離さず持ち歩くのは例外なく、寒さに耐性の無い者か、さもなくば常日頃から極度の低温に晒される者ばかり。何故そのようなものを身につけていた?」 「……人聞きが悪いですな、お坊さま。如何に私とて、耐えられない程の寒さに直面することはありまする」 「それは例えば、氷結の術を使う時ですかな」  カムランの中で咄嗟に、番頭マギークの殺害現場に漂っていた異様な冷気が思い返される。カムランにもその瞬間、フェルームの指摘する犯行の詳細がおぼろげながらも浮かび上がってきて、同時に青年騎士と交わしてきたこれまでの会話全てが一転して何か恐ろしいものだったように感じられ始めた。 「実に巧く考えたものだ。馬車の出入りをして最も目立たぬ位置に陣取りながら、犯行の手口を絞り込ませることで自らの嫌疑が真っ先に外れるように誘導する……だがそれも、虚空から凶器を生み出せるとあらば、話は違ってくる」 「それで、どうなされる?」  青年騎士が今度こそフェルームとカムランを真っ直ぐに見つめ返してくる。が、もはやその瞳は笑ってはいなかった。 「たかが坊主一人の自己満足のため、偉大な正義が為されるのを阻止するおつもりか。全ては世のため人のため」 「言ったハズだ」  フェルームは揺るがなかった。 「殺しで為せる正義などありはしないと」 「いいや、ある!」  青年騎士は目を剥いて叫んだ。 「我が誇り高き一族は食うも困るほどに落ちぶれた。一方でザックラーの様な無能が蔓延っておるのはそこに策謀が、不正義があるからだ! そのような不正義は正されねばならぬっ!」 「何の罪科(つみとが)もない赤子を、死に追いやることが正義か」 「だからどうした。所詮は不義の子っ!」  青年騎士のそれは殆んど絶叫に近かった。 「存在すること自体が正義にもとるというものだ! あのマギークが私に協力を申し出たのも、元をただせばそのためよ。あの男は自ら進んで、この王国が正義を取り戻すための礎となったのだっ!」  大量のツバと共にあらん限り妄想を吐き散らかし、肩で息をする青年騎士に、フェルームは何処までも悲しそうに首を振った。 「褒められないにせよ……あの悲痛で歪な伴侶への愛が、そなたは分からぬと申すのか」 「もはや何を言っても無駄なご様子」  先刻を遥かに上回る強烈な冷気が青年騎士より発せられて、カムランは反射的に身を震わせた。眼前で青年騎士がハリボテの剣を抜き放つと、バキバキと身の毛もよだつ音を立てて鋭利極まる氷の刀身が形成され、カムランたちへ向けてギラリと光ったのだ。 「どの道、それほど勘付かれては生かしておく訳にはいかぬな」 「カムラン様、どうか下がってお待ちを」  フェルームが背中越しに言ったのを聞くも、カムランは足がすくんでしばらくそこから動けなかった。フェルームが合流した時と同じように首のクロスを外して右手から提げると、その表面が鈍い輝きを纏った様に見えた。 「殺しで為せる正義はない……だがこの愚かな連鎖を止められるならば、拙僧は今一度、悪に返りましょうぞ」  カムランが数歩後ずさるのと殆んど同時に、青年騎士とフェルームがお互い目掛けて疾走を開始した。狂気の雄たけびと共に振り下ろされた氷刃をフェルームがかいくぐると、反撃だとばかり紐に繋がったクロスが弧を描いて青年騎士の腕をかすめた。  頬から血を流したフェルームに向き直って、今一度斬りかかろうとしたその時、青年騎士に異変が起きた。まるで急に力が入らなくなったように、振りかぶったばかりの剣を地面に取り落としたかと思うと、利き腕を激しく痙攣させ始めたのだ。  やがて真っ赤に腫れ上がったその腕から、爆発同然に血液が噴き出してそこら中に飛散し、青年騎士は絶叫しながら転倒、身悶えを繰り返した。 「な…………!?」  カムランには一瞬のことすぎて、何が起きたかすら分からなかった。それは青年騎士も同じことで、無言でつかつか歩み寄って来るフェルームを見て、今やあからさまな恐怖すらも顔に浮かべていた。 「きさ……貴様ぁっ、一体何をしたっ!?」 「そなたの身に流れる血を、我が術によって本来とは逆の方向へ導いた」  フェルームは淡々と告げる。 「安心めされよ。早急に手当てをすれば死にはしない。そして己が罪を認め、この先一心に、償いをして生きるのだ。拙僧のように」 「黙れッ、こんなハズはないッ、有り得ないッ!」  青年騎士はこの期に及んで喚き散らしていた。 「回復術で血を操るなど聞いた事が無い、あったとして私に効くハズがないっ、私には精霊のご加護があるのだ、水の精霊のご加護がァァァッ!」 「回復術などではない。拙僧のこれは、鉄と語らう土の術」  フェルームは驚愕の真実を言った。 「目に見えぬ程小さく、しかし無数の鉄が人の血には通っている。罪を重ねた拙僧は、かつて氷地獄の底で命を救うべくこの技を用いよと、精霊の導きにあったのだ」 「あああああああああッッッッッ!」  青年騎士が無事であった方の腕で拾い上げた氷刃を、とうとう我武者羅に振り回し始めた。理解を超えた事態の連続に頭が許容限界を迎えたのだ。  フェルームが飛び退いたスキを見計らって走って逃げようとしたが、そちらに足場は続いていなかった。崖から足を滑らせた青年騎士は恐ろしい悲鳴を残して、あっという間に谷底へと真っ逆さまに落ちていった。叩きつけられた五体のバラバラに飛び散る音がしたが、カムランにはそれを確かめに行く勇気は、もはや無かった。 「……あの者は」  フェルームは立ち尽くす様に言った。 「きっと自分でも気づかぬ間に、罪の重さに押し潰されていたのだ。偽装工作だったにせよ、赤子と母のため火魔法石を差し出したのが何よりの証拠」 「フェルーム殿」 「拙僧はあの男を救いたかった。救わねばならなかったのだ……」 「いえ……フェルーム殿はあの男を救ったのです」  カムランは思わず、考えるよりも先にそう口にしていた。 「殺戮を続ける宿命の輪から、解き放ってやったのです」 「カムラン様は、拙僧を過大評価しておられる」  いつかと同じようにフェルームは言って、こちらを振り返った。  半ば落ちかけた陽がその表情を影で染め上げ、カムランには笑っているとも泣いているとも判別がつかない。が、却ってそれで良かったのかもしれないと、カムランには漠然とだがそう思われた。今のフェルームの顔を、何故かカムランは見たくないと思った。 「人殺しは所詮、人殺しなのですよ……」  やがて訪れた夜の闇に、フェルームの言葉はそっと沈んで、消えていった。 (おわり)
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