02 望郷の旅・前編

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02 望郷の旅・前編

 王都勤務の官吏カムラン・メインは真昼間から途方に暮れていた。  ある日突然に王国最北端への出張を言い渡され今日で七日目、報告書の作成も遂に終わって肩の荷が下りたその途端、今度は早々に王都帰還を命ぜられたのだ。  楽しみにしていた温泉巡りも泣く泣く断念した上、経費を削減せよとのお達しから尻が痛いのも我慢して民間の荷馬車隊に同乗したら、今度は御者の急病とかで町を遠く離れたところで立ち往生に遭ってしまう有様。  このままではいつ王都に帰れるか分かったものではなく、上司からのネチネチとした叱責を想像してカムランは胃の痛みを覚えるほどだった。もう踏んだり蹴ったりである。  そんな訳でカムランが一時馬車を降り善後策を思案していると、近くの木立からひょっこり顔を出した僧衣の男が、彼に向かって親しげな様子で近づいて来た。 「もし、ひょっとするとカムラン様ではありませぬか」 「そういうあなたは、フェルーム殿ではないですか」  これぞ天の助け。カムランは思わず喜色を湛えてフェルームと呼んだ男に駆け寄った。 「お懐かしいですな。サラズでの事件以来になりますか」 「カムラン様こそ、ご壮健な様子で何よりで御座りまする」  フェルームはそう言って坊主頭をつるりと撫でた。いつも飄々とした笑みを浮かべていて、一見すると何を考えているやら常人には見当がつかない。 「それよりどうも、お困りのように見えますな。一体何があったか、お教え下さらぬか」 「そう、丁度良いところに来てくださった。御者の体調が思わしくないようなのです。どうか診てやってくれませぬか」 「なに、お安い御用で」  カムランはフェルームを、十両編成で並ぶ荷馬車隊の先頭へと案内した。  大勢いる御者の囲いを分けて進み出ると、その中央に年老いた男がひとり、ひどく苦しげな様子でうずくまっていた。この荷馬車隊を頭として率いる、最も古株の御者だという。  心配そうな表情を浮かべる人々を余所に、フェルームは御者頭の傍に屈み込むといくらかの触診をした後、首にかけたクロスを手に取って再び相手に触れた。 「火と、水と、風と、土の精霊の御名のもとに。彼の者の苦しみを除き給え」  四大属性の交差をシンボライズした聖具がぼうっと光り輝き、やがて消える。すると御者頭の顔色が素人目にも分かるぐらい、見る見るうちに良くなって、遂には自力で立ち上がれるまでに回復したではないか。相変わらず、惚れ惚れするような腕前だった。 「これで、当座のところは大丈夫であろう」 「おお、お坊さま。なんとお礼を申し上げてよいやら」 「なんの、なんの。それに拙僧がしたのは応急処置に過ぎぬ」  フェルームは念を押す様に言った。 「次の町へ着いたら今一度、きちんと医者に診てもらうのが良かろう」 「いえ、実を言うと私は水の適性が弱く、回復術が殆んど効きにくい体質なのです。これほど私を快癒させて下さったのは、後にも先にもお坊さまが初めてでして……」 「なればそれは、大いなる精霊の導き。そなたは今後も、日々を勤勉に励むのが良かろう」 「重ね重ねのご親切、真に……」 「礼には及ばぬ」  平伏する御者頭の肩を叩き、彼は何でもない風に言った。 「迷える者に手を差し伸べるのは、僧籍の務め。ではこれにて御免」 「あっ、フェルーム殿、どうかお待ちを」  それまで黙って見ていたカムランだが、顔馴染があっという間に立ち去ろうとするのを前に正気に返り、慌てて引き留めにかかった。 「何処へ向かわれるのか存じ上げぬが、もしも王都の方面ならば道中ご一緒しませぬか。この季節、徒歩は何かと物騒です故」 「ですが拙僧は托鉢をして生きる身の上。生憎と持ち合わせが御座らん」 「乗車賃ならば私が持ちましょう。ここで再会したのも何かの縁」 「いえいえ、滅相も無い!」  助けられたばかりの御者頭が大急ぎで言った。 「助けて頂いた訳ですから、お代は結構でございます。それに私自身、せめて次の町まででもお坊さまがいてくれた方が安心できますので、どうかここは……」 「ふむ、そういうことなら少しだけの間、御厄介になりましょう」  フェルームは納得してくれたらしく、カムランたちに軽く微笑み返すように頷いた。 「旅は道連れ世は情け……そう申しますからな」  カムランの終始ひとりぼっちで忙しない旅に、こうして帰り道だけとはいえやっと共に行く相手が見つかった。それもカムランが心から尊敬してやまない人物との二人旅。これだけでも出張させられた甲斐があったと、カムランは内心ほくほくしていた。
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