03 望郷の旅・後編

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03 望郷の旅・後編

 幌の裂け目をくぐって荷台へ戻ると、カムランと同じく王都方面に向かう大勢の乗客が目に入った。  ここジパン王国では領内を周回する民間の荷馬車隊が、荷台の空きスペースを利用し一種の旅客運送をやることが珍しくない。商売としては片手間だし、先程の様なトラブルも多いが、安価で気軽に遠出が出来るため、身分問わず常に大勢の利用客がいた。 「各々方、安心めされよ。問題は解決した」  カムランは乗客一同がこちらを見るのに気付き、如何にも役人らしく言った。 「この馬車は、もう間もなく動き出す」 「結局、原因は何だったのでございますか?」  荷台の出入り口付近にいた、やや太めの身なりの良い男が不安そうに訊ねてくる。  この男、ついさっきまでは見なかった顔だ。状況が知りたくて別の荷台から移動してきたのだろうか、とカムランは少しだけ首をひねった。 「御者頭の急病だ。もうだいぶ年を召されているからな。とはいえ、もう大丈夫だ」 「失礼ですが、こちらの方は?」  男はフェルームをちらりと盗み見て言った。どうやら彼を警戒しているようだった。 「私の顔馴染の僧侶だ。御者頭を治して下さって、しばらくこのまま同行されることになった」 「はぁ……まあ、そういうことなら良いのですが」 「拙僧が何か?」 「いえ、こちらの話です。お気になさらないで下さい」  そう言って男は入れ替わりに外へと出ると、何かぶつぶつと考え事をしながら、やはり別の荷台の方に去って行ってしまった。  よく観察してみると、彼が乗り込んだのは全体が緑色をした特別製の荷台――グリーン馬車だった。比較的貴重な品物や、金持ちの移動の際によく利用される、風魔法の防御が施された馬車である。大方、あの男は大商人か何かだろう、とカムランは思った。警戒心が強いのも、商売上の理由なのかもしれない。 「けっ、チンタラしやがってぇ! だから安馬車なんて乗るモンじゃぁねンだっ!」  荷台の奥に座っていた男が、いきなり赤ら顔で怒鳴り散らしたのでカムランは思わず表情を硬くした。真昼間から酒を飲んでぐでぐでに酔っ払っている。すぐ近くの無関係な母子が見るからに怯えた様子になっていたが、カムランも正直逃げ出したい気分であった。 「よせ、みっともない」  正義感の強そうな青年騎士が、男と母子の間に即座に割って入った。身なりこそ質素だが、清潔感があって尚且つ意志の強そうな目つきをしている。 「ご老人が体調を崩されたのだぞ。それぐらいのことが、何故飲み込めぬ。眼前の女と幼子が怯えていることさえも分からないのか」 「なァンだと、このヤロ……」  再び大きな声を出そうとした酔っ払いだが、騎士が腰から提げた長剣の柄に手をかけたのを見て、たちまち声が尻すぼみになっていた。思いのほか小心者のようだ。 「ボク、ボク、コワクナイヨ! ボクニンギョウサンダヨ、ヨロシクネッ!」  幼い少年を気遣ったのか、その更に隣に座っていた芸人風の男が人形をカタカタ動かして、少年の和やかな笑顔を引き出そうとしている。どうやら彼は腹話術師のようだ。母親も息子の表情が解れたのを見て、少しホッとした様子だった。 「ダンナ、ダンナ、そいつぁひょっとして王都のチゴヤ酒ですかい」  別の男は、件の酔っ払いに気さくに話しかけたりなどしている。 「ダンナ、お目が高いね。あっしは王都に出稼ぎに行くんだけども、美味い酒が飲める場所をまだ人づてにしか知らねえんで。良かったらダンナ、向こうに着いたら連れてって下さいよ、ねぇダンナ」  出稼ぎだという男は成程、身なりはみすぼらしいが陽気で処世術に長けているようだった。酔っ払いをおだてて気をよくさせ、いつの間にか話題の矛先を逸らせてしまっている。  この男、出世しそうだなとカムランは漠然とだがそう思った。 「世の中、生き様が無数にあるものですな」  フェルームが目を細めて、しみじみとした風に言った。 「何にせよ、人々の心が通い合うのは良いことだ」  そのうち荷台がガタゴト揺れて、馬車が動き出したのが分かったので、カムランはフェルームと共にその場に一旦腰を落ち着けることにした。 「時にフェルーム殿、こんな辺境の地で一体何をしておられたのです」 「巡礼ですよ、カムラン様。拙僧のすべきことは今も昔も変わりませぬ」  フェルームは微笑みを絶やさぬまでも、急に何処か遠くを見る様な、寂しげな目で言った。 「知っての通り、拙僧は罪人(つみびと)です故」 「何を申される」  カムランは逆に、驚きに目を見開く様にして言った。 「王都でのあの一件、もしフェルーム殿が真相を見破って下さらねば、今頃は卑劣な上司の身代わりにされ、私の胴体と首はこうして繋がってはおりませぬ。昔がどうあれ、私にとってのフェルーム殿は命の恩人」 「カムラン様は、拙僧を過大評価しておられるのですよ」  フェルームは苦笑気味だった。  数年前、カムランは王都・イェドゼンで起きた殺しの下手人としてあらぬ嫌疑をかけられたことがある。その冤罪を晴らし、真犯人が汚職に関わっていた上司であることを暴いてくれたのが、当時既に僧籍にあったフェルームだった。以来カムランは彼に崇敬の念を抱いている。フェルームの暗い過去について知った後も、その念は少しも揺るいでいない。 「カムラン様こそ、今回はどういった目的で旅をされておるのです。見たところ、まだ公務を続けられているようだが」 「この地方で新たに見つかった、水の魔法石の鉱床調査をするよう仰せつかったのです。上司直属の特命といえば聞こえは良いが、要は露払いに過ぎませぬ」  生まれつき神経の細いカムランは、何かと他者からナメられやすいところがあった。冤罪の標的にされてしまったのも、思えばそういう性格が原因のひとつでもあったのだろう。上司が変わって尚、待遇が改善したとは言い難い状況が続いているのが哀しかった。 「相変わらず、上司に手こずっておられるのですな」 「俗人も、なかなか苦労が絶えなくて困りものです。時々フェルーム殿が羨ましくなる」 「いっそのこと、カムラン様も出家なされては如何か?」 「一考の余地ありというのが、これまた手痛いところですな」  カムランはフェルームと共に他愛のない会話で笑いあった。  荷台の外で小刻みに揺れながら流れていく北国の情景を眺めていると、次第に日常の些事が何もかもどうでも良くなってくる気がする。この平凡で安上がりな贅沢を王都の上司は決して知ることはないのだと思うと、カムランはそれだけで胸のすく想いだった。だが同時にこんな機会をくれたことに感謝してやりたい、という不思議な気持ちにもなった。  カムランの旅のラストスパートを彩るように日は刻々と沈んでいき、一面の山林が茜色に染め上げられていった。
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