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06 旅囚・前編
「なんだって、冗談じゃねえ」
カムランとフェルーム、それに御者頭らによる報告を訊いて例の酔っ払い(とっくに酔いは冷めただろうが)をはじめとする乗客たちは色めき立った。
「この中に、人殺しがいやがるってぇのか」
「あくまでその可能性が高い、という話だ」
カムランは宥めようとするが、乗客たちは一向に静まらない。それはそうだろうとカムラン自身も思う。旅は道連れ世は情け、などと昨日フェルームは呑気に口にしていたが、誰だってこんな物騒な道連れは御免被るだろう。
「もしこの中に下手人がいるなら、悪いことは申さぬ。勇気を持って名乗り出るのを勧める」
フェルームは例の脅迫状を一同の前で見せ、念を押すように言った。
「手紙の主と下手人が同一だったとしよう。殺しで為せる正義などありはしない。断言しても良い。あるいは下手人が、手紙の主に雇われた刺客だったとしよう。拙僧に言わせれば、このような雇い主に義理立ての価値があるとは思えぬ。仮に真相を暴露したとて、その者の誇りに傷をつけることは決してないだろう。何にせよ……」
黙りこくっている一同を再度見回し、フェルームは一旦大きく息をした。
「今からでも遅くはない。悔い改めようとする者を、精霊はお見捨てにならぬ。無論、拙僧も同様だ」
「ケッ、笑わせちゃいけねぇよ坊さん」
酔っ払いがいきなり余計なことを口走った。
「いくら悔い改めたって人殺しは所詮、人殺しじゃあねェか」
「お役人やお坊さまに、あまり無礼な口を利くものではない!」
青年騎士が堪りかねたという具合に口を挟んで来た。
「大体お主、昨日の晩から今朝にかけて一体何度ここを出入りした? 私は出入口のすぐ傍に寝ていたから、ずっと気になっておったのだぞ」
「何を言ってやがる。こちとら酒のせいで、小便が近かっただけだ」
「どうだか。今にして思えば怪しいものだ」
「なんだと、てめぇ黙って聞いてりゃ俺ばっかり目の敵にしやがって!」
酔っ払いが、黙るどころか吼え猛る。
カムランは漠然とだが、少なくともこの男には無理ではないかという気がした。あるいは、意図的にそう見せかけているだけなのか。
「だったら女とガキと芸人野郎はどうなんだ? 近頃は子連れの盗賊もいやがるってぇからな、信用ならねえぞっ!」
「拙僧の見立てでは、この親子は少なくとも無実だ」
先程からすっかり怯えきっている母と幼い少年を見かねたように、フェルームがそっと歩み寄りながら言った。膝を折って彼らの肩にそっと触れると、少しだけ母子は安心したようにも見えた。
「拙僧が一晩中、すぐ隣に座っていた。無闇に動き回れば嫌でも分かる。それに……」
フェルームは一旦、言葉を選ぶようにしてから母親の方に言った。
「そなた、おそらく身重であろう? 腹の膨らみからして、少々不安定な時期に見えるが」
カムラン含め男ばかりの乗客陣は一瞬ぎょっとしたが、母親自身が遠慮がちに首肯するのを見て思わず、直前までの敵対感情も忘れてしまったように互いに顔を見合わせた。
「拙僧の知る限り、如何な刺客とはいえ腹に子を抱えて、大の男を仕留めに行くとは思えぬ」
「腹の子を守る母性ゆえ……ですか」
思わず訊ねてしまったカムランに、フェルームは静かに首を横に振って苦笑した。
「己が返り討ちに遭ってしまうからですよ、カムラン様」
「そもそものところ」
青年騎士が素朴な疑問を口にした。
「殺しの手口はどうなっておるのです?」
「見立てが正しければ、鋭い刃物のようなもので逆袈裟に一刀両断――」
フェルームがそこまで言った瞬間、全員の視線が一斉に青年騎士と、彼のその腰から下がる長剣に注がれた。車内の乗客すべてが荷台の縁に後ずさるのを見て、青年騎士は困った風に顔をしかめてから、その剣の柄に手をかけようとした。
「最後まで隠しておきたかったが……」
カムラン自身も一瞬身構えたが、彼が鞘から抜き放ったものを見てたちまち拍子抜けする。
「柄のみのハリボテではないか」
そう、青年騎士は一見立派そうな剣を携えているが、それには見事なまでに刃の部分だけが無かったのだ。本人はなんともバツの悪そうな顔を浮かべていて、
「いや、恥ずかしながら困窮のあまり、刃だけを質入れしてしまったのです。格好がつかないから、帯剣しているようには見せかけておりますが、実際は御覧の有様でして」
「なっ、なんでぇこの野郎。脅かすないっ!」
昨日から散々脅しつけられた酔っ払いが、腹いせのように喚き立てる。だが今となっては、青年騎士は申し訳なさそうに頭を下げるばかりだった。何とも人騒がせな話だ。
「だがこれで、無実というのは分かって貰えたかと」
「じゃあ後は、芸人野郎か。やいやい、さっきから黙ってばかりいやがって。ちったあ何とか言いやがれっ!」
ぶるぶると否定の仕草で抵抗する芸人を、酔っ払いは腕を掴んで強引に立たせようとしたが勢い余ってたちまちひっくり返ってしまった。この期に及んで声を出さない芸人にカムランは関心したが、それどころではなかった。芸人の右腕が、肩から丸ごとすっぽ抜けたのである。酔っ払いがうわあっと大きな悲鳴を上げていた。
この時初めて判明したが、腹話術を生業とするこの芸人男は、なんと片腕と両脚がまるまる義肢だったのである。
おっかなびっくりの周囲を余所に、フェルームは事もなげに近寄って義肢を拾いつけ直してやると、軽く断ったうえで芸人をくまなく身体検査した。
「少なくとも、義手や義足に仕込み刀の類は見受けられぬ」
どうやら彼も下手人ではないらしい。カムランはひとまずホッとしたが、フェルーム自身は何か別のことを気にしているようだった。
「如何なされました、フェルーム殿」
「いや……こちらの話だ。だがひょっとすると、そなた」
フェルームからじっと見つめられ芸人の男は不安そうにしていたが、やがて彼の側もあっと小さく声をあげた。何か、カムランにはよく分からない以心伝心が起きている。
「そんなことより、結局どいつが殺したんだ?」
酔っ払いが苛立ったようにフェルームを急き立てはじめた。
「この中にいるんじゃなかったのか。坊さん、まさかあんたじゃないだろうな」
「――馬鹿なことを申すなっ!」
柄にも無く声を荒げたのはカムランだった。
予想外の剣幕に酔っ払いどころか、他の客まで怯んでしまったのを見て、カムランはハッと我に返って目を背ける。神経が細い者特有の不意打ち的な爆発を、何も今起こす必要はない。これではまるで、後ろめたいことがあると宣言しているかのようではないか。
「なっ、なんでえ……試しにちっと訊いてみただけじゃねえか……」
「カムラン様、落ち着かれよ。拙僧は気になどしておらぬ」
「う……いや、しかしですな……」
「もし、大変でございます!」
そこへ、例の番頭が再び血相を変えて飛び込んで来た。
「改めて馬車を調べてみましたところ、旦那さまの財布がどこにも見えなくなっております。おそらくは、下手人が持ち去ったものかと」
「なんと。では例の手紙は無関係だったと申されるのか」
「もしや、単なる物盗りの犯行だったのやも」
「いや、まだ分からぬ。そう見せかけるため、敢えて持ち去り水辺に捨てたという可能性も」
ガシャン、ジャラジャラッ!
突然あまりに露骨な音がして、一同の視線が立ち上がりかけて床に倒れた芸人に降り注ぐ。どうやら義肢が緩んで外れてしまったようだった。
問題はそこから出てきたものだった。芸人の義肢の中に、銀貨や銅貨が大量に詰め込まれて隠されていたのである。これには誰しも仰天したが、それを必死にかき集める芸人に気付いて一斉にその表情が険しくなった。
「さては、お主の仕業だなっ。神妙にせよっ!」
「チガウ、チガウヨ、ボクジャナイッ!」
「何が違うってんだ、気持ちの悪い声なんかしやがってっ!」
「ボクジャナイッ、ボクジャナイッ!」
腹話術と同じ甲高い声で無実を訴える芸人を、青年騎士が剣の柄で押さえつけ、酔っ払いがたった一本の生身の腕をねじり上げる。カムランは、ただただ戸惑うばかりだった。
「しばし、しばし待たれよ。妙だとは思いませぬか」
一方でフェルームは、散らばった貨幣を一枚一枚、手にとり一同に示しながら言った。
「この者が隠し持っていたのは、いずれも銀貨や銅貨ばかり。殺された男の財布から盗んだにしては、金貨が一枚もないのです」
カムランは言われて初めて、そのことに気が付いた。確かにあれだけの大商人なら、こんな小銭ばかり持ち歩かず、もっと大きな単位を所持している方が自然だ。
「そなたに訊きたいが、何故そんなところに金を隠した? 正直に答えて貰えぬか」
「イッ、イチバンヌスマレナイ、カラッ」
「お待ちください! これは確かに旦那さまの財布でございます!」
すると番頭の男が、義肢の中から見つけたと言って茶色い革製の袋を頭上に掲げた。それを見て、御者頭も賛同するように強く頷いてみせる。
「確かにこれは、あの方がいつもお使いになっている財布です」
「どうやら決まりですな。この男は、次の町まで安全なところに閉じ込めておくべきだ」
「猛獣を閉じ込める、檻のついた荷台が後ろの方にございます」
「ボクジャナイッ、ボクジャナイッ!」
「大人しくしやがれっ!」
フェルームの説得もむなしく、芸人の男は大勢に押さえつけられ義肢をもぎ取られた挙句、がんじがらめにされ荷台から連れ出されてしまった。カムランはフェルームを信じたかったが状況を覆す証拠もなく、少なくともそれ以上芸人の男が乱暴にされないよう、後についていくことしか出来なかった。
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