07 旅囚・後編

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07 旅囚・後編

「フェルーム殿は、あの男がくすねた金子を隠していると見抜かれていたのですか」  ついて行く道すがら、カムランはこっそり耳打ちするようにフェルームに訊ねた。 「先程、何かに気付かれたご様子でしたが」 「いや、そうではないのだ。カムラン様には話しても構わぬと思うが……実はあの男、ずっと昔に会ったことがある。拙僧がまだコキュート山の魔石鉱床で労役に服していた頃だ」 「あの悪名高い氷地獄ですか!? ならあの男は……」 「拙僧と同じで元は重罪人……確か盗賊の一味であったと記憶している。あの手足はおそらくだが、凍傷のために切断を余儀なくされたものに相違ない」  コキュート山は国内でも特に有名な流刑地のひとつである。流人の大半が魔法石の採掘に従事させられる点に加え、国土の最北端に位置することから年中低温の環境に晒され、凍死者が続出する点でもその悪評をほしいままにしている。  だがカムランには少々疑問も生じる話だった。というのも水の適性が弱く回復術が効かない体質と零していた御者頭のように、持つ属性の強弱によって人は特定環境下の生存率が大きく変化することがある。つまり回復術の大半を占める水の適性をフェルームが持っているなら、氷地獄でも容易に生き延びられてしまうから苦役の意味を為さず、そもそも流刑地に選ばれること自体が有り得ないという理屈だ。  フェルームが人を癒す光景を幾度か目撃してきた手前、彼が強い水の適性を持っているのはカムランにも疑いようがない。かといって、たった今訊いた氷地獄の話が偽りとも思えない。すると結局のところ、フェルームの駆使する回復術は何なのか、という根本的な疑問が生じてしまう。カムランにはもはや何が何だかよく分からなくなっていた。  芸人の男を檻に入れ、元いた馬車まで戻って来た番頭の男は周囲に口々に礼を言って、頭を下げて周っていた。無論、カムランとフェルームも例外ではない。 「お坊さま、お役人さま、何はともあれ誠に感謝いたします。ひとまず下手人を挙げられただけでも、旦那さまの供養になるというもの。今後のことは、帰ってから商会の者たちとじっくり相談して決めまする」 「そなたにひとつ、訊いておきたい事がある」  フェルームは単刀直入に切り出した。 「そなた、ひょっとすると本名はマギークと申すのではないか?」 「やや、驚かれましたな。確かに私の名はマギークですが、それがどうかなさいましたか」 「やはりな」  フェルームは得心がいったようにひとり頷いた。 「もうひとつ訊ねたい。拙僧どもと同じ荷台に乗っている親子……あれはマギーク様の奥方とご子息でございますな」  カムランの目にも、明らかにそれと分かるぐらい番頭の顔に動揺が走った。だが男は必死にそれを悟られまいとしているのか、努めて平静を装うかのように訊き返してきた。 「……なぜ、そうお思いに?」 「母と幼子のふたり連れ、それも母の方は身重でこの季節に旅などしている。それほど危険を冒すならば、何か事情があると考えるのが自然なこと。だが拙僧は気付いたのだ……表向きは素知らぬフリをしているだけで、この道連れの中に夫が紛れているのではとな。その可能性を示唆したのが、そなたの不自然な言動だ」 「私めが、一体何をしたと申すので?」 「そなたが当初、出稼ぎであるなどと身分を偽ってここにいた理由が何であったか、もう一度聞かせてはくれぬか」 「ですから、旦那さまが脅迫に遭っていたため、怪しい者が紛れておらぬか警戒を……」 「ならばどうして、あの商人は馬車が停まってしまった時、安全なグリーン馬車からわざわざ外に出てここへ来ていたのだ? 身の危険を覚える程、切迫していたというのに」 「それは……」 「拙僧の見立てでは理由は明白。そなたが敢えて、状況を伝えに行かなかったからだ。もっと言えば、下手人に標的の居場所を確認させるため、いわば誘き出したのだ」 「なっ、なんということを! いくらあなた様であっても……!」 「では言い方を変えよう。主人の安全を守れと命を受けた男が何故かその使命を全うしようとせず、一方では偶然居合わせただけの母と子を守るため、何をするか分からぬ酔っ払いを率先して引き受けようとする……これが示唆するのはふたつ。その男は父親で、主人の安全は左程重要では無かったのだ」 「……まだ、私めの名前を何処で知ったのか訊いておりませぬ」 「あの母親が、寝言で誰かに許しを請うておったのだ。『お許しください、マギーク様』とな。では一体何を許してもらおうというのか? それも、おおよそ見当はついている」 「なんですと」 「そなたの主人が昨日、ここへ姿を見せて去っていった時……そなたは無自覚であったかもしれぬが、射殺すような目つきで主人の背中を見つめておった。妻の方は反対に、まるで苦痛であるように目を背けていたが」  カムランは息が止まるかと思った。それは要するに、商人と番頭との間で一人の女を軸に、主従の垣根を超えた生々しい感情の交差があることを示唆しているからだ。  そして実際、番頭の男はずっと押し黙ったままでいた。 「少々酷な質問になるが、あの腹の子は果たして誰の――」 「――もうおやめくだされっ!」  番頭がとうとう耐え切れなくなり、俯いたまま大声を上げた。だだっ広い荒野を悲鳴の入り混じった怒りの声が駆け抜けていく。  何かただならぬ雰囲気を覚えたか、御者頭がこっそり戻って来て物陰からこっそりこちらの様子を窺ったりなどしていた。それを目の端に捉えたフェルームが、静かに頭を下げる。 「……これは失敬」 「お坊さま……あなたは一見慈悲深いようでいて、本当はとても残酷なお方のようだ……」 「どう思われても構いませぬ。拙僧が望むのは、ただ真実が明らかになること」  フェルームは遠慮なく続けた。 「下手人とされたあの男が本当にそうなのかどうか、いやそもそも例の脅迫状が本物かどうかすら、拙僧に証明の手立ては御座いませぬ。拙僧に出来るのは、おそらく全ての絵図を存じておられるそなたが証言するまで、絶えずその外堀を埋めていくこと」  フェルームは再び少し、御者頭の方を横目で見て言った。 「例えばあの者が腹痛を起こす少し前、そなたは何か菓子折りのようなものを差し入れたそうですな。元より贔屓にしているから、何を真っ先に口にするのか分かっておられたとか」 「……話すべきことなど、何もございませぬ」  番頭は遂には顔も上げず、さっさと荷台に乗り込んでいってしまった。 「……お言葉ですが、フェルーム殿」  カムランはもう、堪らなくなってフェルームの背中に言った。 「あなた様のように、そう誰も彼も悔い改めるとは限らないのではありませぬか? 人は皆、それほど強くはありませぬ」 「だとしても、出来ることなら信じてやりたいのだ。そしてもし過ちを乗り越えて、なお生きようとする者であれば、その前途に影を落とすことは防がねばならぬ」  フェルームの言葉は、何処か自分自身に向いているようにも聞こえた。  カムランには何が正しいのかが、もはや分からなかった。ただ、先程ほんの一瞬であってもフェルームに疑念を抱いたことを、カムランは心底から恥じたいと思った。
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