08 やがて愛の日が

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08 やがて愛の日が

 陽の傾きかけた荒野をカムランたちを乗せた荷馬車隊は一直線に突き進んでいた。ここまで来ると荒地も殆んど終わりを迎え、徐々に入り組んだ峡谷地帯へ差し掛かって来る。あと少し進めば真隣のタイラー伯爵領だ。  突然、馬車が急停車をかけたことでカムランたちは慌てて近くのものに掴まった。が、母子だけは間に合わず床へ投げ出されそうになり、咄嗟に動いた酔っ払いに危機を救われていた。 「こんちくしょうめ」  酔っ払いが悪態をついていると、すぐさま若い御者が申し訳なさそうに荷台に顔を出した。 「危ない運転すんじゃねえっ!」  案の定酔っ払いは食って掛かった。 「腹ん中のガキにもしものことがあったらどうする気だっ!」 「先頭車両から停車の指示があったんです」  若い御者は酔っ払いを宥めるようにして言った。 「詳しい事情は知りませんが、頭がすぐにでも説明に来るハズです」  彼の言葉通り、少しすると御者頭がカムランたちの元へやって来た。 「困ったことになりました」  御者頭はしわくちゃの顔を不安そうに歪ませていた。 「つい今しがた風通信があって、我々が昨日発ってきた町で貴族殺しがあったそうなのです。それも、死んだのは領主のザックラー公爵様とか」 「ザックラー殿が殺された!?」  カムランは驚きのあまり頓狂な声を上げてしまう。  領主ザックラーは、公務で来ていたカムランが数日前まで会っていた人物だ。頼りになるかならないかで言えば確実に後者だが、一方でその飾らない性格が領民に親しまれていることで評判の絵に描いたような太平の男でもあった。そんな彼が殺されたというのか。カムランには俄かに信じられなかった。 「不審な者が乗っていないかと訊ねられたので殺しがあったことを伝えると、領主殺しと同じ下手人の可能性があるから、確認に行くまでそこから動くなと」 「何を馬鹿なこと言ってやがる」  酔っ払いが相も変わらず噛みついてみせる。 「次の町は目と鼻の先だ。すぐそっちへ行って役人に引き渡せば済む話じゃあねえか」 「我々もそう伝えましたが、亡くなられたザックラー公と次の町のタイラー伯は仲が悪かったとかで、相手の領地に入られては都合が悪いというんです。万が一にも勝手に動けば金輪際、公爵領の通行も商売も認めないと」 「冗談じゃねえよ、大体なんだって今頃になってそんな報せが来やがったんだ?」 「死体発見が遅れた上に、昨晩の強風の所為で風通信自体が乱れて届かなかったとか……」 「念のため、檻に入れたあの男を見張って来る」  青年騎士がその場にサッと立ち上がった。 「ふたつの殺しが同じ下手人とすれば、また何かしでかさないとも限らぬ」 「なれば、私もご一緒します!」  番頭の男と、青年騎士が連れ立って荷台を降り、芸人の男を閉じ込めた後方の馬車へと走り去っていく。  と、今まで黙って宙を見つめていたフェルームが、ハッと何かを悟ったように後を追おうとした。が、酔っ払いが慌ててしがみ付くように、彼が離れるのを阻止しようとする。 「坊さん、待ってくれ。あんたがいなかったら、何かあった時この女と腹のガキはどうなる」 「お主、先程から何故それほどこの女を気にかける?」  カムランも流石に訊ねずにはいられなかった。 「今朝がたまでは、むしろ目の敵のようにしていたではないか」 「……俺のかかあとガキが死んじまったんだよぅ!」  酔っ払い男が突如として悲痛な声を上げ、それからとうとう何かが決壊した様においおいと涙を流し始めた。 「かかあが産気づいたって聞いて、故郷に飛んで帰ったんだ。そしたら生まれたばかりのガキは死んじまってて、かかあまで産後の肥立ちが悪いとかでぽっくり逝っちまった。頼むよう、坊さん! おれはもうそんなモン見たくねえんだよぉ!」  ただただ傍迷惑としか思っていなかった酔っ払いの予想外の告白に、車中の乗客らは一様に返す言葉を失くしてしまった。フェルームは、男の肩をそっと抱く様にして言った。 「そなたの気持ちは痛い程よく分かった。だがそれでも、今は行かねばならぬ。妻には夫が、子には父が必要だ。そして今、夫であり父でもある男が危険に晒されているのだ」 「ど、どういうことだよ坊さん……」  酔っ払いがキョトンとしてしまう一方で、母子の側は何を言わんとしているのか微かに察知した様子であった。 「マギーク様の身に何か……?」  その時、出入口の方でガタタッと音がして、見張りに行ったハズの青年騎士があろうことか血まみれの上に、フラフラとした足取りで帰ってきた。振り返って気が付いた車内の者たちは一斉に戦慄の表情を浮かべる。 「不覚をとった!」  青年騎士は片腕を庇う様にして馬車の縁にもたれて言った。 「あの下手人が逃亡を図ったのだ……私は怪我で済んだが、一緒に来た男と、近くにいた若い御者が一人やられた!」 「……遅かったか」  フェルームが誰へともなく呟いた。 「奴はまだその辺りにいるハズだ、外に出ない方がいいっ!」 「マギーク様が……!」  夫の訃報を突然聞かされ限界に達したのだろう。元々あまり顔色の良くなかった身重の女はとうとう、糸が切れた様にその場にくずおれてしまった。  これを見て血相を変えたのは、その息子と酔っ払いだ。 「おい!? しっかりしろ、しっかりしてくれっ!」 「母上っ、母上! 母上ぇっ!」 「いや待て待て、このままではいかん! ……見ろ」  フェルームが珍しく大きな声で、パニックになりかける一同を制す。理由はすぐに判明した……女の下腹部から真っ赤な血が溢れ出しているのだ。医学の知識が無いカムランさえ、その事態の深刻さは容易に理解することが出来た。 「このままでは母親の命も、赤子の命も危ない。助けねば」 「後生だ坊さん、何とかしてやってくれ!」 「全員、年のため馬車から降りて貰いたい」  フェルームは落ち着き払って言った。 「カムラン様は、この男と協力して酒と水を、それぞれ調達してきて頂きたい。確か向こうの馬車に積んであったハズ。事情を話せばきっと分けて下さるだろう」 「で、ですが外にはまだ下手人が……」 「そんなのがどうしたっ! 赤ん坊と母親だぞっ!」  御者頭が二の足を踏む様なことを言っていると、酔っ払いが涙と鼻水で顔中ぐちゃぐちゃにしながら吼え猛った。 「出ろっ、出ろっ、みんな外へ出ろっ! 人殺しがなんだってんだ。来るもんだったら、来てみやがれ、ちくしょうめっ!」 「大丈夫だ」  フェルームは何故かそれだけは強く言い切った。 「下手人はおそらく、襲ってはこない」  理由が気にかかったが、とにかくカムランはフェルームを信じることにし、酔っ払いと共に早速あちこちの馬車を駆けまわって酒と水、それに清潔な布など使えそうなものを片っ端から確保して回った。  青年騎士などは己も負傷しているのに自分は後回しで構わないと言った上、湯を沸かすのに使ってくれと所持していた火魔法石までも貸してくれた。 「大丈夫だ、母ちゃんも赤ん坊も助かる……あの坊さんがついてんだ、心配するない!」  手伝う事が無くなって手の空いた酔っ払い男は、馬車を出て不安そうにしている少年の傍にしゃがみ込んで、ひたすら励ますように肩をさすってやっていた。きっと自分に言い聞かせている部分もあるのだろう、とカムランは思った。  この少年に、いずれ父親の死体との対面が待つかと思うとカムランは心苦しかった。  マギークという名の番頭が胴を腰から真っ二つにされて、中身の空になった檻の傍で御者の一人と共に折り重なるように転がっていたのを、カムランは想起する。酒と水の確保に向かう途中で目撃したため、卒倒しそうになるのを必死に堪えたのだ。心なしか、その現場は異様に冷え切って感じられた。 「――っ! フェルーム殿!」  しばらくすると何の前触れもなくフェルームが馬車の外に出て来たので、カムランは弾けるように立ち上がって駆けつけた。 「結果は、如何しました」 「母親は無事だ……安静にしていれば、じきに回復しましょう」  フェルームは手を拭いながら、神妙そうに言った。 「だが、赤ん坊の方は助からなかった。生まれてくるのが早すぎたのだ」  悲愴な報せが一同にもたらされる。 「……いずれにせよ、拙僧の力が及ばなかった」  その瞬間、酔っ払いは崩れ落ちるようになってワーッと泣き出してしまった。かける言葉を持たないカムランを他所に、フェルームは男の前にひざまずき「あまり泣かれるな」と静かに言った。 「そなたの頑張りで、少なくとも片方は助けることが出来た。それに今辛いのは、そなたよりこの子供と、母親の方であろう」  それからフェルームは立ち上がって、カムランの方を見つめた。 「時にカムラン様、ひとつ確認したきことが御座います」
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