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この世の原子のほとんどは元々電子的に不安定と呼ばれる形で存在している。
例えばある原子は電子が8個入る枠を持ちながら、7つしか持っていなかったりする。そんな彼は他者から電子を奪い、普段よりも電子の多い負に帯電するという形で枠全てに電子を持って、電子的に安定した状態になろうとするのだ。中には8個の枠を持ちながら1つしか電子を持たぬものもいて、彼の場合は電子を他者に与え、電子が普段より少ない状態、正に帯電した状態で安定しようとする。
そう言った正に帯電したものと先の負に帯電したもの同士は、引かれ合いくっつき1つになることで更に落ち着こうとする。
この性質はほとんどの原子に共通している。すなわち彼らは常に安定を求めようとしているのだ。
それらが私達の全てを構成するのなら、なぜ私達は生まれては死ぬという変化を絶え間なくしていくのだろうか。種の存続が彼らの性質によりもたらされる、意思のように思える偶然であるのなら、種を存続させるということ自体が安定を意味し、生まれて死ぬということは変化を意味しない。では私達が生まれ、考え、行動し、生きたという変化は何も意味しないのだろうか。
それは個々に起きた変化であって、私達を構成するものが望む、種の存続という意味において何の変化ももたらすことはない、そうだとするのならば、やはり種を存続させることに私達の生きる意味があるのかもしれない。愛とは私達の生きる雄一の意味であり、この身がこの身に課した義務なのだろう。
しかし本当にそれ以外の行動や私の意思や感情、怒り、悲しみ、涙といったことに意味などないのだろうか?
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