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出逢い
会社に入社してすぐ、俺は自分の居心地のいい場所を見つけた。
大きな桜の木の下に置かれたベンチに腰を下ろし、誰にも邪魔されない空間を手に入れることができた。
人と関わることが苦手ということもあり、昔から一人で過ごすことに慣れていた俺は、迷うことなくこの場所で読書をして過ごすことを決めたんだ。
何日か経った頃……
一人の男が俺の前にあるベンチにゆっくりと腰を下ろすのを感じた。
チラッと視線を向けた俺の目に飛び込んできたのは、赤い顔をして恥ずかしそうに下を向いている君だった。
第一印象は……、正直わからない。
ただひとつ言えることは、そこに君がいることを嫌だと感じたことは一度もなかったということ。
何も話さず、何かをしているわけでもなく、君はただそこにいるだけ……。
本を読んでいるわけでもなく、時には思いっきり顔を空に向けて眠っていたりする。そんな風にコロコロ変わる表情を、毎日飽きずに俺はどこかで楽しんでいた気がする。
当たり前のように毎日同じ時間に同じ場所で過ごしていた。
それが俺の日常の一部になっていったんだ。
*********
満開だった桜がもうすぐ散ろうとしてる。
桜色で埋め尽くされていた木が、緑色へ変化していく。
君とはまだ話したことさえない。
俺は仕事が少し長引いていて、いつもの時間にあの場所へ行くことができていなかった。
ようやく一段落ついた時には、ずいぶんと時間が過ぎていて、普段は自分のペースを変えることなんてないのに、気持ちが焦る俺がいた。
少しでも早くあの場所へ行きたい……
君はきっといる……
あの桜の木の下に……
「会えないのかな……」
ふと風に乗せられて声が聞こえてきた気がした……
俺は、ゆっくりと君に近づいていく。
そして、スーッと静かに君の向かい側にあるベンチへと腰を下ろした。
自分がいつも読んでいるはずの本を持っていないことにも気付かずに……。
「あっ……」
俺の視線に気付いた君が、声を漏らす……。
置かれている状況が把握できない様子で、どうしていいのかわからず挙動不審になっている君を見て、思わず笑みが溢れた。
「毎日ここにいるよね?」
ずっと聞きたかったこと。
俺の視界に突然入り込んできたあの日から、君は一日も欠かさずここに来ていた。
自分から声を掛けるのには抵抗があったけど、自然と問い掛けていた。
普通ならあり得ない光景に、俺自身も驚きを隠せないくらいだ。
「あっ、はい……。僕、ここ好きで……」
「へえ……、俺もここ好きなんだ」
初めて聞いた君の声はハスキーで少し高いけど、心地よく感じた。
「あの、あなたはこの会社の?」
「社員だけど……」
「ですよね! 僕、戸田大輝って言います。あなたは?」
「田邊俊也」
戸田大輝……
心の中で名前をリピートする。
君を見かけた時から、不思議な感覚が生まれていた。
人との付き合いが苦手なのに、近くにいても嫌だと感じない。
むしろこの時間を楽しみにしている気持ちの方が大きかったかもしれない。
名前さえ知らずに流れる二人の時間は、きっと何かを意味しているのかもしれない。
話したいというよりも、ずっとこの時間が続いて欲しいと願っていた。
「これからもここに来ていいですか?」
真剣に問い掛けてくる君に、俺は自然と笑顔になり、
「もちろん!」
と、笑顔で答えた。
これから俺たちがどうなるかなんて誰にもわからない。
だけど、ほんの少しだけ近づくことが出来た気がしていた。
もっともっと君を知りたい。
もっともっと君と一緒にいたい。
今わかるのは、俺の中にある君へ対するそういう気持ちがあるということだけ……。
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