好きになること

出逢い

　僕には気になる人がいる。
　君はいつも大きな桜の木の下で一人静かにベンチに座って本を読んでいるんだ。
　君の姿を見つけたのは、僕がまだこの会社に入社して間もない頃だった。
　仕事が上手く行かずに一人で気分転換をしようとブラブラ散歩をしていた時、ふと足を踏み入れた一角で、君の姿を見つけた。
　一瞬で見入ってしまう。
　真っ直ぐに伸びた背筋、軽く組んだ足、本を持つ手、全てに目を奪われた。
　どの部署の誰なのかも知らない。
　それなのに、僕の心臓は君に音を立てて動き出した……。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　満開だった桜がもうすぐ散ろうとしている。
　ピンク色で埋め尽くされていた木が、だんだんと緑色へ変化していく。
　君とはまだ話したことさえない。
　だけど、今日も僕はあの桜の木の下へ向かう。
　そして、君の向かい側にあるベンチへと腰を下ろすんだ。
「あれ……？　まだ来てない……」
　いつもなら先にいるはずの君の姿がそこにはなかった。
　仕事が忙しいのかな？
　そんなことを考えながら、僕はベンチに座る。
　でも、しばらく時間が経っても君の姿は現れない。
　もうすぐここにいられる時間が終わる。
「会えないのかな……」
　ふと声が漏れた瞬間、かすかに近づいてくる足音がした。
　振り向かなくてもその足音が誰のものなのかわかる。
　スーッと静かに向かい側にあるベンチへと腰を下ろしたのが目に留まり、ゆっくりと視線を君に向けた。

「あっ……」

　そこには、本を開かずにこっちを見ている君がいた。
　置かれている状況が把握できない僕は、どうしていいのかわからず挙動不審になってしまう。
　そんな僕を見て、君が優しく笑った。

「毎日ここにいるよね？」
「あっ、はい。僕、ここ好きで……」
「へえ……、俺もここ好きなんだ」
　初めて聞いた声は、低くて心地よくて、スッと入り込んでくる感じがした。

「あの、あなたはこの会社の？」
「社員だけど……」
「ですよね！　僕、戸田大輝って言います。あなたは？」
「田邊俊也」

　田邊俊也……
　心の中で名前をリピートする。
　毎日ここに来るようになって、ずっと話したいと思いながら声も掛けられなかった僕だけど、君のおかげで話すことが出来たし、名前も知ることが出来た。

「これからもここに来ていいですか？」
　勇気を出して問い掛けると、君はニッコリと笑い、
「もちろん！」
　と、笑顔で答えてくれた。
　僕たちはまだ友達にもなれていないけど、少しだけ近づくことが出来たのが嬉しかったんだ。
　もっともっと君を知りたい。
　もっともっと君と一緒にいたい。
　これが恋かどうかを知るためにはまだ時間が必要だけど、少しずつ前に進んで行こう。