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汚れアイ 7
7
ゆっくり深呼吸して店の裏口に回った。
事務所に入ると、店長がパソコンに向かって缶コーヒーを飲んでいた。
いつも通り、胸がトクンと鳴って、その背中に抱きついてしまいたい衝動は健在だ。
だけど、それを堪えられたのは…
店長の左手の薬指に、クリスマスプレゼントに雪乃さんへ用意していたキラキラ光る愛の誓いを目にしてしまったから。
「おはようございまーす」
『あぁ、天、おはよう。昨日、大丈夫だったか?』
「…何がですか?」
俺はムッとしたまま呟く。
店長は苦笑いして、頭を掻きむしりながら言った。
『悪かったよ。燕さん押し付けちゃって』
「…構いませんよ。」
事務所を抜けてロッカールームに入る。
コートやリュックをしまいながら、着替えを済ませて、灰色の扉をバタンと閉めて責めるように呟く。
「マリッジリングみたいですね」
返事が暫く無くて、何となく満足気にほくそ笑んだ。
そうしたら、愛しい誰かを想いながら
『うん…結婚…したつもりだから』
なんて…。
返ってくる返事が、もっと自信のない物なら良かったのに…俺はイラっとしてしまって、ロッカールームから飛び出して店長のデスクを拳で叩いた。
バンっ!と酷い音がして、店長が呆然とする。
「どうぞお幸せにっ!!」
『天馬っ!』
「ついて来ないで下さいっ!!」
バタンと勢いよく事務所の扉を閉めて、店長を事務所に閉じ込めた。
つまらない嫉妬だ。
もうあの人が俺の手に入る事なんて絶対にないんだ…。
そんな事を考えたら、もっと泣いたり落ち込んで前が見えなくなるのかと思ったのに…俺は大きな声で怒ったせいか、すこしばかりスッキリしていた。
そしてどうしてだか、次に会う約束をしなかった燕さんの顔が浮かんで、心配になった。
"寂しい顔"
そう言った俺に、ヘラッと笑い、良い加減なかわし方をする燕さんを思い出す。
時間が来てフロアに出て円陣になる。朝礼をする店長をジッと見ていた。見ていたら、胸がもっとときめく筈なのに、どうもおかしい。
さっきから…燕さんの事ばっかり考えちゃう。
朝礼が終わり、俺は店長に近づくと彼のシャツを手で引いた。
『どうした?』
「あの…さっきは…すみません…」
店長はニッコリ笑って俺の頭をクシャッと撫でた。
ドキンと跳ねるはずの心臓が、その指にリングを見つけたせいか、静かにおさまる。
変わりに口を突いて出た言葉に自分でも驚いていた。
「燕さんて…どんな人ですか?」
『え?…ぁ…あぁ…燕さん?』
店長も、まさか俺が燕さんの事を口にするなんて思ってなかったのが、表情や言葉で伝わってくる。
言い終わってから、とんでも無く恥ずかしくなり、俯いて呟いた。
「す、すみません!やっぱいいです!」
『天馬っ?!おいっ!』
後ろから、店長に呼ばれてるのは分かっていたんだけど、聞こえないふりなんかして、俺は真っ直ぐ客席にオーダーを取りに回った。
忙しく…
忙しくしているフリをして…。
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