安田の場合

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安田の場合

かすみは歌がうまい。 きれいで、それでいて可愛らしい。 彼女は、 大学のアカペラサークルに所属している。 気さくで輝いて見える彼女周りは、 いつも笑いが耐えない。 アカペラサークルには雄介も入っている。 ガッチリとしているのに、 どこか儚げで、母性本能をくすぐる。 でも、実はリーダー気質で、 いつもみんなをまとめてくれる。 私は彼と同じゼミ生だ。 私は雄介が好き。 いつからだろう。 その声に、その雰囲気に、 その腕に、その仕草に。 気づけばいつも、視線を奪われている。 わかっている。 ライバルは多い。 特に、かすみとはほぼ一緒にいるし。 彼女が相手なら、戦わずとも負け確だ。 それでも、好きでいるのは、自由。 果てしない片思い。 それでも、思うだけで、幸せ…。 ある日の放課後。 「ゆま、おつかれ」 私を呼び止める、大好きな声。 「あ…うんお疲れ様」 大きなリュックを肩にかけて、 雄介が隣に並ぶ。 「サークル?」 「うん、ゆまは?」 「私は教授に頼まれた片付け」 「そっか、」 「…」 会話が途切れてドキドキする。 「雄介!」 すぐに彼の名前が呼ばれる。 「お、かすみ」 私達が振り向くと、かすみの笑顔。 「ねぇねぇこれハモって」 そう言うと突然歌い出す。 あぁ、きれいで色気のある声。 それに雄介とのハーモニーが、 素人の私にも合っているのがよくわかる。 歌い終わった二人に思わず拍手してしまう。 「ありがとう、よかった?」 かすみが嬉しそうに聞いてくる。 「うん、聞き入っちゃった」 嘘じゃない。 ほんとに素敵だった。 …けど、ちょっと複雑な気分。 「あ、じゃ私こっちだから」 正直この場を早く去りたい。 「お、そうか、またな」 「ゆまちゃんまたね」 何か楽しげに話しながら、 サークル室に向かう2人。 私も気持ちを切り替えて、 180°向きを変えた。 教授に頼まれた資料整理は、 思ったより手間取った。 一緒にやってた子は、 デートだと言って、平謝りしながら、 帰ってしまったせいもある。 「はぁ」 ようやく終わりが見えて、 思わず鼻歌がでてしまう。 かたんっ。 小さな音に、ハッとして振り向く。 「雄介」 やばい、入ってきたの気づかなかった。 鼻歌聞かれてたよね? はずい、いやかなりテンパる。 「あっと…、聞かれちゃったよね?」 と、苦笑いしてみる。 雄介は薄い唇を少し開けて、 ぼーっと私を見つめている。 何も言われないのが余計に羞恥心に、 油を注ぐ。 「…」 「ゆま、お前」 下手くそとか言われるのかな? 最悪…。 「お前、なんか、エロいな」 「え?」 意外な一言を消化するまもなく、 雄介との距離は縮まり、 それは‘ゼロ’になる。 鼻孔に雄介の柔らかい香りが広がる。 視界は完全に塞がれてしまっている。 「雄介…」 彼の名前を呼ぶ。 すると、体は開放されて、 雄介の親指が、私の唇をなぞる。 状況についていけず、 硬直してしまう。 動けないでいる私に、 今度は雄介の唇が重ねられる。 「…っ!」 甘い感覚に、全身が支配されて、 流されてしまう。 「…んっ ね、ぇ」 なんとか引っ張りだした理性で、 雄介の胸を押す。 「…あ、えと…」 うろたえている雄介。 でも、視線はずっと私にむけている。 「あんな言い方したけど…」 「…」 「ホントはずっと気になってて」 「エロいなんて言われたら、 目的かなって、 思っちゃうよ」 「ちがっ!まじで違うんだ」 「…」 「なんていうか、きっかけがわかんなくて」 うぬぼれちゃいけない、 そう思うけど、 やっぱり舞い上がってしまいそう。 「好きなんだ、」 何かを吹っ切ったように、 力強い雄介の言葉と、眼差し。 「自然体のゆま見たら、 抑えらんなくて」 また、少しずつ距離を詰めてくる。 「なんか、ゴチャゴチャになっちゃったけど、 俺の彼女になってくれない?」 自信があるのかないのかわからない、 そんな微妙で不安定な告白。 「…」 「…はぁ、だよな」 無言の私に、ため息をついて、 髪を掻きむしる。 その仕草に思う。 やっぱり私も好き―。 「あの、ちょっとずつなら…」 「へ?」 「さっきみたいに、 急だと不安になっちゃうから」 「…い、いいの?」 コクリとうなずくと、 ぱぁっと笑顔になる。 「ちょっと、抱きしめてもいい?」 少し緊張気味に聞いてくる雄介に、 私から近づいて、抱きしめる。 少し驚いたようだけど、 すぐに、私を包んでくれる。 「大好き」 その言葉が、大好きな声で、 私の鼓膜を揺さぶる。
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