深瀬の場合

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深瀬の場合

遠くにしか見ないあなたに恋して3年。 挨拶程度の関係にうんざりする。 それでも交わる視線、 すれ違う刹那、 ほんのわずかなことにもときめきを感じる。 その気持ちはそっと自分の中に閉じ込めた。 ある日それは暴走する。 休憩室の自販機前。 交差しかけた二人の手。 「「あ…」」 同時に出されたその指が、 同じ瞬間を紡いだ。 「ごめんなさい、どうぞ」 あなたは、笑顔を見せて俺に譲る。 「…あ」 俺はうまく答えられない。 「?」 そんな俺の顔を不思議そうに覗き込むあなた。 「あ、スイマセン」 そう言ってコインを入れる。 「あ、私もそれ好きなんですよね」 「あ、そうなんですね…うまいですよね」 初めての会話に胸躍る。 俺の横であなたもコインを入れて同じボタンを押す。 ボトルのふたを開けてその場で一口飲む。 その唇に見入ってしまう。 その日—。 俺は考えてしまう。 あなたの指先、その手のひら、小さな唇。 そして想う—。 その手をそっと握って、 優しく引き寄せて、 俺の腕の中に閉じ込めて、 その唇に…。 あぁだめだ。 俺はあなたのこと何も知らないから。 思いを寄せることしかできない。 そしてまた自販機の前。 「お疲れ様です。また会いましたね」 あなたの声に心臓が跳ねる。 「あ…」 「あぁまたこれ買ったんですね? わかります。 中毒性がありますよね」 俺の手の中のペットボトルを見ながら、 彼女が話しかけてくる。 「あ、はい」 しばらくの沈黙。 ガチャン! 自販機の受け取り口には同じペットボトルが落ちてくる。 「またお揃いですね」 —! どうしよう。 俺はもう引き返せない。 「あの…」 周りは誰もいない。 またとないチャンス。 「はい?」 「彼氏っていますか?」 一瞬の間の後、彼女は笑って言う。 「彼氏はいません。」 ほっとむねをなでおろしてしまう。 「でも、好きな人はいます」 「え…?」 俺の心の中は一瞬で大荒れになる。 「あ…、えと」 戸惑う俺に彼女はちょっとうつむいて、 そのあとに上目遣いでそっと告げる。 「あなたのこと—、気になって仕方なくて…」 すべてが止まったように空気が張りつめた後、 俺の心臓の音だけが倍速で流れ始める。 「お友達でもいいんで、仲良くなりたい…」 「俺もです!」 あなたの言葉を遮る。 「俺も、あなたのこと…、好きというか、…」 「…ハハ…」 あなたがおかしそうに笑う。 「よかったぁ。ごめんなさい。 緊張してたから、なんか笑えてきちゃって…」 そんなあなたを見て俺も思わず笑ってしまう。 「…はは、ごめんなさい。」 あなたはひとしきり笑った後、そう言った。 「いえ、あの、よろしくお願いします。」 俺も真剣な顔に戻ってそう言って、手を差し出した。 あなたは俺の手をそっと握り返して、 「はい」 と言った。
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