第17話 俺たちのアキト

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第17話 俺たちのアキト

 アイさんに会うのは〈成層圏の家〉のパーティ以来だった。  新生児育児体験プログラムを知るきっかけになったパーティだが、そのあと僕はレインボーカフェに一度も行っていないので、アイさんにも会わなかった。いま考えてみれば、アイさんはお悩み相談以上のサポートをしてくれたのだから、お礼のひとつもいっておけばよかったのだけれど。 「緊急サポートのアイです。お久しぶりです」 「こ、こちらこそ。あの、レインボーカフェは?」  アイさんはいかつい顔をほころばせる。 「あっちのシフトは21時までなの」  そうだ、アイさんはアキトと同じAIだから、人間のような休憩が不要なのだった。僕が気を取り直すよりも駿の方が反応が早かった。 「アキトはいったいどこに? GPSくらいついていないんですか?」 「ボディをハッキングされているためにGERのアクセスがシャットダウンされ、GPSが無効になっています。他のAIが相乗りしたといわれましたが」 「つまり乗っ取られたってことか?」  駿が怖い声でいった。 「そいつ、俺たちのアキトを――」 「落ちついて。私たちからアクセスできなくても、アキト君を探すことはできます。捜索はもう始まっていますが、お二人にも力を貸してほしいの」  僕はほとんど条件反射で返事をした。 「もちろん!」 「でも、どうやって?」  駿がたずねると同時にアイさんは空中に片手をあげ、指をパチンと鳴らした。とつぜん頭上に巨大な巻物が出現した。アイさんがもう一度指を鳴らすとそれは一瞬で広がり、VR空間にふわふわと浮いた――ちょうど僕らの腰のあたりで。アラジンに登場する魔法の絨毯のような外見だ。アイさんは平然とその上に腰かけた。 「これからミラーワールドへ行きます。乗って!」  僕と駿は顔をみあわせ、アイさんの両隣にそろりと腰をのせた。見た目とちがって絨毯は硬く、スタジアムのベンチみたいだ。僕らが座ったとたん、絨毯は上昇しはじめた。足が地面を離れてひやっとする間もなく、僕らは真上にひらいたゲートをくぐり抜けた。  耳もとで風が鳴ったと思ったけれど、気のせいだ。僕らは空飛ぶ絨毯にすわり、街の上を移動している。ここは現実の世界じゃない――でも現実の僕らが住む街にそっくりだし、足元の線路では電車も動いている。 「ミラーワールドはリアルワールドのデジタルツインよ。カメラやマイクを搭載してネットに接続した機械を通して、リアルに近似した世界が作られているの。リアルタイム映像や音声情報と常時リンクして、3分間隔で更新しているから、リアルワールドにいるアキト君の手がかりはこの世界に必ずある。早くみつけましょう。絨毯、ログをサーチして!」  絨毯に命令するアイさんは筋肉ムキムキの外見のせいか、まるでランプの魔人みたいだった。 「アキトは遠くまで行けるはずがない。赤ん坊なんだから」と駿がいった。「それに初めて外に出したのは五月だ。このあたりのことなんてそんなに知らないはずだ」 「絨毯が痕跡をみつけたわ」アイさんが叫び、絨毯が急に方向を変えた。「国道をそれて――あれは何?」 「あれは川だ」僕は黒い帯を指さす。「最初にアキトを連れて行ったところだよ。アイさん、川沿いを低く飛んでみて」  絨毯が急に速度をあげて、というよりも背景の世界が溶けたようになって、次の瞬間、僕らは川の上にいた。 「絨毯、もっとゆっくり!」  駿が声をあげた。僕らは流れていく左右の岸を目を皿のようにしてみつめた。キラッと光るものが目に入るとアキトの銀色の頭じゃないかと思ってしまうけれど、投げ捨てられた空き缶に街灯の光が反射しているだけ。あれもちがう――と思ったそのとき、僕はみつけた。 「あそこだ!」  小さな橋のたもとに銀色の体がもたれている。銀色の頭が膝のあいだに倒れて、丸まっているようにみえる。  背筋がぞっと寒くなった。この川で僕らをみていた人のことや、連れ去りのニュースが頭をよぎった。アキトは人間じゃないから、死ぬことはないはずだ。でもあの体が壊されたら、僕は自分が傷つけられたように思うだろう。僕はアキトを産んだわけじゃないけど、ずっと一緒にいるうちに、あの子を僕の一部のように、大事な家族のように感じているから。 「アキト!」 「ここは――」  駿がさっとあたりをみまわした。桜の木が並び、土手を上がったところにも小さな公園があるこの辺は、春は花見の人でにぎわう場所だ。 「千尋、俺は行くぞ」 「え?」  駿の姿がすっと消えた。ヘッドギアを外してミラーワールドから出たのだと理解するのに一秒か二秒かかったし、急に駿がいなくなったせいで絨毯がバランスを崩したような気さえしたが、全部錯覚だ。当然のことながらAIのアイさんは僕より早く理解していた。 「これを持って行って」  差し出された封筒を何も考えずにつかんで、僕もログアウトした。 「駿!」  声をあげても返事はない。駿のやつ、どうしたんだ。さっきは落ちついているようにみえたのに、スイッチが入るタイミングが僕とはちがうみたいだ。スマホが点滅していた。触れるとリンクつきのメッセージがひらいたので、封筒の意味はこれかと思いながらタップする。アイさんの声が流れた。 『橋に行く前、アキト君が川に落ちた痕跡をみつけたわ』 「ありがとう」  アキトの自転車用のギアは置きっぱなしだけど、玄関に駿の靴はないし、川に向かったのなら自転車を使うはずだ。僕はギアをひっつかみ、スマホをポケットに入れて外へ飛び出す。車の多い国道を走り、川に達するまで何分かかっただろうか。アキトはどのくらいのスピードでこの道を歩いたんだろう。  桜並木の土手まで僕はせっせと自転車をこぎ、やっと駿の自転車をみつけて隣に停めた。岸辺へ降りる階段を探していると、駿の声がきこえた。 「千尋、ここだ!」 「いた?」  ミラーワールドでアキトを見た橋よりこっちよりだ。階段がみあたらないので、僕はコンクリートブロックを伝って斜面を降りようとしたが、駿が先に斜面を上ってきた。街灯の明かりにアキトの頭が鈍く光る。担ぐように肩に乗せているので、おっこちないかとハラハラした。 「大丈夫そう?」 「わからん。ぜんぜん動かない。内蔵バッテリーが切れているのかもしれないな。それに濡れてる」 「川に落ちた痕跡があるって」  そうだ、アイさんに知らせよう。スマホをタップするとすぐにつながった。 「アイさん、アキトをみつけました。動かないけど、電源が切れているのかも」  小さな画面をいかつい男の顔が覆う。 『よかったわね! 家に戻ったら乾いた布で拭いて、ギアに座らせてね。再起動したらGERに連絡をください。たぶんアキト君の方で勝手につなぐと思うけど、もしそれができない場合も連絡をください』 「わかりました。どうもありがとう」  僕は駿からアキトを受け取り、自転車に取り付けたギアに座らせようとした。脱力したままのアキトはいつもより重く感じた。実をいうと()()()()()()アキトに触れるのはこれがはじめてだった。アキトのギアはベッドや椅子、その他の補助具であると同時に充電器でもあったから、こんな風になったことは一度もなかった。  ――これじゃ、ただの人形みたいだ。魂が入っていない――  ぞくっと背筋が寒くなった。 「千尋?」  駿が心配そうな顔つきで僕とアキトをみている。 「ちゃんと乗せられたか?」 「うん。早く帰ろう」  自転車にまたがろうとした、その時だ。  モーターが動くかすかな音が響き、うなだれていたアキトの顔がゆっくりと持ち上がった。 「アキト?」  驚くと同時にほっとして、僕は先に走り出そうとしていた駿を呼んだ。 「駿、待って! アキトが……」 「イエニ カエル」  アキトがいった。  いつもの自然な口調ではなくて、昔の読み上げソフトのような抑揚だった。  これも電源のせいだろうか。僕はあわてて返事をする。 「大丈夫だ。すぐに帰るよ、アキト」 「チガウ」 「何?」 「カエルイエ チガウ」 「アキト?」 「ワタシハ セツナ」  ロボットの頭がかくんと前に倒れて、また動かなくなった。僕は自転車のハンドルを握ったまま呆然と立っていた。  アキトの中にはまだ、彼をハッキングしたAIがいるのだろうか? 家に帰って再起動しても、アキトはこのボディに帰ってこられるんだろうか? 「千尋」  低い声に顔をあげると、駿が顔をしかめながら僕をみていた。 「急いで帰ろう」 「そうだね」  僕は駿の怒りを感じとった。腹を立てると駿はいつもよりずっと無口になって、なんとなく怖い雰囲気を漂わせるのだ。今みたいに。僕より先にミラーワールドを飛び出した時も腹を立てていたはずだけど、たぶん今の方がひどい。  マンションに帰りつくのにさほど時間はかからなかった。ふたりがかりでアキトをきれいにして、ベビーベッド型にしたギアに寝かせる。頭と腰を所定の位置におさめると、ヘッドボードのランプが最初は赤く光り、それからくるくるとめまぐるしい虹色に輝きはじめた。  僕はほとんど息をとめてその様子を見守っていたが、駿もベッドの反対側で膝をつき、真剣な表情でみつめている。やがて虹色のぐるぐるがとまると、ランプの色は緑色になって、ゆっくりしたペースで点滅をはじめた。  ジーッとかすかなモーター音が響いた。閉じていたアキトのまぶたがゆっくりあがる。 「アッ――」  反射的に名前を呼ぼうとして、僕は思いとどまった。心臓がドキドキと脈打った。もし、この中にいるのがアキトじゃなかったら、どうしよう? アキトがいなくなっていたら、僕らはどうしたらいいんだろう? 「おまえの名前は?」  僕よりも先に駿がたずねた。アキトの口が動いた。 「僕はアキト。データアース・ロボティクス・コーポレーションが開発したデジタル生命の第六世代、訓練中のAIです。僕に名前をつけたのはチヒロとシュン。僕は夜になったらお家に帰って、ふたりとお喋りするんだよ」  大勢の前で話すようなよそゆきの口調だった。僕らはあっけにとられて顔をみあわせた。 「アキト! きみはもうお家にいるんだよ!」 「まったく、寝ぼけてるのか?」  駿の呆れ声に反応したかのように緑色のランプの点滅が止まった。アキトがパチッとまばたきする。 「チヒロ! シュン! お帰りなさい!」 「アキト――まったく、何がお帰りなさいだよ」緊張が一気に解けて、僕は笑い出してしまった。 「お帰りなさいをいうのはこっちだよ。まったく、大変なことになってたんだよ?」 「なぜ? アキトはシュンとチヒロが帰るのを待ってたのに」  駿が唸りながら立ち上がった。 「アキトは覚えていないのか?」  アキトは目をぱちくりさせて僕らをみている。セツナが自分のボディをハッキングしたことに気づいていないのか、それとも忘れて――メモリを消されてしまったのだろうか? 「まあ、いいか……。とにかくアキトはみつかったわけだし、GERに報告するか」 「そうだね。アキト、今日はもうお休み」  アキトがスリープモードに入ったのを確認して、僕らはまたVREに入った。GERの専用ゲートにアクセスしようとしたとき、チャイムの音がメッセージの到着を知らせた。アイさんかもしれない、そう思った僕は音の方を振り向いた。  何のコマンドもいれなかったはずだ。それなのにメッセージは勝手にホームの空中に展開した。 『今日はセツナが迷惑をかけてすまなかった』  そのあとにずらずらと、アルファベットや記号が続いた。ソースコードだ。
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