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第2話 僕らのなれそめ
僕が駿と出会ったとき、僕らは美少女だった。
あ、VRの世界の話です。
最初の出会いは五年以上前、ヴァーチャル・コミュニケーション・サービス大手VR EARTH提供のオープンゲームワールドで、チュートリアル中の駿に出くわしたのがきっかけだった。
当時の僕はVREをはじめて三カ月くらいで、自分のチュートリアルで他のユーザーに助けてもらったのを覚えていたから、駿に声をかけることができたのだ。僕はショートヘアのメガネっ娘で、駿はスレンダー長身かつおっぱい大きめの黒髪ロングヘア美少女だった。
僕の当てにならない経験則では、VRのSNSで出会う美少女アバター(モフモフオプションも含む)の中身の90パーセントは男だ。アバターは利用者の好みで設計でき、美少年にも筋肉ムキムキ男子にも人外にもゾンビにもポリゴンにもなれる。だが美少女の中身は男。年齢問わず、とにかく男だ。どうも、男というのはいくつになっても美少女への変身を希求するものらしい。
ただ僕についていえば、実際に始める前は、自分好みの筋肉系男子に変身してみようと考えはしたのである。僕はひょろっとして筋肉がつかないタイプで、どうもぱっとしない。モテないし。
ところがいざ理想のアバターを作りはじめると、なんだか恥ずかしくなってしまった。いっそ女の子になるほうが照れないのかも、と思ってやってみたら、不思議なことにそのほうがしっくり来た。
ただ僕のアバター、ショートヘアのメガネっ娘は美少女アバターの中では比較的中性的で、美の部分はともあれ、体形や身長や髪型は現実とそれほど離れていない。メガネの僕っ子として自然に喋れるのも便利だ。
でもこれは僕の場合で、リアルの駿はアバターとは似ても似つかない。いや、駿みたいな方が多数派なのかもしれない。最初に知りあった頃の駿はアバターそのままのお嬢様キャラになりきっていたのだ。当人いわく「試しにやってみたら面白くて悪ノリした」というのだが、最初から中身を男だと決めてかかっていた僕はそのなりきりようにずっと感心していた。
VRに慣れると、美少女らしい喋り方をする美少女の中身はだいたい男だとわかるようになる。ただ僕はそう思われていなかったかもしれない。駿が僕のことをどう思っていたのか、わかるのはしばらく先のことだ。
最初の出会いのあと、僕らは何度かゲームワールドで会い、パーティを組んで敵を倒した。そんなある日、ある戦闘がきっかけで、僕の気持ちは不思議な方向へ傾いていった。
ノリと見よう見まねで作ったというわりに、駿のアバターは出来がよかった。駿のなりきりお嬢様美少女キャラも絶妙だった。バトルフィールドに立つ僕らに襲いかかるボスモンスターに駿が「負けませんことよ!」とかなんとか叫びながら長剣をかついで宙がえりする。ロングブーツの上、股の部分はぎりぎりで見えない仕様だが、ロングヘアがひらめくとドレスの内側でおっぱいが揺れる。僕はミニスカで二丁拳銃をぶっぱなして(VRゲームなんだから深く考えない)モンスターの複眼に命中させ、いっぽう駿は剣を振り回してモンスターの首をちょんぎる。倒された敵が紫の光となって消えると、駿は前髪をかきあげながらふうっと息を吐き、僕を見下ろした。
「やったな。勝った」
その時です。僕がどきんとしてしまったのは。
たぶん、ギャップのせいだと思う。あのとき駿がお嬢様口調を忘れていたのはVR戦闘で興奮していたからだろう。黒髪ロングヘア長身美少女は僕を正面からみつめ、続けていった。
「ありがとう。初心者でここまでやれたの、チロのおかげだ」
注。チロはゲームワールド用の僕のハンドル名です。
「クボミンが上手いんだよ。他のVRゲーもやってるの?」
なんでもないように答えると、美少女はぶんぶん首を振る。
「いいや、もともとゲームあまりやらないし、VR機器買ったのもはじめてだ」
「あのさ、クボミン、キャラ壊れてるみたいだけど……」
「キャラ?」
「その、言葉遣いとか……」
「あっ――そ、そうですわね――っていうの、もういいかな」
美少女は今さら気づいたようにドレスを着た自分の姿を見下ろした。
「ノリでやってたけど、ちょっとめんどくさくなってた」
「そうなんだ。今の感じも悪くないよ」
僕がそういうと、美少女は「悪くない? 本当に?」と念を押す。
「悪くないっていうか、こっちのほうがいい。むしろかっこいい」
「そうか?」
美少女はふふっと笑った。VR空間に合成されたにすぎないその表情はなぜかめちゃくちゃ男臭かった。あろうことか僕の心はまた撃ち抜かれた。
たぶんVRで出会わなければきっと僕らはいまのようになっていない、と思う。駿にはリアルの女装趣味はないし、僕のように生まれた時から男が好きな男でもなかったから。
そういえばVREにゲイの出会い系スペースがあることを僕はかなり後になるまで知らなかった。でもヘテロの話なら、ゲームワールドで知り合った相手とリアルオフ会で意気投合したあげく結婚したとか、そんな噂はときどき聞いていた。この手の話にはかならず「嘘つけ」とコメントがつくものだし、僕も本気にはとらなかった。
知っていたといえば、VRえっち目当てでフレンドになるユーザーがいることも、VRの風俗サービスがあることも知っていたし、鍵をかけたプライベートスペースで露骨なアイテムやアバターを使うユーザーもいると聞いたこともあった。でも自分には縁のない話だと思っていた。なにしろ僕はリアルでは男の体にしかムラムラしないのだ。それが美少女アバターにぽうっとなるなんて、変じゃないか?
僕らはそれから何度もゲームワールドで遊んだ。やがてVREのおたがいのホームに招待しあうようになって、鍵をかけたプライベートスペースで会うようになった。その時はだいたいボードゲームで遊びながら、他愛のない話をした。
バーチャル空間にいるのに、なぜアナログボードゲームを? いや実際はアナログにみせかけたデジタルゲームなんだろうけど、VRの中でコマを動かしたりカードをめくったりすると、リアルとデジタルの境界が溶けてすごく面白いのだ。それに協力して問題を解くタイプのボードゲームは話も盛り上がるし、プレイしている相手と距離も近くなる。
――つまり僕っ子口調のメガネっ娘と男言葉のロングヘア美少女がソファに座り、膝を寄せ合って駒を弄ったり戦略を話し合ったりする光景が、VREに行くたぶに繰り広げられることになった。そんなある日のこと。五年は前のことだから細かいことは思い出せないのだが、たぶん駒がバグで見えなくなったとか、そういうことのせいだと思う。とにかく、何かのはずみで、僕らはおたがいの膝に手をついていたのだ。
注。VRです。
「あっ……ごめん」
僕と駿と、どっちが先にそういったのか。
今はもう忘れてしまった。でも、そういっておきながら僕らのどちらも手を放さなかった。それどころか膝からさらに上へ手を動かして(これは駿の方だったと思う)僕はそれに応えるように駿に近寄って、彼の膝ににじり寄った。僕らは抱きあって、顔をくっつけて――ほとんどキス寸前まで行って、止まった。
「ご、ごめん」
駿がささやいたとたん、僕はあわててその場をログアウトした。
白状すると、その日はログアウトしてVR機器を外しても、僕はビンビンに興奮したままで、心の中は「あのままクボミンとキスして抱かれたかった!」でいっぱいだったし、その晩は美少女クボミンが服を脱いだらおっぱいのところに僕の理想の筋肉(雄っぱい)がついているという夢を見た。
ええ? 僕は生まれた時から自分がゲイだと信じていたけれど、いったい何が起きたんだろう?
でも僕はこれをたしかめるためだからといって、VRでもう一度クボミンに会う勇気は正直なかった。仮に何事もなかったように再会したとしても、VRで美少女に変身したいクボミンはきっとゲイじゃない。一方僕はあれをどう説明したらいいのかもわからない。
だからひょんなことでリアルの駿に出くわすことがなければ、僕らの関係はこれで終わっていたと思う。
ところがなんということでしょう。それからまもなく、僕らは特典グッズを目当てに参加したVRE主催の大規模イベントで出会ってしまったのである。
もちろんお互いに「クボミン」「チロ」とわかっていたわけじゃない。
僕が整理券を持って列に加わった時、斜め前に並んでいためちゃくちゃ好みのスーツの男――彼が久保駿だったのだ。
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