第20話 僕らときみの約束の日

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第20話 僕らときみの約束の日

『……こちらが有人火星探査機に挑む乗組員のみなさんです。人格をもつAIが制御するロボットが乗組員として参加すると発表されて以来、各方面から話題を集めていたこのミッションです。宇宙センターには乗組員の家族の方も集まっています……』  テレビ局のアナウンサーがモニターのすぐ横でマイクに向かって話している。大きなスタジオのようなホールの中は、映画で見るような機材――ただしセットではなく本物―――や、宇宙開発メーカーのロゴをつけたユニフォームの人たちでいっぱいだ。  僕は大きなスクリーンの前に並べられた椅子に座っている。ここにいるのはみんな一般人で、若者からお年寄りまで、年齢もさまざま。アナウンサーの話の通り、ここは宇宙センターである。僕らはロケットの打ち上げを待っている。 「ほらほら、いた、いた! キャーかぁわいいいい…」  スクリーンを指さして小柄な女性が声をあげる。駿の妹さんだ。駿は僕の横で顔をしかめ「おい、ちょっと静かにしろって……」とぼやく。 「恥ずかしいだろ」 「ごめんなさいね、千尋さん。うるさい小姑がいて」 「いえいえ、うちの両親は静かなので……ちょうどいいくらいで」 「そちらは落ちついていらっしゃるからねえ。それにしてもアキト君、心配じゃない? 宇宙ってネットはつながるの?」  そういったのは駿のお母さんで、好奇心で目をキラキラさせている。僕はどう説明すればいいのか、すこし悩んだ。 「メールとか、動画送ったりできるんですよ。アキトには定期的に連絡くれるように頼んでるから、送ってくると思います。なにしろ彼は」 「エーアイですものね!」  エーアイ。駿のお母さんが呼ぶときの抑揚はすこし変わっている。これ自体が名前というか、外国の人を呼んでるみたいな感じ。  駿のご家族は気さくな人で、僕はずいぶん助かっている。ロボットミュージアムの前で結婚をきめたあと、実際に籍を入れるまでにはすこしだけごたごたがあった。もっともこの大半は僕のせいで、僕の両親とあいだの深い溝というか、わだかまりをどうにかする決心をつけるまでのことである。駿のご家族との対面はこれを乗り越えたあとだったせいか、想像したよりずっとすんなり進行した。  入籍までにかかった時間は半年くらい。リアルでは身内だけのささやかな結婚式をあげ、VREではもっと参加者の多いパーティをひらいた。リアルの結婚式ではアキトも家族にお披露目して、僕らの隣で写真に映っている。  結婚したあとも生活はとくに変わらなかった。でもそれからさらに一年後。GERはアキトの名付け親契約の終了を告知してきた。有人火星探査にロボットクルーが参加すると公にされたのは、その直後のことだ。  いつか契約が終わることは最初のときからわかっていたから、これは約束された別れだった。僕らはもちろんごねたりしなかった。  でもアキトはもう完全に僕らの家族になっていて、彼がいない生活は考えられないくらいだったから、ショックじゃなかったとはいえない。GERがアキト(の体)を引き取りにきてからしばらくのあいだはさびしくて仕方がなかった。  もっともGERは(機密保持契約の範囲内で)アキトとメッセージのやりとりをしたり、VREのホームで面会することは止めなかった。だからその後も僕らは定期的にVR空間でアキトと会ったし、駿と喧嘩したときはアキトに愚痴を聞いてもらったこともある。今の僕らは「人格をもつAIアキト」の友人の地位にあるし、GERはさらに粋なはからいもしてくれた。  つまり今日、火星探査への出発にあたって、GERは僕らに超特大の名付け親特典をとっておいてくれたのだ。いちばん近い場所からアキトを見送るという――だから僕と駿とその他の家族数人は、こうして宇宙センターに押しかけているというわけ。直接会えるわけじゃなくて、大きなスクリーンに映し出される中継をみているだけだが、特等席に変わりはない。  宇宙センターには他にも知っている人がいる。最初にアキトと対面したときのGERの担当者、田崎さんと斉藤さん。スクリーンに映し出された管制室にはマッドサイエンティストみたいな風貌の宮島さんも。  カメラがまたクルーに切り替わる。映し出されたアキトの見た目はあいかわらず、歩きはじめたくらいの幼児の姿で、銀色の肌もおなじだ。  このミッションにはロボットクルーがもうひとりいる。こちらもブロンズ色の肌をした赤ちゃんである。ロボットといっても愛くるしい赤ちゃんには人間のクルーもめろめろのようだ。  GERが孤独な探査ミッションに従事するパートナーロボットの外見を「赤ちゃん」にした理由が、今の僕にはなんとなくわかる。こんなにせまくて閉ざされた場所では、空間を和ませるもの、小さくて愛したくなるものが必要なのだ。その存在は僕たちのあいだにあたたかい気持ちを、愛をつないでくれる。助け合うことや思いやることを教えてくれる。  でも、アキトはそれだけの存在じゃない。  アキトがごつい人間のクルーの腕に抱かれている様子はとても微笑ましい。でも僕は知っている――この銀色の赤ちゃんの中身はスーパーAIだ。僕と駿が生まれる瞬間に立ち会って、名前を与えた、あの子なのだ。  目の奥がじんわりと熱くなってきた。タークとセツナも今ごろ、ロボットミュージアムでこの映像をみているだろう。  アキトが僕らのもとにいるあいだ、僕らはあれから何度か、アキトをあの場所に連れていった。たぶんあのふたりのことだから、アキトが僕らの元を離れたあとも連絡をとっていると思う。デジタル生命たちはVREの中で人間が知らないうちに交流の範囲を広げている。それは今のところ、僕らの社会に不都合をもたらしてはいない。 「きみは火星に行くんだ」  GERとの契約の最終日、アキトが最後に僕らの家で過ごした夜、僕は彼に話した。 「いつかアキトは僕や駿には行けない場所に行く。でも、アキトが僕らの家に帰ってこなくなっても、どんなに遠くにいっても、僕はアキトのことを考えてる。アキトが宇宙に行く時を楽しみにしているよ」  アキトはくるっと目を回した。 「それはいつ?」  それは今日、これからだ。そしてきみが戻ってくるとき、僕はずっと年をとっている。  スクリーンをみつめながら涙ぐむのをこらえていたとき、スマホにピコン、と通知が来た。 『ついに出発しますね。私もセツナも旅の無事を願っています』  ターク、きみたちのことを思い出していたところだったよ。僕はスマホをポケットにしまう。どれだけ年をとっても、きっと僕は忘れないだろう。アキトが僕と駿のところへ来て、僕らにくれた大切な日々を。  僕は駿と一緒にきみを見ている。隣に座った駿の腕に自分の腕をおしつけて、中継スクリーンをみつめている。気密服を着たクルーがきみを抱いてロケットに乗り込む。ロボットはこういう服を着なくていいから便利だよね。きみはロケットに備え付けられた専用ギアにしっかり固定される。  銀色の手がカメラにむかってパタパタと振られると、スピーカーから声が響いた。 「シュン、チヒロ、行ってくるね!」  やっぱり僕の目からは涙がこぼれ、視界がぼやけた。画面が切り替わる。カウントダウン。  こうして僕らのアキトは旅立つ。
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