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六
(川のほとり、山田がぼんやり水の流れを眺めている)
山田 (独り言)えらいことになったなあ。上様をうっかり殺したら、上様になってしもうた。そんなにわしは上様に顔が似てるのだろうか。今のとこ、誰にもバレておらん様子だが。本来なら打ち首になるところ、助命してやるから上様のふりをしろなどと、老中様もずいぶん大胆なことだ。まあ、えらい人にはえらい人の事情があるんだろうが。
(山田、立ち上がって歩き始める)
山田 上様のふりをしておれば、食うには困らん。住むとこ寝る場所も世話をしてもらえる。遊ぶ銭もじゅうぶん貰える。しかし、これほどつまらんこともあるまい。山田太郎が徳川吉宗を演じておると知られてはならんので、山田太郎はいきなり蒸発して行方不明になったということになっておる。もちろん昔の知り合いと連絡を取ることなどできぬ。飯を食っても博打をやっても、一人だとこれほどつまらんものか。……まあ、自業自得だな。しょぼい代官の微禄で満足しておればよいものの、欲をかいて悪事に手を染めた結果がこれだ。
(遠くから声が聞こえる)
女 泥棒、ひったくり! 誰か捕まえて!
(泥棒が登場、山田の前を通り過ぎようとするが、山田が刀を抜いて泥棒の背中を打つ)
泥棒 うぎゃあ!(泥棒のたうち回る)
山田 みねうちじゃ、安心いたせ。(泥棒が落とした風呂敷包みを手に取って女に手渡す)
泥棒 ちくしょう、おぼえてやがれ。(退場)
女 お侍様、ありがとうございました。
山田 いや、礼を言われるほどのものでもない。最近、物騒な世の中じゃ、用心いたせよ。(去ろうとする)
女 お侍様。せめて、お名前だけでも。
山田 わしか。わしは徳川吉宗じゃ。
女 へ?
山田 いや、間違えた。わしは山田太郎。
女 山田様でございますね。
山田 いやいや、また間違えた。拙者は……、拙者は徳田新之助じゃ。
女 徳田様、この御恩は一生忘れません。ありがとうございました。(女退場)
山田 (独り言)危なかった。ついつい癖で、吉宗などと名乗ってしもうた。しかも山田太郎とも……。偽名を使うにしても、とっさに口を出たのが「徳田新之助」とは……。
(山田再び歩き始める)
山田 しかし、人に礼を言われるというのは、ひさしぶりのような気がするな。やはり善行を働くというのは良いものだ。将軍として活動しておれば、おべっかやゴマすりばかり、事情を知っておる老中や勘定奉行には、役目をうまく果たすよう要求されるばかり。……ひょっとして、上様も似たような気持ちだったのかもしれんな。将軍などやってもつまらぬから、人に感謝をされたいがため徳田新之助を名乗って世直しをしておったのだな……。
(立ち止まる)
山田 どうせわしもやることもないし、世直しでもしてみるか。いちおう形式的にはわしも将軍様なのだ。少々無茶をやっても問題あるまい。
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