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「はーい、みんな先生に注目ー! 今からこのバケツに入ったお魚さんを川に帰してあげましょう!」太一の声優のようなよく通るハイトーンヴォイスは、『ののはら保育園』でも人気なのだ。
エプロン姿の太一には笑顔が絶えなかった。
「わーい、おしゃかな!」子どもたちの歓声に太一も心が躍る。
「転んだら大変でーす。気をつけて先生の後をゆっくり付いてきてねー」太一は声を上げた。
*
太一は東京から故郷に帰った。
保育士になったのである。
両親に土下座して、『保育士』になるため、地元の県庁所在地で専門学校に通いたいと言った。
両親は「漁師になれ」とは言わなかった。「しかたねーべ」と首を縦に振った。
元来、子供好きな太一は、母親から習っていたピアノの技術を生かして、保育士になってみせる、と決めたのだった。
地元に残った友人は少なかったが、漁師になった同級生たちは飲み会を開いてくれた。
友人の和樹は言った。
「お前はまるでサケか? 4年して戻ってきて。俺たち人間に喰われなかっただけでも感謝しろよ」
「うん。俺を待っていたものはサケと同じ帰巣本能かもしれない」そう言ってはにかみ、頭を掻いた。
「サケは、産卵のために戻ってくんだぞ、お前は何を考えてんだ?」
「てへ、今、実は同じ保育園の先生と結婚を考えてる、すっごく可愛い彼女だぞ」
「はあ?」和樹は素っ頓狂な声を上げた。
「お前何考えてんだよ、ったく!」
「今の俺は胸を張って言えるんだ。子どもたちが好き。この町の自然が好きって」
「ハイハイ。でも知ってるか?」
「ウン? なにを?」
「サケは産卵したらオスもメスも死んじまうんだよ!」和樹が太一の額を小突く。
「サケだけにそれは避けたい!」
「お前の座布団、没収!」
一座は笑いに包まれた。
おわり
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