仏教と他の宗教の大きな違いは驚異的な理論の深さ

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よく宗教というと、脳内麻薬とか洗脳とか言われますが(もちろんそういう宗教、というか宗教にかぎらず洗脳に近い事は現代に溢れてますけども)、とりあえず私の知る限り仏教は非常に論理的な部分が多いです。 もちろん、神秘的な部分もあるんですが(宗教なんで)他の宗教と比較すると圧倒的に理屈の部分が多い気がするんですよね、それでその理屈がとても面白いので、紹介させて貰おうという、それだけの話なんですが、まぁ、思いつくままにつらつらと書こうと思ってますが、他の知識や全く別の話とも結びつけて考える場合もあるので、それは僕の独自の考えだと思ってください。 まず、最初に仏教の基本の考え方に成住壊空(じょうじゅうえくう)というのがあります。 つまり、成(生まれ)住(存在し続け)壊(崩壊して)空(常に縁に触れることで生じる可能性を秘めながらの消滅)を繰り返しているとされています。 最後の空は難しいですが、例えば寝ている時の我々の自我意識が空に近いでしょうか? もちろん、起きれば自我を取り戻しますがその間にどこにあるのかは謎ですね、無いわけではないけれど、あるかと問われれば限りなく無いと言わざる負えない。 生物は常に危険と隣り合わせにあると考えれば寝るというのは理にかなってない行動ですが、生き生きとした、思考や精神状態、身体的な回復の為に人は寝ることである意味、空になってるといえるのではないでしょうか? そして、最終的に肉体が限界を迎えた時に人は死という状態を迎えますが、これも空であると言います。 つまり、縁に触れて生じる可能性を常に秘めながらの消滅ということですね。 これが、輪廻といわれたりしますが、ただ、死んで生まれ変わってを繰り返すというのではなく、空の状態があるという認識が正しいですね。 そして、ミクロの世界では素粒子がマクロの世界では宇宙がこの成住壊空を繰り返していると考えられています。 まあ、ひとつ付け加えて起きますとこの空の状態というのは霊魂という意味ではないです。 仏典のどこにも霊魂という記述はないですし、守護霊も悪霊も少なくともブッダの広めた仏教の中にはでてきません。 現代日本仏教界では広く守護霊やら悪霊やらが取り沙汰されてますが、本来の仏教の論理的思考からは逸脱してると考えられます。 そもそも、本当に成仏(仏の境涯に到達)した方なら死後、須臾(しゅゆ)(一瞬)の間に生まれ変わる(他の時空の衆生に教えを広める為)とされているので、いつまでも誰かの肩やらに乗っかって守護なる行為をしている暇はないはずです。 いつどのタイミングで誰がそういう思想を広めたのかわかりませんが、仏教の基本の考え方の全ての原因は自分の内にある、という考え方ともかけ離れていると思われます。 万物は原因があり結果があるというのが仏教の基本の考え方ですが。 自分以外のどこかにその悪因を探したり、仏様が罰をくだしたり、あるいは救ってくださったりというのも厳密には仏教ではないのです。 全ての原因と結果は自らの内にある。 それが仏教の考え方です。
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