第八話

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第八話

 シルヴィーは、学校の中で真面目な生徒で通っていた。他の生徒が授業中にこっそりやっている私語も、宿題を片付けるような内職も、高等部に上がってからは一切やったことがなかった。  だから、久しぶりに授業中に手紙を渡す行為は思いの外緊張した。もしかしたら、先生に見つかって怒られるかもしれない。今まで先生と自分の間で築き上げてきた信頼を壊す可能性だってあった。  ディオに宛てて書いた手紙は、クラスメイトの手によって、無事に斜め前の席に座っているディオの手に渡る。  シルヴィーが授業中に手紙を回すなんて一体何事だろうとクラスメイトはとても驚いていたが、快く協力してくれた。  ――放課後に「呪い」の件で話がある、地下の図書室で。シルヴィー。  無視されるなら、仕方がないと思う。ただ、面と向かって話があると声をかけたら、また言い争いになると思ったので手紙に書くことにした。授業中に渡せば少なくても、喧嘩になることはない。  斜め前の席に座っているディオは、手紙を受け取って中身を見たが、後ろを振り返ることもなく、手紙はそのままポケットの中に入れ、前の黒板に視線を戻していた。  授業の終了を告げるチャイムが鳴り終わると、シルヴィーは教科書が入った荷物を持って、そのまま地下の図書室へ向かった。  地下にある図書室は、古い神学関連の書物ばかりで、自習室の類も無く、生徒が放課後に立ち寄ることは殆どなかった。大声で騒いだりしない限り、少しの会話程度では隣の司書室にいる先生に気づかれることもない。お互い冷静に話をするには良い場所だと思った。  窓もない地下。書架に囲まれた奥の閲覧席に座っていると、ほどなくしてディオは現れた。シルヴィーは席を立ちディオの前に立つ。  誰もない図書室は、重い静寂に包まれていた。 「分かってるなら、改めて聞くことなんて無いだろう」  冷たく、素っ気ない声だった。ディオの青い目には諦めが浮かんでいた。 「それでも、私は、ちゃんとディオの口から聞きたい」 「じゃあ、聞けよ、答えてやるから」 「――私に呪いをかけたのは、ディオ?」 「あぁ」  ディオは、シルヴィーから目をそらさず肯定した。  どんなに努力しても、何度誓っても「竜の加護」の徴が現れなかった。悲しくて、悔しくて、やるせなかった。  自分の何が足りないのか、ずっと悩んで苦しんでいた。  それが全てディオのせいだった。これが顔も知らない他人がしたことで、無差別な暴挙だったら、もっと憤り怒りをぶつけることができた。  けれど、どんなに仲違いしても、ずっと顔を付き合わせてきたクラスメイトで、理由があったとしても、過去には仲がよかった相手には、それができなかった。  それに、自分よりも傷ついた顔をしているディオを前にして、何も言えなかった。 「どうしてって聞かないのか」 「聞いたら教えてくれる?」 「お前が神官になるのが気に食わなくて、呪いをかけた」 「嘘だ」  シルヴィーは、間髪入れずにディオの言葉を否定した。いくら、腹が立っても、こんなことをする男じゃなかった。  子供の頃、一緒に悪戯をしていたのは、シルヴィーも同じだった。けれど、決して他人を貶めるようなズルイことだけはしなかった。  だから、呪いをかけた相手がディオしか浮かばなくても、ディオの口から聞くまでは半信半疑で、間違いであって欲しかった。  そうすれば、無かったことにして術を返せた。 「本当だよ」  真実をディオの口から聞いて、少なくても自分も傷ついていた。ディオとは、家のしがらみや、つらい境遇は同じだと思っていた。  そして、人が人を呪う。自分がその対象になることの理由を知るのが怖かった。 「ディオ、分かってるんだろ。人に対して呪いをかけることが犯罪で、それをした人間は、罰せられるって……」 「あぁ、知ってる」 「バレないと思った? バレなかったら何をしても許されるって思った? ねぇディオ……私は、どんなに嫌味を言われても、ディオのこと友達だと思ってる」  ゆっくりと、確かめるようにシルヴィーは言葉を続けた。どこで自分が、あるいはディオが間違えてしまったのか、知らなければいけないと思った。  そうしないと、シルヴィーもディオも前に進めないから。  けれど、その一言一言がディオの身体にナイフ突きつけているようで、苦しかった。 「……友達? ほんと、お前おめでたい頭してるよな、俺は、バレてもいいと思ったんだ。いや、お前なら、バレるはずがないって、確証もあった」 「どういうこと」  シルヴィーはディオの言葉を聞くごとに段々と怖くなる。 「……親にさ、勝てないなら禁呪でもなんでも使って勝てばいいって、それができるのもお前の実力だって言われた。けど、別に親も本気でやるなんて思ってないし、犯罪なんだから……俺が決めて自分でやった。親は、このことを知らない」  ディオのその深い闇の瞳には、子供の頃一緒に笑いあった、あの底抜けに明るい光はなかった。その瞳の色を知っていた。シルヴィーも、きっとディオと同じ目をしていたから。  欲しくても、どんなに願っても決して手に入らないものを思う、絶望。ずっと上を向いていれば、正しく生きていれば、いつかは、と思っている間は良かった。けれど、終わりは必ずくる。その足音が後ろまで迫っていて、焦り、心が乱れた。  魔が差し、間違った選択をしてしまうことは誰にだってある。  自分も同じだった。焦って、無力な自分に耐えきれず衝動的にジェイドにあたった。  きっとディオも同じように何かに苦しんでいた。 「ディオ、でも」 「家同士比べられても、俺はお前に勝っても負けてもどうでも良かったよ」 「だったら」  正々堂々と、最後まで成績を競い合えば良かった。それが出来ずに、ディオが呪いなんてものに手を出してしまった理由。 「なんで、わからないんだよ……シルヴィー、お前もう知ってるんだろ」  ディオは、シルヴィの制服の胸元を掴んだ。その瞳は今にも泣き出しそうに揺れている。 「お前、誰と契ったんだよ」 「ッ、ディオ……何、言って」 「は? とぼけるなよ。あれは、神官に解術を依頼するか、身体ん中に「力」のある奴の体液が入らない限り、術式は浮かび上がらない。だったら、呪いに気づくような、きっかけがあったはずだ」 「ディオ、待って……」 「お前は、誰かに呪われてるなんて、思ってもみなかっただろ? 昔から、人を疑うってことを知らない、バカだから」  ディオが言う通り、シルヴィーは「竜の加護」が自分に現れない原因を自分の鍛錬不足や、才能のなさが原因だと思っていた。少しも誰かのせいだと考えたことがなかった。  そして、気づいたのは、ジェイドと口付けをしたから。 「犯人が俺だって、術式の相手が見えるなんて、純度が高い力か……よっぽど深くまで契ったか、なぁ、誰だよ? 学校の奴? 良くしてくれた?」  ぎりぎりと締め上げられ、苦しさに耐えきれず生理的な涙が浮かぶ。壁に背を押し付けられたまま、シルヴィーはディオの服を同じように掴む。 「やめっ、苦しい、ディオ」 「お前が、神官になりたいなんて言わなければ神学クラスなんて選ばなかった。恨まれても、憎まれても良かった」 「ディオ……」 「お前の邪魔をしたかった。ブラハードの家に生まれなければ、俺が、お前が尊敬してるメイナードの神官様くらい強い力を持ってたら、俺のこと見てくれた? 昔みたいに好きなままでいてくれた? なぁ、シルヴィー」 「ディオ、私は」  心の底から嫌いになったことなんてなかった。友達だと思っている。  けれど、ディオが欲しいのは、きっと昔と同じ友達の好きじゃない。  だから、シルヴィーが、否定すれば否定するほど、傷つける。 「お前と、この先も一緒にいられるなら、犯罪者になっても良かったよ。俺は、シルヴィーと友達じゃ嫌なんだ」  今まで見たこともないディオの苦しみを知って、何も知らずにいた自分を後悔した。  いつから、自分はディオを傷つけていたのだろう。どうすれば、ディオを救えるのだろう。苦しんでいる相手に何も心を返せない自分は、神官になれないのだろうか。  それでも、ただ相手のことを憐れみ、自分の身体を心を投げ出すことは、ディオをもっと苦しめることだと、もう分かっていた。 「シルヴィー、もう……全部終わらせてくれ、それでいいから」  ディオに床に押し倒され、親指で唇に触れられたとき、シルヴィーは、反射的にディオの頬を殴っていた。  人を殴ったのは、初めてだった。痛くて苦しかった。  ディオに対して、心の中で腹を立てたことは、何度だってあった。けれど、傷つけたくなかった。 「ッ……ごめん、ディオの気持ちには応えられない、これからも大切な友達だから」  シルヴィーの腕が本棚に当たり、書棚から本がバサバサと落ち自分たちの上に降ってきた。 「いてぇし……嫌だって言えばいいのに。やっぱりバカだろ」 「ディオ……」 「……お前なんか、さっさと遠くに行っちまえ、頼むから、行ってくれ……でないと、苦しいんだ」  そう吐き捨てたディオは、最初からシルヴィーをどうかする気などなかったのかもしれない。  シルヴィーは、力なくうなだれているディオにかける言葉が見つからなかった。ディオは、正しく罰を与えられて、自分の罪から解放されたがっている。  そのとき物音に気づいたのか隣室にいた司書が、自分たちがいる場所に慌てて駆けてきた。  そして二人の状態を見た司書は人を呼びに行ってしまった。  ディオの頬には、自分が殴った痕があったし、喧嘩をしてるふうに見えたのだろう。しばらくして、戻ってきた先生二人に事情を問われたが、互いに黙ったままだった。  ディオはきっと、シルヴィーが真実を話したところで、反論しない気がした。  けれど、自分にかけられた呪いをといて、ディオをその犯人にして、シルヴィーだけが、全ての望みを叶えて終わる結末を、喜べない自分がいる。  だからといって、何もなかったことにしたら、きっとディオはもっと傷つく。  シルヴィーは、その場で選べなかった。  結局、状況からシルヴィーは暴力の加害者として抵抗も反論もせずに手を引かれて行った。  告解室に連れてこられたシルヴィーは、机を挟んで担任の先生と向かい合った。 「卒業を前にして、お互いに気持ちが急いているのかもしれませんが、優秀な貴方たちが一体どうしたのですか?」  優しく諭すような声に、シルヴィーの声は震えていた。自分が築いてきた信頼が崩れていく音が聞こえた。 (元々、そんないい子じゃなかった)  ディオがいつも言っていたように、ただの猫かぶりだ。  なりたい自分になるために、自分を作っていた。そうやって周りを欺いていたから罰を受けたのだ。  ディオの気持ちに気づきもせずに、傷つけた。  もっと近くて、ちゃんと話をしていれば、ディオも呪いなんてものに手を出さなかったかもしれない。  そう思うと、やりきれなかった。 「何も話せることはありません。喧嘩、ですから」 「ブラハードも同じことを言いましたよ」 「そう、ですか」 「では、状況通りに、あなたたちを処分しなくてはいけないですね。校則ですから」  そのまま、ディオとシルヴィーは、一週間自宅での謹慎処分を下された。  例えばシルヴィーが器用な人間だったら、今回の学校から言い渡された一週間の謹慎処分について、家の人間に黙っていることが出来た。  毎日学校に行く時間に家を出て、帰る時間に家に戻って来ればいい。何もなかったことにできるだろう。  けれど、隠し事が出来ないシルヴィーは、夜、父親が帰ってきた時に、書斎へ行き、二人に今回の事情を話していた。  ディオと学校で喧嘩をして、殴ってしまったこと。  それでも、言えたのは結果だけ。シルヴィーは殴った本当の理由は言えなかった。  自分に対して酷いことをした友人をかばう必要なんてない。ディオもシルヴィーの手で罰せられることを望んでいた。  それでも、シルヴィーは決心出来ずに、答えを先延ばしにしている。  シルヴィーの告白に、父と母は顔を見合わせ、そして肩を落とした。  元々、家同士仲が良いわけではない。二人とも処分され、痛み分けになったのだとしても、この歳になって、喧嘩なんてみっともないと呆れられた。  その瞬間全てを失ったのだと思った。  両親ともに、今まで真面目にやってきたシルヴィーが、そんなことをするとは考えてもいなかったのだろう。  折角、ジェイドがきっかけをくれたことで、将来の話を親ときちんと出来たのに、好意を無駄にしてしまった。  また、信頼をなくしたのだと思うと、悲しかった。  どこで、自分は道を間違えたのか。  シルヴィーは、何も選ばなかった自分のせいだと思った。
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