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第一話
アレスピ国は周辺諸国との戦争もなく平和が三代と続き、国を守るために存在した高い壁は取り払われ、現在は代わりに王都の周りは豊かな自然があふれていた。
シルヴィー・バーレンスは、アレスピの王都にある王立の神学校に通っていた。建国時から存在する由緒ある神学校は、街の中の高台にあり三階の窓からは森の泉が見えた。
泉は近くだと薄青く見えるのに、昼間の学校から見るといつも銀色に光っていた。
シルヴィーは、その泉が好きだった。悲しい時も苦しい時も、その泉を見ていると、心のなかにあるモヤモヤが浄化されていく気がするから。
けれど、今はどんなに森の泉を見ていても少しも気持ちは晴れてくれなかった。
「……情けないな」
風にかき消されるような小さな泣き言。自分以外は誰もいない放課後の教室のなかで、シルヴィーは、ぼんやりと外を眺めていた。
窓に腰掛けていると、頬にあたる森からの風が心地よかった。その風に朝きっちりと整えてきた髪をぐしゃぐしゃにされたが、柔らかく少し癖のある薄茶の髪は、どう頑張ったところで、いつも学校を帰る頃には無造作にはねているのをシルヴィーは知っていた。頑張ってまっすぐにしたところで無駄なあがき。
それでも、シルヴィーは少しでも「真面目で美しい」他の生徒の見本になるような自分になりたかった。
けれど、その初等部から続く猫かぶりもそろそろ限界だった。
この学校を卒業すれば、成績と家柄によって学生の就職先は決まる。あの神学校を出ているのだからと仕事先からも一目置かれ、厚い信頼のもと重宝されるらしい。
――普通の就職先なら。
例に漏れずシルヴィーも、王都で一、二を争うバーレンス家という高名な家の長男だったが、本来は苦もなくできるはずの就職を、今年の卒業を前に決められずにいた。
決めてはいるけれど、周囲の反対と自分の希望の間で板挟み状態。
シルヴィーは、子供のころから神官になるのが夢だった。
神官という仕事は、誰でもなりたいといってなれる職業ではなく、神官職に就くためには、ある資格が必要だった。
そして、シルヴィーは長い間、神学クラスで勉強しているにも関わらず、現在も夢を叶えるための資格を得られないでいる。
この国では、遠い昔から信仰されている竜の神様「アレスピ」に認められると、身体のどこかに銀色の文様が浮かび上がるといわれていて、実際、シルヴィーと同じクラスで神学を学んでいるクラスメイトの半数以上は、手や胸などに「竜の加護」を持っていた。
この証を身体に持っていることが、聖職者として働くことの一番の条件だった。
人々の心に寄り添い、悩みを聞き癒しを与え、導くもの。それがこの国の神官だった。そのなかでも、王宮で働く神官になることが初等部からのシルヴィーの夢。
ただ、国の中で神官の働き口は常にあっても王宮付きの神官が募集されることは殆どなく、仮に募集されても、十年に一度くらい。
シルヴィーは、一番の夢である王宮で働くことが叶わなくても、同じ聖職者として、卒業後は、この神学校の先生になるつもりだった。
――ただ、いずれにしても、シルヴィーは、聖職者になるための資格を持っていない。
「なぜ、私は神様に選んでもらえないのだろう」
シルヴィーを悩ませているのは、一番の願いが叶わないことでも、周りに反対されていることでもなく、資格すら得られない自分の無力さだった。
シルヴィーは、ため息を吐くと肩にかかった学生服の薄紺色のストールを取り、やり場のない思いをぶつけるように床に投げた。
シルヴィーが願ってやまない身体に現れる文様。神学を学ぶことで、精神と力を培い、神様に仕える者としての立ち居振る舞いを身につけ、信仰と献身を証明することで得られるもの。
聖職者の先生たちからは、徴が身体に浮き上がるという、この不思議な現象について、詳細は明かされないものの、神学校で真面目に勉強したことの証だと教えられている。
シルヴィー自身、真面目さに関しては、誰にも負けないと自負があった。毎月の試験の成績は、いつもトップクラス、先生からは、神学への造詣の深さはこの学校一だとお墨付きをもらっている。
それなのに、力がなかった。人を癒し、導く力。
もし己に足りない力が、才能といった漠然としたものだったらと不安は日々募り、卒業を前にして頭の片隅にある仮説が折に触れシルヴィーを苦しめた。
ふさわしいとか、ふさわしくないとか。
神官らしいとか、らしくないという言葉は、シルヴィーが一番嫌いな言葉だった。
もし、それが容姿なのだとしたら、周囲と比べて地味な自分は真っ先に落とされる。
確かに、過去、王宮で出会った神官様たちの美しさ、神々しさは、目が合えば思わず息を飲むくらいに、群を抜いていた。
「アレスピ様は、私のことが、お嫌いですか」
神官になりたいという、シルヴィーの動機は「小さい頃に抱いた憧れ」からくるもので、その動機が不純だからと神様に叱られている気がして、余計に気が滅入った。
「なーに、たそがれてんだ。シルヴィー」
ハリのあるよく通る声が教室に響く。入り口に目を向けると金色の短髪男が腕組みしながら偉そうに立っていた。
「まぁた、力の成績最下位だったのか?」
ディオ・ブラハードと話すことは、シルヴィーにとって頭痛の種のひとつだった。
ディオは教室につかつかと足音を立てて入ってくると、机の上に置いたままだったシルヴィーの成績表を勝手に覗いた。
出会うたびに文句と嫌味を必ず言われていた。言う方はストレス発散になるかもしれないけれど、その一方的な物言いを聞くシルヴィーはたまったものじゃないし、毎回嫌な気分になっている。
「ごきげんよう。ディオ、私に何か用ですか」
学校にいる時のよそ行きの声で返事をした。本当なら相手したくもない。
「もう、さっさと諦めてクラスから出て行けばいいのに、隣に転科すれば、俺もお前も成績一位で、全てが上手くいくだろ? 親たちだって静かになる。なんで、そんなに神学クラスにこだわってるんだよ」
(諦めが悪い奴でわるかったな! 自分でもわかってる)
頭の中では、目の前の男を罵倒していた。隣の普通科クラスへ移れば確かに、神学クラスにいるよりも成績は上にいけるだろう。クラスメイトに言われなくても、親に何度となく言われていることだった。
――神学クラスに残るなら、一番になりなさい。なぜ、ブラハード家の息子に勝てないの?
シルヴィーのバーレンス家とディオのブラハード家は家柄が同格でいつも比べられていた。ディオが自分の存在を疎ましく思っている気持ちは理解できる。シルヴィーも同じように、出来ることなら関わりたくないと思っているのだから。
資格がないだけで、筆記テストは、いつもシルヴィーの方がディオより上だった。ブラハードの家は、それが気に食わないらしい。きっと自分以上に、ディオも家から色々言われていることは想像に容易い。
自分が諦めれば全て丸く収まる。
理解は出来るが、どうしても夢を諦められなかった。
「そうだね。けど、私、どうしても神学を捨てられなくて、だから卒業まで一緒に頑張ろうねディオ」
「思ってもないこと言って、すかした顔してんじゃねーよ。昔のお前なら、悔しかったら筆記で勝てばいいだろくらい言ってたよ、ほんと面白くねぇな」
ディオはシルヴィーを睨みつけた。睨みたいのはこっちだと思った。
「総合成績なら、ディオが勝ってるじゃない」
「神官なんて、お前には向いてないよ。チビだし」
「それはディオと比べたらね、あと神官に身長制限はないよ」
「なぁシルヴィー、どうせ、お前がどれだけ頑張ったところで、才能がなければ無駄だよ」
自分は持っていない「竜の加護」の徴を目の前のディオは持っていた。うらやましくてたまらなかった。欲しいものを持っているのに、嫌味ばかり言って突っかかってくるディオに腹が立った。
「……才能、か、そうかもね」
卒業を前にして、一番、シルヴィーが言われたくない言葉を面と向かって言われる。
「そうだって、だから神官なんかやめて、普通に街で働けばいいだろ、そうしたら……」
「それを決めるのは私だよ。ディオ」
才能がなければ無駄。
テスト結果が返ってきた、今のタイミングで言われたくなかった。我慢できなくなる。
シルヴィーは、ぎゅっと拳を握って堪えた。
神様が本当に自分のことを認めてくれるとしたら、ここで自分は言い返したり殴ったりしてはいけないと思った。
「もし、私に才能がなかったとしても、私はここで勉強したいよ、ディオ」
どうして、こんなひどいことを言うディオが、神様に認められたのだろうか。
言いたいことを全部我慢して、飲み込んだのだから、どうか、徴をください。
シルヴィーは、ディオの言葉なんてなんでもないように笑みを返すと、カバンと床に落ちたストールを掴み、ディオの前から離れる。
「待てよ、シルヴィー!」
自分を呼び止めるディオを振り返らずに、足早にそのまま教室を出た。
あのままディオの前にいたら、きっと殴っていた。
(なんで、お前が、私の方が! いっぱい努力してるし、神官様になりたいと思っている)
頭の中がぐしゃぐしゃで、涙が溢れそうになる。我慢すればするほど、ひどく頭が痛んだ。
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