第三話

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第三話

 森から街道に出ると、すでに日は暮れ、街は赤い灯に満ちていた。どれだけ急いで帰ったところで小言を言われる未来は変わらない。  それでも、シルヴィーは律儀に帰り道を急いでいる。きっとこの性分はこの先も変わらない気がした。  森へいって息抜きをしてきたのに、家に近づくたびに、また頭痛がぶり返していた。  バーレンスの屋敷に着き、ゆっくりと鉄製の門を押し開け家の中に入る。門を開ける音が聞こえいていたのか、玄関に入ると待ち構えていたように母が目の前に立っていた。 「シルヴィー、こんな時間まで、どこで遊んでいたの」  キンと、甲高い声が頭に響いた。 「図書館で勉強をしていました」 「……ならいいけど。それはそうと、またブラハード家の息子に負けたそうね、街で向こうの奥さんに笑われたわ」 「すみません」 「普通科に移れば、あなたが一番になれるのに、なぜいつまでも、神学科にこだわるの?」 「それは……」 「本当にあなたが持っているかも分からない「力」でテストの成績が落とされるとか、自分でもったいないと思わないの?」 「頑張れば、いつか私も……それに私は、神学が好きで」 「好きなだけでなれるものでもないでしょう」  何度となく言われた言葉だ。返す答えも同じ。  不毛なやりとりだった。母親の目を見ることが出来ない。  聖職者になるための資格が得られないだけで、テストの成績ならシルヴィーの方がディオより上。  だから余計に母もはがゆいのだろう。苦労してまで、今の立場でいるシルヴィーのことが理解できない。  母が言っている言葉はどこまでも正しい。  自分が夢を諦めさえすれば、全てが丸く収まる。母に小言を言われることもなく、ブラハード家もバーレンス家も、望んだ位置に綺麗に収まることができるのだから。 「神学科で勉強続けてこの先どうするつもりなの? 学校の先生になりたいなら、普通科でもいいでしょう?」 「でも、もしかしたら、王宮付き神官の仕事がこの先募集されるかもしれません、私は……」 「そんなもの、ここ何年も募集されてないじゃない。それに、王宮の仕事は、昔からメイナード家がするって決まってるの」 「……はい」 「わかってるなら、早く転科を決めて頂戴。それに、聖職者になるにしても、あなたは、その資格がないじゃない」 「……わかっています。もう少しだけ、時間をください」 「あなたは、わかってます、時間をください、そればっかりね。次のテストまでに具体的にどうするか、私が納得出来るように説明してちょうだい、いいわね」 「はい」  呆れ声で、眉を顰めた母にシルヴィーは頭を下げ二階の自分の部屋に向かう。  高等部に上がってから何度となく繰り返された、頭の痛くなるやりとりだった。  シルヴィーは部屋の灯もつけずにベッドに倒れ込んだ。すると、ふわりと身体から薬草の匂いがした。ジェイドの薬屋の匂いが制服に移っていたらしい。 「憧れの人と同じ仕事がしたい。それがそんなに、神様の意に背くことですか?」  ぽつりとこぼした本音に、返事はかえってこない。どんなに願っても、身体のどこにも、銀色の徴はいつまでたっても浮かばない。  ついさっき飲んだ、温かく甘いミルクの味と息ができる優しい空間がひどく懐かしく感じた。  シルヴィーは、つらい時、いつも決まって同じ夢を見る。神学校の初等部の頃、先生に連れられてクラスメイトたちと、王宮の中へ入ったことがあった。  初等部の最終学年の時に行われる職場見学。  炊事場から、警備兵の屯所、事務官たちが働く執務室、外の世界で見ることが出来ない仕事場の様子に自分を含めて周りのクラスメイトは目を輝かせていた。  最後にみたのが、王宮内の神官が働く聖域だった。  春の祭事の時に神殿だけは公開されるが、その多くは秘匿され一般が立ち入ることを許されない神聖な場所。  神学校の生徒だったシルヴィーたちは、勉強のためと特別に中をみることができた。  神殿は宝石箱をひっくりかえしたような眩い光の天井に、大きな竜が描かれていた。  先生は、それを見上げながら、この国の神様ですよと教えてくれた。  ――まっすぐな、優しい心を持ち続ければ、あなた達も、きっと竜の加護を受けられるでしょう。  まっすぐな、優しい心。  自分にそんなものがあるのか、シルヴィーは分からなかったけれど、白い神官服を着て神様の話を聞かせてくれた大人に、その瞬間、一種の憧れみたいなものを抱いた。  けれどなりたいものが出来たのと同時に、諦めていた。  子供ながらに、自分には、バーレンス家として、すでに決められた道があることは分かっていた。親が認めるような仕事に付かなければいけない。親の期待を裏切ってはいけない。  学校を卒業すれば、真っ当な仕事について欲しいというのが、小さな頃からの親の口癖だった。  王宮内で働く特別な聖職者は別として、神官という仕事自体は、それほど地位が高い仕事ではなかった。シルヴィーが、教会の神官になりたいと言えば、親に怒られるのは決まりきったこと。  失意のなか、ぼんやりと歩いていると、シルヴィーは、いつの間にか、クラスメイトたちの列からはぐれてしまい、建物内をひとりで彷徨っていた。  聖域内は広く、内側は入り組んでいて、なかなか外への出口は見つからない。やっとのことで、外に出ることが出来たと思ったら、そこは中庭だった。  薬草園の横には、小さな噴水があり、昼間の暖かな日差しに水面がキラキラと光っていた。 「なんだ、見学の学生か、迷子?」  長い灰色の髪に金色の瞳、男は、噴水の横にある椅子に座って本を読んでいた。片足を椅子に乗せている姿は行儀悪く見えるが、目の前の男がするとなぜかさまになっている。 「うん、迷った」 「迷うか普通? って、まぁ俺も小さい頃迷って礼拝遅れたから、一緒か。迷路みたいで探検してたら帰れなくなったんだよなぁ」  暖かな陽だまりに吸い寄せられるようにシルヴィーは男のそばに歩いていく。 「ちょっと考え事してたから」 「なに、ガキのくせにいっちょまえに考え事? なーに悩んでんだよ、ほらほら言ってみ、聞いてやるからさ」  そう偉そうに言われて、一瞬むっとしたけれど、もし、さっきの神官様たちに、お話してみてと言われたら、何も話す気にはなれなかった気がする。  なんだか恐れ多いとか、緊張するとか。  シルヴィーは、友達のように話をする大人に出会ったのが初めてだった。  目の前の男は、さっきまで、不思議な神様たちの話を聞かせてくれていた神官様たちと同じ綺麗な白い服を着ていたが、外見からは「神官らしさ」みたいなものは感じられなかった。 「あの、神官様」 「その、神官様って言われるの、未だに、嫌なんだよな俺」 「神官様なのに?」 「うん、神官様にも嫌なこと、たーくさんあるんだよね」 「私と一緒だね」 「そうそう一緒だよ、嫌なものは嫌でいいんだよ、無理に好きになったところで、それは本当の好きにはならないんだから」  それが、人に寄り添うということなら、目の前の男は外見なんか関係なく、立派な神官様なのだとシルヴィーは思った。 「あのね、私、神官になりたいんだ。でも、多分、なりたいって言ったら、怒られる」 「ん、誰に?」 「父さんと母さん」 「じゃあ聞くけど、お前は、誰かに諦めろって言われたら、その夢、諦められる?」  男にまっすぐに目をみて言われ、胸に手を当て考えてみた。多分、諦められない。お前には無理だって言われても、やる前から諦めることは出来ない気がした。  首を横に振ると、男は、だろ? といって歯を見せて笑う。 「だったら、考えるだけ無駄、そんな悩んでたって迷子になるし、いいことなんてなんもなかっただろ?」 「でも、お兄さんに会えたよ、いいことあった」 「じゃあ、それはきっと神様のお導きって奴だ、お前があんまり苦しんでるから、神様が、俺みたいな考えなしに会わせてくれたんだよ」 「考えなしなの?」 「よく言われるんだよ、兄と比べて思慮深さがないって」 「しりょ?」  男は、からからと笑いながら、帰って辞書引いて勉強しなと言った。 「結局、足は進みたい方にしか向かないんだって、神様はそう言っています。聖典の、百五十五ページ、二節な、学校帰ったらちゃんと読むように」  取ってつけたように、神様なんて言うから、シルヴィーは思わず笑ってしまった。 「いいじゃん、なりたいものが見つかるって、すごいことなんだぞ? 俺なんて、なりたくないものはあっても、なりたいものは、未だに見つかってないからなぁ」  そういって、少し寂しそうに笑った男が、急に頼りなさげに見えたから、シルヴィーは思わず男の手を握っていた。自分に寄り添ってくれた、神官様に同じように優しい心を返したいと思った。 「お兄さんに、神様のご加護がありますように」 「おう、ありがとな。お前は、もう立派な神官様だな」  多分、その時に、シルヴィーは、あの優しく話を聞いて寄り添ってくれた神官様みたいな人になりたいと思った。  もし叶わなくても、やる前から諦めることは絶対にしたくない。しばらくその場で他愛もないことを話していると、いつの間にかいなくなっていたシルヴィーを探して、王宮の警備兵がやってきた。 「あ、メイナード様、学生が一人迷子になって……おや、ここにいましたね」 「お迎えだぞ。じゃあな、今度は迷うなよ」  にこにこ笑い大きな手を振った神官様の顔を、もうはっきりとは思い出せない。灰色の長い髪に、白い神官服、金色の目と温かい笑顔、いつか再び出会えたら、自分の背中を押してくれたことのお礼を言いたかった。そして、叶うなら彼と一緒に働きたい。  その日、家に帰ってから、王宮で神官様の仕事をしたい! と母に夢を語って、それが、真っ当な仕事につくよりもはるかに難しいことだと知るのは、もう少し先のことだった。  気がつくと、いつの間にか眠っていて、窓の外は白んでいた。  昔のことを思い出そうとしても、いつも記憶の青年は、ぼんやりとしている。  シルヴィーに、はっきりと分かるのは、彼がメイナード家の人間であること。  メイナード家の屋敷は、昔から王宮の敷地内にあり、外との交流があまりない。外の人間が会いたいと言って会える人たちではなかった。  年に一度ある、祭事で何度か遠くから彼らを見ることは出来たけれど、あの日聖域で出会った、青年は見つけられなかった。  もちろん、シルヴィーの記憶が、ぼんやりしていて本人だと気づけていない可能性もあったが、シルヴィーにはそれを確かめる術もなかった。  秘匿された聖域のことは、文献も少なく、あっても信ぴょう性の少ない噂話ばかりだ。  もし、あの神官様が何か事情があって、外に出られないのだったら、とシルヴィーは考えるようになった。  もし、病気や、怪我をしていたら?  自分を導いてくれた神官様が、何か困っているのだとしたら、今度は自分が何かできることをしたい。  言えば、きっと、そんなこと気にするなと笑われる気がする。  ――シルヴィーは、夢を最後まで諦めたくないと思った。 「叶わなくてもいい、努力したことは無駄じゃない」  シルヴィーは、ベッドの上から起き上がって、窓を開けた。朝の空気と冷たい風が頬に当たって気持ちのいい目覚めだった。  そうして、ひとり決意を胸にして、いつもと同じように身支度を整え学校へ向かった。
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