* 第五話

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* 第五話

 森にあるジェイドの薬屋につくまで、シルヴィーはじっと黙ったままだった。ジェイドも、シルヴィーのだんまりは慣れっこなのか、無理に話させたりはしなかった。  店に着き、背中を押されて中に入ると、シルヴィーは吸い寄せられるように定位置になっているロッキングチェアーに座った。  ジェイドは店の薬品棚から薬箱を持ってシルヴィーのところまで来ると、隣に丸椅子を置いて座る。 「で、さっきのあれが、お前をいつもいじめてるディオくん? ブラハード家の長男くんだよね」 「なんで知ってるの?」 「有名だから、ま、シルヴィーの家も知ってるけど。バーレンス家だろ。で、揃って名家のご子息が喧嘩」 「別に、喧嘩じゃない」 「そう? って、お前、顔だけじゃなくて手も腫れてるし、なんだよこれ。ディオくん殴ったのか?」  そういえば、自分で壁を殴ったことをシルヴィーは思い出す。 「喧嘩の仕方もしらねぇのかよ」  大人が子供を叱るときの口調なのに、ジェイドの声色は、弾んでいてちっとも怒られている気にならなかった。口では言わないけれど、心の中では、我慢しないで言いたいことが言えたシルヴィーを褒めているような口ぶりだ。  シルヴィーはジェイドのことを変わった大人だと思う。今まで関わったことのない種類の大人。  ――いや、一度だけ似ている人に会った。  自分と同じ目線で話をしてくれた王宮で出会った青年。もう、夢と現実と区別がつかないくらいに記憶の映像は薄れているけれど、シルヴィーの大切な思い出だ。  その思い出を忘れられないから、シルヴィーは子供のころに抱いた自分の夢を諦めることができないのかもしれない。 「だから、喧嘩じゃない、自分で……壁殴った」  絶対人を殴ったりはしない。そんなことをすれば、きっと本当に神様に仕える仕事につけなくなる。人を傷つけることは絶対にしたくない。 「……見た目と違って剛毅なことで。ま、お前が人殴ってたら、俺もびっくりするけど。基本的に優しいもんなぁ。将来は聖人にでもなる気なの?」  頬の傷を消毒されて、手には大げさに包帯を巻かれた。薬を塗られた頬はヒリヒリと痛み、壁を殴った右の手は、熱を持っていた。  聖人になるつもりかと問われて、せっかく落ち着いていた心が、またざわざわして悲鳴をあげ始める。 「包帯とか要らないのに」 「ちゃんとしねーと腫れるぞ」 「……ジェイド」 「なんだ?」 「手当てもだけど、ありがとう、学校で声かけてくれて」  そうでなければ、きっと、あのままディオを殴っていたから。どんな理由があっても人を殴ったらシルヴィーは後悔する。 「素直でよろしい」  ぐしゃぐしゃとシルヴィーの頭をかき混ぜると、薬箱を持ってジェイドはカウンターの中に戻っていく。学校から一緒に戻ってきたので、さっきまで無人だった店の中はひんやりしていた。  ジェイドは、薬箱を直すと部屋に灯をつけ暖炉に薪をくべていく。 「それで? 一体何があったんですか? 喧嘩じゃないにしても、ブラハードの息子になんか嫌なこと言われたんだろ、本投げられてたし」 「本? あぁ、なんか読めって言われて」  シルヴィーは、倉庫を出る時にディオに投げつけられた本をカバンの中に入れていた。あの場所に置かれた本は、図書館から廃棄するものや、古い教科書など捨てられるものだ。持って帰ってきたところで咎められたりはしない。表紙が破れかかっているボロボロの本は、街の本屋で売られている娯楽本の類に見えた。 (生徒が学校で没収された本?) 「……ねぇジェイド、神官様の嫁取りって知ってる?」  ボロボロの本を開きながら、暖炉の前に居るジェイドに声をかける。 「嫁?」  長い間、募集されていなかった王宮付き神官の求人。  王宮に仕える神官は、基本的にメイナード家の人間と、その内部から任命された人間で足りていた。  そして、メイナードの家には、古くから王宮に仕える理由があった。高貴な家柄もあるが、もっと根源的な理由。  メイナード家は、この国の神様であるアレスピの竜の血が受け継がれている家系だと言われている。文献は少ないが、彼らは後天的に神様に認められた資格者ではなく、最初から神様の血を持って生まれてくる人間だった。  その証拠として、一般の人間と比較できないほどに、強大な力をもっているらしい。 「今日、ディオが王宮神官の嫁取りが……」  話しながら、本を読んでいた手が止まり、シルヴィーの顔は一瞬で真っ赤になった。恥ずかしさのあまり慌てて読んでいた本を閉じる。 「シルヴィー?」  突然、黙り込んたシルヴィーを不審に思ったのか、ジェイドは暖炉の前からシルヴィーが座っていた椅子のところまで戻ってきた。 「どした?」 「な、なんでもない、なんでもないから」 「なんでもないって顔じゃないけど、顔真っ赤にして? それが、今日の喧嘩の原因?」  ジェイドはシルヴィーが隠そうとした本を奪って中身を確認する。そして、にやにやと楽しそうに笑いだした。 「なんか深刻な顔してたから、止めたけど、お前ら仲良くエロ本読んでたのか? もしかしてお楽しみ中なのオジサン邪魔しちゃった?」 「ち、ちがっ、だから、それは、ディオが!」 「へぇ、お友達のディオくん、こういうのが好きなの?」 「そ、それは、知らないけど」  持ち帰った本には、神官に仕える見習いの青年が淫らな姿で神殿で抱かれている姿が描かれていた。 「で、お前もこういうので、抜いてるのか? ふーん、神官様の嫁取りモノねぇ」 「ばっ、汚らわしいこと言うな!」 「汚らわしいって……生娘みたいに。別に、ただのエロ本だろ、誰だって読んでる」  シルヴィーは、どうしてディオがこんなものを自分に投げつけたのか、その理由がわからなかった。  手がかりは、ディオが言った神官様の嫁取りという言葉だった。そして、ジェイドも同じように、嫁取りと言っていた。 「なんで、こんなもの……」 「女人禁制の王宮の修練院で、師弟の契りを結びって、いやぁ、これはなかなか、真実はさておき、王都の人たちは想像力豊かでいいね」  ジェイドは恥ずかしげもなく興味深そうに読んでいた。シルヴィーは、その絵を直視することも出来ない。 「で、これで、なんで喧嘩になるんだ? 嫁取りってこのエロ本のことだろ」 「ディオは、私が、神官になるのが気に入らないんだよ」 「お前が、神官?」 「……うん」  今日まで神官になりたいとジェイドに夢を伝えたことがなかった。  ずっと自分のことを肯定してくれていた最後の人に、あっさりと、似合わないとか、バーレンス家のためにやめろと言われるのが怖かったから。  シルヴィーの隣に立つジェイドは、信じられないという顔をしていた。 「似合わないって、笑う?」 「いや、笑わねぇけど。驚いただけ、つまり、なんだ? ブラハードの息子と、バーレンスの息子は揃って、神官になろうとしているってことか、名家の長男二人も? 確かに、親なら泣くかもな」 「ディオは違うよ。神官になるつもりは無いって」 「じゃあなんで、喧嘩になるんだ?」 「家同士競わされているのは、昔からだし、向こうの家は成績とか気になるんじゃないかな、筆記だけなら、私がいつもディオの上だから」  筆記と実技をあわせた成績では、ディオの方が上だ。 「ま、家の問題っていうのは、どこも理不尽で大変なもんさ」 「……うん。私もディオも、状況は変わらないから」 「それで、シルヴィーは相手に同情してディオくんに言われっぱなし? 立場が同じなら一緒に怒ってやればいいのに」  ジェイドに言われた言葉は、シルヴィーにとって意外なものだった。仕方がないと諦めて、言われるまま耐えることが自分にできることだとずっと思っていた。 「しかし、俺は、てっきり、シルヴィーは神学校出て学士にでもなるつもりかと思ってた。勉強好きみたいだったし、そうか、お前、神官になりたかったのか……」 「うん」  ジェイドは、何か考え込むふうに暖炉の火を眺めていた。 「けどさ、神官って、王都にある教会? それとも神学校の先生? 神官になるにしても、一生、勤める人間もいねぇし、親が仕事やめるときに家継ぎますって約束すれば、そんなに反対されねぇんじゃないか」  ジェイドは「これでお前の悩みは解決したか?」といってにこりと笑う。実現可能な親を納得させるためのアドバイス。もちろんシルヴィーも同じことを考えた。  期限を設けて、そこまでは自由にさせてもらう。けれど、シルヴィーの場合は、それ以前に資格がないことが問題だった。 「そう、だけど、違って……」 「まだ、あんの?」 「……今日学校で、王宮神官が募集されるって知って、それで、ディオは私が王宮の神官になりたいこと知ってるから、それが、気に入らないみたいで」 「は? なんで、王宮神官が? 欠員なんかないだろ」  シルヴィーに背を向けていたジェイドは振り返り眉を顰める。 「なんでって、詳しくは知らないけど、メイナード様が、読師を募集してるって。だから私、その求人に応募したくて」 「……そりゃ、ディオくん怒るだろ」 「どうして」 「ディオくんが、この本投げた理由分かんねぇのか? お前もなかなかに罪深い男だよな」 「罪深いって?」 「あのな、要は、大事な友達が、神官様の嫁になるのが気に入らないんだろ、あと、内側の聖域に入れば、外の世界と関わることは殆どなくなるし、どんなに名誉な仕事だとしても自由もない。心配してるんだろ」 「そんなの」  顔を合わせば、嫌味ばかり言われている。それでも、昔はよく一緒に遊んだ友達だった。昔と変わらず同じように今も心配をされるような間柄かといわれると、シルヴィーは、よく分からなかった。小さな頃は、もっとディオのことを知っていたけれど、今は心の距離が遠い。 「ないって言い切れるか? 家のことを抜きにすれば、昔は仲よかったんだろ? 一度友達になった人間をそう簡単に全部大嫌いにはなれないんじゃないの?」 「ねぇ、ジェイド、その嫁取りって」 「あー、お前知らない? このエロ本は、ただの大衆の妄想から生まれたものだけど、神官が外から弟子を取るジャンルが「嫁取りモノ」って言われてるんだよ。昔から一部の外の人間は、隠された聖域で師弟愛が育まれてるって信じてんのな」 「そう……」  シルヴィーは、ふいに自分のなかで形がなかった感情に答えを与えられた気がした。  神官という仕事への憧れ、神学が好き、人々の役に立ちたい。  神官になりたい理由は、シルヴィーの中にたくさんある。  ただ、過去に出会った「メイナード様」に抱く、その感情を、ずっと後ろめたいと感じていた。  望まれるなら、何を差し出してもいいと思うほどの、この心がどういった種類のものか。  相手に、望み、望まれたいという心は、決して献身などではなかった。 「なんだ? さっきまで、赤い顔してたのに」 「……どうしよう、ジェイド、多分、私、それでもいいって思ってる。不自由な生活でも、外に行けなくなっても」 「もしもし、シルヴィーちゃん、意味わからなかった? 王宮の中の神官様は、全員男なの。外と隔絶された世界の中で寝食共にする若い弟子を取るって、そこに書いている本みたいな身体の交わりがあってもおかしくないって話だよ」 「ねぇ、師弟愛の何がいけないの?」 「なに?」 「だって、メイナード様、病気かもしれないって聞いたし、私は……私にできることがあるなら、なんだって出来るよ。それって、そんなに悪いこと? 昔のご恩を返したいって思っちゃ駄目? ねぇ、ジェイド私おかしい?」 「落ち着けって、一体どうした?」  もし、本当に神官様の嫁に望まれたとしても、喜んで全てを差し出せるとシルヴィーは思っている。  これが、シルヴィーがずっと後ろめたく思っていたことの本当の理由だった。  動機が不純だと自分でも分かっていた。いくら、周りが納得するような理由を並べ立てても、一番の願いが、好きになった人のそばに行くことだった。 「つか、メイナードって、あいつが? なに病気なの?」  ジェイドはシルヴィーに問いかけた。 「ジェイド、メイナード様を知ってるの?」 「お前は? 会ったことあるのか」 「……うん、昔、王宮で」 「――なぁ、それって、いつの話?」 「初等部のとき。職場見学で聖域の中に入って、その時、帰りに迷子になって、あとで先生に怒られて、本当大変だったんだけど」 「お前が……ね」  ジェイドは、目を瞬かせてシルヴィーを見た。 「メイナード様、とても綺麗な人で、私ずっと憧れていて」 「……そうかよ。とりあえず、お前の考えていることは、分かった」  急に、ジェイドの声色が変わった。 「え、ジェイド?」  いつも、自分に温かい笑みで、元気付けてくれていたジェイドの表情が突然曇る。それはシルヴィーが初めて見る表情だった。 「つまり、なんだ? お前は、憧れのメイナード様のために神官目指してるのか? この本に書いてる嫁みたいに、かいがいしくお世話してえって? 頭ぱっぱらぱーかよ、色ごとが何かも知らないマセ餓鬼が、頭冷やせ、親が聞いたら泣くぞ」  顔が朱に染まる。ずっと、答えが出なかったのに、本を見たことで、自分の本当の欲求を知ってしまった。気づかなければ、知らなければよかった。 「……ちゃんと、知ってるよ」 「は、何を知ってるって? お子様なシルヴィーちゃんが」  さっきまで笑っていたジェイドは、シルヴィーを煽るように頬に手で触れてくる。 「それは……メイナードの家は、竜の血を引いていて、その強い力が不安定だから支える人が必要なんでしょう、それにご病気なんだったら」 「あのなぁ、病気病気って、あいつは殺したって死にやしねーよ」 「ジェイドにメイナード様の何が分かるんだよ!」 「分かるんだよ、知ってるから」  ジェイドは呆れたような声でそう言った。 「シルヴィー、知ってるついでに、お前に教えてやるけど、王宮で働くのは、お前みたいに優しいだけの人間には務まらない。祈るだけの慈善事業じゃねーんだよ。政治だってからんでくる、黒を白って言わなければいけない場面だってあるだろ、大体な」 「そんなの、どこで働いたって同じだ。正しいだけじゃ人は救われないって私はちゃんと知ってる。メイナード様は、正しくなくても、私の夢を肯定してくれた」  自分が夢を叶えることで、周りが悲しむと分かっていても、どうしようもなく望んだ未来に手を伸ばしてしまう自分を許してくれた。  自分が行きたい方にしか足は向かない。そう教えてくれた。 「……どいつもこいつも、メイナード様って……。だったら、お前は、他人が望んだら、なんでもするんだな、なんなら、俺と予行練習でもするか? 見せてみな、神官様?」 「ッ……」  ジェイドは、シルヴィーの顔を覗き込む。その金色の目に身体中が縛られるような心地がした。 「ほらな、シルヴィー、軽々しく、なんでも出来るとか言うな」 「私は……」 「仮にも神官になりたいというなら、貞節について考えろ、そんな自分を大切にできない奴に他人の心を救ったり出来るか? 出来ないだろう?」  ジェイドの声が遠くに聞こえる。頭の中がぐちゃぐちゃだった。どれほど他人を大切にしても、自分の心を犠牲にしても、結局、力もなく、何も出来ない自分。  もう、いっそのこと、目に見える形で、引導を渡されたかった。 (諦められるのなら、諦めさせて欲しい)  古文書に書かれていた、竜の血を引く者の話。  神の血を宿し生まれた者は、その膨大な力を制御するために、時に力を移す器が必要だと記されていた。互いの信頼のもと行われる治療行為。  ジェイドは、そのことを言っているのだと思った。けれど、それは神官の資格がない人間には出来ない。やったところで、何も起こらない。 「……ちゃんと知ってるから」 「知ってたところで、どうせ、出来ない。好きでもない相手に」 「出来るよ」  シルヴィーは、ジェイドの手を握ると金色の瞳を見つめ返す。  もし「竜の加護」の徴があれば、聖典の一節を唱えれば、銀色に光る文様が身体に現れる。けれど、シルヴィーは持っていないから、唱えたところで、何の変化もなく、言葉は二人の間に虚しく響いた。  悔しかった。何も出来ない、何も変わらない自分が情けなくて、このまま全部壊してしまいたかった。 「ッ、まて、シルヴィー!」 「見せろって言ったのは、ジェイドだ。ちゃんと、最後まで見てよ。私に神官の資格があるかどうか、私は、何だって差し出せるのに……」  どんなに望んだところで、自分の身体には「竜の加護」の文様は現れない。力もない。  そんなことは分かっていた。  だから、自分をずっと支えて、励ましてくれたジェイドになら見せてもいいと思った。  頭に血が上っていた。  肌を触れ合わせ、相手の体液を掬う。自身の身体の内側に相手の力を通す感覚を想像する。  文献に書かれている方法なんて神学の教科書を読んだことがあれば、誰だって知っている。信頼していない相手とすれば、苦痛を伴うことも。  何も起こるはずはない。シルヴィーには力がないのだから。  シルヴィーは、ジェイドの唇に自身の唇を重ねた。 「ッ、んんっ……」 「ぅ、お、いっ」  肩を押し抵抗されても、無理やりにジェイドの唇を舌で割った、体液を舌に絡め、身のうちに取り込む。  こくりと喉を鳴らし、ジェイドのそれを飲み込んだ。 「……ほら、何も、起こらない」  こんなに、心が痛くて、苦しい思いをしても、何も変わらない。  最初からわかっていたことだった。  シルヴィーから解放されたジェイドは唇を手のこうで拭った。まさかここまでやるとは思っていなかったらしい。ジェイドは虚をつかれたことに腹がたったのか舌打ちをこぼした。  シルヴィーはジェイドと今まで築いてきた信頼関係を全部壊したのだと分かった。けれど、それだけじゃなかった。 「お前なぁ、何してんだよ!」  怒鳴られた次の瞬間。  シルヴィーは身体の力がふわりと抜けた。その場に蹲り、身の内側を暴れ狂う熱に目を見開いた。顔をあげるとジェイドの腕に銀色の文様が光っている。  シルヴィーは「竜の加護」の徴を持っている人間の力を身体に直接取り込んだのだと分かった。力のないシルヴィーの儀式は失敗するはずだった。けれど、力は、確かにシルヴィーの体の中に取り込まれていた。 「ッ、ぁ、なん、で、ジェイドが、持って……」 「黙ってて悪かったけど、俺はお前の学校の卒業生で聖職者の資格持ってんの、で、お前は資格無いんだな、光ってなかったし。マジかよ」  ジェイドは、そういうと足元に蹲るシルヴィーの前に膝をついた。 「お前、神官になりたいんだよな? なんでだ」 「ッ、し、知らない、どんなに望んだって、神様は、私を認めてくれない」 「そりゃ、ひどい神様だな。お前あんなに毎日頑張ってるのに」  ぽろぽろと涙が溢れて木の床にしみを作る。ジェイドにかけられる憐れみの言葉に胸が痛くなった。 「つか、やる前に聞けよ。煽った俺もわるかったけど」 「っ……ごめ……なさい……」 「資格のない人間が、術を使ったら、どうなるかくらい知ってるだろ?」 「ぅ……」  苦しくて、シルヴィーはその場から動くこともできない。 「おい、大丈夫か? 目、回ったか?」  聖気に当てられると気分がよくなると言われていた。ただ話に聞く酒酔いの心地よさなんかじゃない。  身体中、熱くて、息が上がって苦しい。  シルヴィーは、いつまでたっても体の内側を這い回る、甘い毒に身を震わせる。 「……熱い……苦しい……」 「おいっ!」  シルヴィーは、とうとう体に力が入らなくなって、その場に倒れた。  今まで経験したことのない種類の苦しさに、涙が止まらなかった。目の前で倒れたシルヴィーに驚いたジェイドは肩を揺さぶる。 「まて、お前、なんで、力が身体から抜けねぇの」 「っ、ぁ、やっ、ジェ……ド、触らないで」  ジェイドに触れられると、身体が火照り、あられもない声をこぼしてしまう。ジェイドは、シルヴィーの身体に医者のように触れ、それから眉を寄せた。 「堰き止められてる、力が」 「ッ、ぁ……なに」 「シルヴィー、お前、誰に術かけられたんだよ」  ジェイドはシルヴィーから離れると、薬棚から小瓶を持って戻ってきた。それをシルヴィーの口元に持っていき傾ける。 「とりあえず、気休め程度だけど、飲んでおけ」  ジェイドに差し出された薬を身体を支えられながら飲み干すと、次第に呼吸は落ち着きを取り戻していく。  けれど、身体の熱さだけは、どうにもならなかった。ジェイドはシルヴィーを抱え上げ店の奥へ歩いていく。身体に触れられるだけで、その刺激は頭の芯を溶かし、シルヴィーの身体の熱を上げる。  身のうちに巣食う甘やかな疼きは暴力的な快楽だった。 「ッ、っ、ああっ、や、やだっ、やだぁ」  シルヴィーはその刺激に耐えられなくて、ジェイドの腕から逃れようとした。 「暴れるなって、危ない。床に転がしておくわけにもいかねぇだろ、布団に寝かせるだけだって」 「ッ、う、ぁ……あ……」 「ちょっとだけ我慢しろ」  ジェイドはそういうと、シルヴィーを二階の寝室へ連れて行き、ベッドの上に寝かせた。 「……ぁ」 「とりあえず、一人にしてやるから」 「っ、やっ、ジェイド」 「なんだよ、気つかってんだろ。出すもん出したら、治るから」 「ど……やって」  シルヴィーは、部屋の外へ出て行こうとするジェイドの服の袖を掴む。 「そういう趣味なら、見ててやるけど、違うんだろ?」  シルヴィーは、自分の中で暴れ狂う熱がどうすれば治るのか、その術を知らなかった。欲の正体も摂理も知っている。貯まれば子種が溢れることは知っていても自発的に出す方法を知らなかった。  子を作る目的以外で、自分で慰めることは、やってはいけないことで、体に毒だと父に教えられた。  かといって、いま自分の中心を熱くしているものが治るまで、ただじっと耐えることなど出来る気がしない。気が狂いそうだった。 「っ、助けて……」  すがるような目でジェイドを見る。一人になりたくなかった。自分で制御出来ない身体に不安になる。 「なんでもメイナード様にあげるんじゃなかったのかよ。身体だって差し出すつもりだったんだろ?」  ジェイドは、小さく息を吐くと、シルヴィーの頭を撫でた。 「何も……ない、何も、持ってない……」 「そんなことないだろ?」 「……無いんだ」  心も身体も、差出せるものならなんだって差し出したいと思っている。  けれど、シルヴィーは、その資格も、苦しんでいる相手を助ける術も持たない無力な自分が悔しかった。 「見た目通りに、お前がガキで安心した。あんまり、びっくりさせんなよ」 「ごめ……なさい」  ただの八つ当たりだった。目の前が真っ暗になった気分だった。何も出来ない自分に腹が立って気づいたらジェイドに当たっていた。知りもしない色ごとを使ってでも自分を認めてもらいたかった。  誰でもよかったわけじゃない。ジェイドに今のどうしようもない自分を見て欲しかった。  助けて欲しかった。 「俺も悪かった。お前の問題と、俺の問題は関係ないのに、一人で嫌なこと思い出して、勝手に腹立てた」  誰だって、触れられたく無いことがある。シルヴィーが、力を持たないことと同じように、ジェイドもきっと、心に傷を持っている。  それは触れられたくない。蓋をしていること。  ジェイドはベッドの上に腰を下ろすとシルヴィーを抱き上げて、自身の膝の上に乗せた。 「……ッ、ぁ」 「心も身体も、全部お前のもんだよ、シルヴィー」  耳をくすぐるような低い声。不安定な心は次第に落ち着きを取り戻していく。シルヴィーはジェイドのこの温かい声が好きだった。どんなに、苦しくて不安になっても、大丈夫だと言われると薬なんか飲まなくても、迷いがふわりと消える。 「お前がもし神官になりたいなら、それだけは忘れるな」 「……ぁ、ジェイド」 「俺は、お前のこと大事だと思ってるよ、ちゃんと伝わってる?」  ジェイドの声は優しく、ゆっくりとシルヴィーの心に届いた。 「お前は、努力家で、不器用だけど、とても優しい。だから何もないとか悲しいこと言うな。ちゃんと持ってるだろ?」  頭が痛いと言ったときも、苦しいと言ったときも、怪我をしたときも、ずっとシルヴィーの心を身体を心配してくれたジェイドの前で、自分のことを投げやりに乱暴に扱ったことを恥じた。ジェイドの心を傷つけたことも分かった。自分だって傷ついた。  怖かった。もう二度と、同じ温かな笑顔を見られないことが。 「あっ、やっ、ぁ……」 「苦しいか? 少しだけ、我慢な」  シルヴィーの下の衣服をくつろげるとジェイドは甘く苛む熱の中心を取り出し二人の眼前に晒した。自分の背に触れるジェイドの身体の温かさにシルヴィーの心臓のどくどくが伝わるのが恥ずかしかった。けれど、自分でもどうすることもできなかった。  自分を助けてくれる存在に身を委ねている。  シルヴィーの腫れたそこは、ジェイドの手のひらの上に涙のように蜜をとろとろとこぼし続けている。 「最初に、言っておくけど。これは治療行為だからな」 「ッ、ぁ……う、ん」 「ここ、たまに、触らないと、気持ち悪くなるだろ?」  終わりの見えない快楽の源にジェイドは手でゆっくりと施していく。 「……ぁ、ほ、放っておけば、治る」 「そりゃそうかもしれねぇど、別に我慢しなくていいんだよ、こんなふうに擦ってれば気持ちよくなるし、別に悪いことじゃないからな」  刺激になれてきたころに、ジェイドは、次第にその手つきを速めていく。熱芯を追い詰めるような手の動きにシルヴィーは声を抑えることが出来ない。 「っ、ぁ、あっ、あっ、あああっ、やっ」  ジェイドに、熱く張ったそれを握られて、上下に擦られると、身体中で行き場を無くした熱がそこにどんどん集まっていった。 「っ、ぁ、やっ、ああっ」 「出していいから、ほら」  赤くぷくりととなった先を擦られるとたまらなくて、とめどなく溢れていた。 「あ……あぁ……」 「ちゃんと、健康で良かったな」  そんなことを喜ばれて、情けなくジェイドの手の中で喘いでいるのが恥ずかしい。 「あっ、だめ、なんか、んんんっ」 「ほら、気持ちいいの我慢するなって、熱いの全部出したら、楽になるから、ほらイきな」 「ぅ、ぁあああっあっ!」  擦られているうちに、目の前がチカチカと白む瞬間が訪れる、上り詰めて、落ちるような解放が、イくことなのだと身体が覚えていく。  治療行為で、ただの性教育なのだと分かっているのに、シルヴィーは、ジェイドがするその手淫に溺れていた。  ダメだと分かっているのに、もっと欲しくなってしまう。  ジェイドの手を汚し、自分の腹部に放たれた白濁をぼんやりと見つめている。 (もっと……)  いけないことだと分かっているのに、シルヴィーは、ジェイドの手に促されるままに、再び頭を擡げるそれに手を伸ばし、自慰にふけってしまう。 「ぁ、やっ、やだ、な、治らない」 「シルヴィー、ごめんな。俺の力、少し濃いんだ……全部抜くのに時間かかる」 「ぁ……」  ただの森に住む薬師が、どうしてそんな力を持っているのか、どうして神学を学んでいたのか。  ――なぜ、ジェイドは、神官を目指さなかったのか。  正しく導くことのできる、その才能だとか適正を、こんな森の中で燻らせているジェイドがシルヴィーは不思議でならなかった。  ただ、その話に触れることは、同時にジェイドをさっきのように追い詰めることなのだと、内心分かっていた。 「ぁ、っ、ジェイド、ごめんな、さ……」 「大丈夫だから、ほら、な、ゆっくりすればいい」  その大きな手に包まれて、苦しくて泣くシルヴィーが落ち着くまで、ジェイドは抱きしめて傍にいてくれた。 「っ……ジェイド、ごめんなさいっ、ぁ……あ……」 「いいよ、お前は悪く無いから、何も気にするな」  シルヴィーは、いつ終わるともしれない、この甘い責め苦が、永遠のものと思えた。
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