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第一章『過去の待ち人』
「はぁ~、めんど。なんで俺が行かなきゃいけねぇんだよ」
寺門と上島は外出してて、家にいたのは肥後と市後。
まさか市後に行ってもらうわけにもいかないので自分で行くことに。
「ったく、無くなりそうになったら買っとけっつ~の」
男四人の同居。
シャンプー類の在庫管理なんてテキトー。
朝シャンする肥後が使った時には雀の涙程しか残っていなかった。
ストックがあるはずもない。
「あいつら帰ってきたら覚えとけよ」
一人スーパーに向かって歩いていく肥後。
同じ様なことがあったら嫌なので一応他の日用品もチェックしてきておいた。
ティッシュペーパーと歯磨き粉もそろそろ心配な具合だったのでついでに買っておくか。
そんなこんなで会計を済ませてスーパーを出る。
少し前までヤクザ稼業をやっていた自分がスーパーで日用品を買っているのだから不思議なものだ。
以前だったら自分で行くことなど絶対に無かった。
確実に寺門か上島に行かせていた。
そう考えるとだいぶ自分も丸くなったもんだ。
思わず苦笑いがこぼれてしまう。
「もしかして・・・肥後君?」
そんな時ふとすれ違い様に声を掛けられた。
「あっ?」
さっきまでの苦笑いが嘘のようにいつものニヒルな表情に戻り相手に振り向く肥後。
目付きはまだヤクザだった頃の名残で咄嗟の時はついつい厳しいものになってしまう。
相手は女。
肥後は確認するように相手の顔を凝視する。
なんとなく見覚えがある気がする。
「私よ、私。もうオバサンになっちゃったから気が付かないかな?」
そう軽く自分を卑下しながら微笑む女。
「もしかして・・・若葉か?」
「あっ、思い出してくれた!嬉しい」
若葉と呼ばれた女性は本当に嬉しそうに笑った。
会津若葉。
肥後が大学時代に付き合っていた彼女だ。
「もう10年振りくらいだもんね。あたしもだいぶ変わったでしょ?肥後君は相変わらずだね」
確かに当時と比べると少しふっくらしてるかな。
でも、今でも綺麗なのは変わっていない。
俺が相変わらずって目付きのことだろう。
昔から目付きは悪かったからな。
このせいで何度ケンカを吹っ掛けられたことか。
「肥後君は今何してるの?」
「俺か?ん~、まぁ会社員みたいなもんかな」
「あの肥後君が?」
そう言うと若葉はおかしそうに笑った。
確かに昔の俺を知ってる奴からしたら信じられないだろうな。
若葉が笑うのもよく分かる。
そういえば俺は若葉のこの笑顔が好きだったんだよなぁ。
何度救われたことか。
「そういうお前は?」
「私?私は保育士よ」
確かあの頃からの夢だったな。
「夢叶えたんだな」
「まぁね。肥後君は買い物の帰り?」
「あぁ」と言ったものの左手に下げているティッシュペーパーが無性に恥ずかしくなってきた。
「もしかして奥さんに頼まれたとか?」
「そんなんじゃねぇよ。俺まだ結婚してねぇし」
「そうなんだ。なら一緒だね」
そう言って左手を肥後に見せる若葉。
「あいつと結婚したんじゃなかったのか?」
あいつとは、大学時代肥後から若葉を奪っていった男。
突然「他に好きな人ができたから」という理由で捨てられたっけ。
別にそんなのよく聞く話だし、たいしたショックも受けていないと思っていたが、結果的にそのことが引き金となり肥後はヤクザの世界に入ることになった。
自分が思っていた以上に若葉の事が好きだったのだろう。
「大学卒業した後捨てられちゃった。きっと報いだったんだね」
「そうか」
肥後には掛ける言葉が見つからなかった。
周りは人が行き交っているにも関わらず、二人の空間だけ静まり返ったような状態だ。
その空気を嫌うように肥後が言った。
「じゃあ、俺行くわ」
「あっ、うん。それじゃあ」
去り行く肥後の後ろ姿をいつまでも見守る若葉であった。
・・・・・・
まさか若葉とこんな所で再会するとはな。
運命のいたずらか。
それよりあいつ結婚してなかったのか。
あ~、なんかモヤモヤする。
肥後は帰宅すると若葉のことが頭をよぎりうまくシャンプー類の補充ができず、こぼしたりして手間取ってしまった。
いつもの俺らしくもない。
その夜はあまり寝れなかった。
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