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Ⅱ.操られし運命
あやめが再婚宣言した、その後の週末。昴が手配した引っ越し業者が本当にやって来て、立花家の荷物は、笑顔のスタッフ達に手際良く運び出された。
立花家は様々な事情により、要が小さい時から何度も引っ越しをしている。
何かあれば何時でも引っ越せるように、荷物を乱雑にではあるが…常に纏めて置いていた位だ。
必要最低限の家具、家電製品等も昴は要達の為に新品を用意してくれていたので、業者が吃驚するほど、あっという間に引っ越し作業は終了した。
住み慣れかけていたアパートを引き払い、これも昴が寄越してくれた車に乗り込んだ三人は、秋庭邸へと向かう。
一軒一軒の敷地がどこまでも広く、本当に人が住んでいるのか、不安に思う位静まり返った高級住宅街を、黒塗りのハイヤーは走り抜けた。
「いらっしゃい!良く来てくれたね」
シックなアイアンワークが施された玄関扉が開き、幾何学模様の鮮やかなモザイクタイルが目を引くエントランスで、秋庭 昴がにこやかに要達を出迎えた。
「初めまして。立花 要です。こちらが弟の充です。どうぞ、よろしくお願いします」
深々と頭を下げると、昴は慌てた様子で、要の顔を上げさせた。
「いやいや…、要君。そんなに、畏まらないでくれ」
「でも…」
伽羅色の瞳を瞬かせる要に、昴は額に薄く汗を浮かせて頭を振った。普段とは違う珍しい様子に、あやめは隣でクスクスと笑っている。
「要。昴さんは、私達をお客じゃなくて、家族として迎えてくれているのよ」
「う、うん」
他人行儀になる必要は無い。と、あやめは言っているのだろう。
だが、お世話になる初対面の養父を前に、どうしても緊張を上らせてしまう。
と言うか、それが普通ではないだろうか…。
昴は照れを隠すように、要達を洋館の中へと招き入れた。
秋庭邸は落ち着いた、簡素なアール・デコ様式で建てられていた。
花や蔦等の有機物のデザインがふんだんに使われ、鉄やガラスを用いて、女性的で優美な曲線を表現する、アール・ヌーヴォー様式とは大きく異なる。
秋庭邸の外観は、余計な装飾を徹底して排しており、他の豪奢な屋敷と比べれば、地味で質素と言えた。
だがシンプルな外観と違い、一歩中に入ると、そこには鮮やかでモダンな空間が広がり、流麗な内装が彼らを迎え入れた。
洋館だが、モザイクタイルのエントランスで靴を脱ぎ、室内履に履き替えて大広間に入ると、扉の無い次室にいる人物を昴が呼んだ。
「私の一人息子を紹介して良いかな」
次室には、ワイングラスの様な形をした香水塔が中央に静座しており、その傍には青年が立っていた。
「息子の、一樹です」
一樹は要達の前に歩み寄ると、きちんと背筋を伸ばしてお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
彼は見た目だけで無く、声にも魅力がある事に要は気付いた。張りのある低い声に、つい、聴き惚れてしまう。
昴の時と同じに、自分と充の紹介をし、ちょっと迷ってから、
「はじめまして。で、良いんでしょうか…」
と、自信無さげに言った。
巡回の時に一樹と視線は合ったが、会話をした。と呼べる経験が無かったからだ。
彼は少し驚いて、切れ長の目を見開かせてから、ふっと微笑んだ。
「入学式の日だったと、思うけど…。廊下で要君の生徒手帳と、財布とスマホと家の鍵を拾って、渡した時に少し、話はしたかな」
「えっ…!」
ギクッと顔を強張らせた要に、充は呆れた視線を向けた。
「兄さん…。いくらなんでも、同時に大事な物を落とし過ぎじゃない…?普通、気付くでしょ」
尤もな指摘に、真っ赤になって俯いてしまう。そんな彼に昴とあやめも笑ってしまい、大広間に複数の笑い声が響き渡った。
「一樹さん、ごめんなさい。要は、人の顔を覚えるのが昔から苦手なの。気を悪くしないでね」
謝るあやめに優しく笑んで、一樹は要と充に、しっかりと握手をした。
「これから、よろしく。君達の部屋に案内するよ」
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