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「それじゃ、行って来るわね。お土産に、美味しいチョコレートと、サルミアッキ沢山買って帰るわ!」
「うっ…うん。楽しみにしてる…」
八月を迎えて直ぐ、あやめと昴は新婚旅行の為に北欧へ向け、出発する事になった。
朝から、蝉の鳴き声がわんわん響く重厚なポーチで、昴が一樹に言った。
「充君も、明日から大会の為に山梨へ行くから、家と要君の事を頼むぞ」
昴は、実子の一樹に対しては割りと厳しい。要達の前ではデレデレになるのに、一樹の前では彼と同じく、鋭い目をしていた。
跡継ぎを甘やかしたく無い、昴なりの考え方があるのだろうか。
「はい。分かりました」
それでも全く気負わず、きちんと父に一礼した一樹は、要と同じ高校生とは思えない位大人びている。
そう、誰の目にも印象づけられた。
全員が見送る中、二人は車に乗り込み、成田空港からカタールを経由して、ロンドンに停泊している客船へ向け、出発した。
「兄さん。家政婦さんに言われなくても、ちゃんと食事してよ。本読んでて忘れてた~。ってのは、もう無しだからね」
山梨へ向かう最後の瞬間まで、充は小言を絶やさなかった。
少々グッタリしつつ自室へ向かう。
夕食の時間を迎える前に夏休み中の課題を済ませ、一樹と二人きりで食事をした。
ダイニングは広く、二人だけだと寂しく感じたが、オレンジ系の暖色で纏められた空間は冷たさを感じない。
ダイニングの壁面は、銀灰色の花柄のレリーフや画が飾られており、美味しい料理と共に、要を楽しませた。
一樹は口数が多い訳では無いが、程よいタイミングで話を振ってくれたので、食事中気まずくなる事は無かった。
入浴を済ませ、アルコーブの書棚から本を取り出そうとした時、ドアがノックされた。
「はい」
重厚な樫の扉を開けると、そこには一樹がファイルを抱えて立っていた。
「秋庭先輩…」
「一樹、でいい。邪魔していいか?少し話がある」
こくっ…。と、思わず息を飲んだ傍を、返事も聞かずに通り過ぎて行く。
何故か彼は、ピリピリとした、危うい空気を全身に纏っていたのだ。
扉を閉め、ソファのあるサンポーチに案内しようと振り返ったが、一樹はダブルサイズのベッドに既に腰を下ろし、持ってきたファイルを広げていた。
なので仕方なく、二人分位の間隔を空けて、要もベッドに腰を下ろした。
「…悪いが、君達の素性を調べさせて貰った」
さっき、届いたんだ。
と、ファイルを指先で軽く叩く。
「君と母親のあやめは、過去に何人ものストーカーに狙われて、その度に、警察が介入しているな」
ファイルから視線を外さずに、淡々と話し出した。
「そのせいだろうが、あやめは何度も転職と、引っ越しを繰り返している。君も、しつこく男に言い寄られて苦労して来たみたいだな」
要は珊瑚色の口唇を引き結び、俯いた。
微かに水気が残る髪は、いつもより濃い飴色となって、白い頬に波打ちながら掛かっている。
「経済的にも、良い環境だったとは、ファイルを見る限り…言えないな」
冷たく光る鋼の瞳を、咄嗟に睨む。
「…何が、言いたいんです」
一樹は冷たい目で、要の伽羅色の瞳を見据えた。
「分かりやすい話だ。君の母親は、秋庭 昴の財力に惚れたんだろう」
はっきり金目当てだと、侮蔑も露に言い放つ。
「それに、あやめの過去はあやふやだ。どれだけ調べさせても、明瞭としない。君の父親も、何故か全く正体が掴めないんだ。充の父親は県外に移り住んで、家庭を持っていたが」
( まともな親子では無い… )
彼はそう、判断していた。
得体の知れない人間を簡単に信用し、家族として招き入れた父親が、信じられ無かった。
ファイルの上で、怒りに拳を固く握りしめる。
ー愚かな父親は、正体不明な上に、金目当てで美しいだけが取り柄のあやめを、心から愛し続けていたのだ。
自分の母親より、ずっと……。
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