DAY1:ジャック・オ・ランタン

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(あうう……すっかり遅くなってしまったのであります。母上が学校帰りに買い物など頼むから……) 何か猫のアニメキャラが描かれたエコバッグを右肩に掛けた一人の女性が、夕日のオレンジ色と夜の藍色が入り混じる時間の歩道を駆けている。 彼女の名は、木葉 紬(このは つむぎ)。 今年二十歳を迎えたばかりの女子大生だが、茶色いパーマ髪に大きな茶色の瞳、キャラもののフード付きの白いパーカーに加えて丸顔と黄色の台形型メガネという格好のせいで、年齢より幼く見られがちだった。 背中に背負った黒いリュックの端では、白衣を着たアニメキャラらしき男性のストラップが、彼女の走るリズムに合わせてゆらゆら揺れている。 (しかしながら!"買い物してきてくれたら、晩ご飯は紬の好きなオムライスにするわね"と言われたら、自分は……自分は!断ることなどできないのであります!ゆえに……ゆえに……今日は泣く泣く"煉獄のドクター"の生放送を諦めるのであります……) 紬は右手でメガネを外し、左手の甲で瞳を拭った。 けれども、録画をバッチリ撮っている彼女の瞳からは一粒も涙は出ていないのである。 (あと少しなのであります!頑張れ、紬!負けるな、紬!シノグ様が自分を待っているのでありますから!ああ……どうか、神様!自分を三次元の人間と遭遇させないで、無事に家に帰らせて欲しいのであります!) 心の中でそう願いながら、家まであと百メートルほどの地点である雑貨屋の曲がり角を、右に曲がった直後。 「は、はれっ?」 紬は茶色い瞳を瞬かせながら、ピタリと足を止めた。 見慣れているはずのその場所を、彼女はまるで初めて来た場所であるかのようにキョロキョロと見回す。 (おかしいであります……この先は住宅街のはずのでありますが。この時間とはいえ、自転車一台……人っ子一人居ないなんてことがあるのでありますかね?) 「げ、幻覚……でありますかね?そ、それとも、妄想の世界に自分の意識が飛んでしまっているのでありますか?」 紬は自分自身に問いかけながら眼鏡を外して右腕の真ん中あたりでぐしぐしと目元を擦ると、眼鏡を掛けて直してもう一度周りを見渡した。 しかし、やはり周りには誰も居らず、人の声も全く聞こえない。 いや、人の声どころか、猫や犬やカラスなど動物の鳴き声すら少しも聞こえて来なかった。 (音が……無いのでありますか?それに……暗いのであります……。街灯が全部故障するなんて……そんなこと、あり得るのでありますか……?) 街灯や家の明かりが全て消え、雲と雲の間から漏れ出した月明かりだけが辺りを微かに照らしている。 心無しか、うっすらと霧のようなものも出てきていた。 普段とは違う不気味な雰囲気を醸し出す住宅街の様子に、紬は不思議そうに首を傾げつつも 「はわっ!?の、のんびりしている場合では無いのであります!は、母上特製のオムライスと愛しのダーリン"シノグ様"が待っているのであります!」 自分が急いでいたことを思い出し、住宅と住宅の間の路地を再び駆け出す。 そして、あと数メートルで住宅街を抜けるというところで、 「ぎゃふっ!?」 紬は不意に横から飛び出してきた誰かとぶつかって、よろよろと後方に数歩よろめいた。 衝撃で眼鏡の留め具に押し付けられた鼻を、痛たた……と右手で撫でながら 「も、もうっ……だ、誰なのでありますか!?きゅ、急な飛び出しは事故の元なのでありますよ!?」 紬は自分にぶつかってきた人物に非難の声を上げる。 けれども、その人物の姿を確認した直後 「ふえっ……?」 と目を見開いて口を半開きにして固まってしまった。 なぜなら、その人物は……人間では無く、古びて錆びた鎧を着た頭の無い骸骨だったからだ。 「あ、あははっ……ハロウィンの仮装……でありますか?ほ、本番にはだいぶ早いのでありますよ?」 乾いた笑い声を上げながら紬は骸骨にそう教えたが、骸骨は何も答えずに紬とぶつかった時に落とした頭蓋骨を骨剥き出しの両手で拾い上げて頭にくっつける。 光の宿っていないその虚ろな目は、それでも確かに紬の姿をしっかりと視界に捉えているかのように彼女に向けられていた。 「ややっ!?こ、これは失礼したのであります!か、仮装で首が取れるはず無いでありますよね……マ、マジックの練習中でありますか!?し、しかしながら、そっちにも非はあるのでありま……っ!?」 テンパって普段より早口で言葉を紡ぐ彼女に、骸骨は一瞬にして距離を詰め、ズイッと表情の無い骨だけの顔を近づける。 (な、中身が……空洞でありますか!?ま、まさか、本当に本当に……本物のスケルトンなのでありますか!?) 「そ、そんな……い、異世界ならともかく、げ、現実世界で……こ、こんなお化けに会うなんて……」 強いショックを受けたらしい紬は、両手の平と両膝を地面に付けて顔を伏せると、体全体をフルフルと震わせた。 骸骨は骨と骨が軋む音を立てながらゆっくりと近付くと、腰に差した鞘からこれまた錆びてしまった剣を引き抜くと 「……」 無言で剣を高く掲げる。 そこで自分に迫りくる危機に気付いたのか、紬は顔を上げた。 その顔は恐怖で青く染まり唇は戦慄(わなな)き、瞳には涙が浮かんで……はいない。
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