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「あの」
「ん?」
「あの人はどなたですか?」
「あなたの命の恩人ですよ」
「命の恩人?」
「そうよ。倒れてるあなたを見つけて救急車を呼んでくれたのがあの人」
「そう、ですか……」
「救急車にも同伴してくれたらしいし、病室にも毎日のように来てくれてたのよ?」
命の恩人。
それが端に「命を助けてくれた人」のことを指すのならば命の恩人と言えるだろう。でも僕にとってあの人は命の恩人ではない。体は救われようと心は救われないから。
僕の道は閉ざされた。入院させられるようでは簡単に死ぬことはできない。身寄りもないのだから病院から放り出してくれたらよかったのに。
「やあ、少年」
一通りの説明が終わったのか、僕を助けてくれたという女性がまた病室に戻ってきた。
「具合はどう?」
「今はなんとも」
「そっか。それはなによりだね」
僕の冷たい返事にもその人は笑顔で答えてくれた。少しだけ心が痛んだ。
「いろいろとありがとうございました」
「ん、どういたしまして」
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「君は目の前に誰かが倒れてたらほっとくの?」
違う、そのことではない。
「その後のことです」
「そのあと?」
「救急車に同伴してくれたり、病室に何回も足を運んでくれたり、上辺だけでしょうけど、お世話まで引き受けるなんて」
「普通のことでしょ?」
さも当然なことであるかのように答えられて驚く。これが当然のこと?
「人が良すぎます。普通の人はここまではしません」
「んー?職業病なのかもしれないね」
「職業病?」
医療関係にでも従事しているのだろうか。
「何の仕事をしてるんですか?」
「今は言えないかな。あ、別に怪しい仕事とかじゃないからね?」
「そ、そうですか」
ずいぶん変わってる人だな。
これがこの人と話してから感じた印象だった。
「そういえばまだ名前聞いてなかったね。君の名前は?」
「……優雨。優しい雨って書いて優雨です」
「優しい雨。優雨くんかあ」
僕の名前を口の中で転がすように呟いた。
「珍しい漢字だね。何か大切な意味が込められてそう」
きっとその日に雨が降っていたからとか、そんな理由だろう。
「名前聞いてもいいんですか?」
「そっか、まだ名乗ってなかったね。うーん、どうしよう」
自分の名前を名乗るだけなのに何を考えることがあるのか。
「ヒナタ。そう呼んでくれたらいいよ」
「はあ」
変わっているのに、純粋。いや、どこまでも純粋だからこそ変わっているのかもしれない。
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