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「あなた、優雨くんじゃないでしょ?」
不意に言われた言葉には驚いた。
「なんてね。そんなはずないか」
この人は間違いなく気付いている。そう分かったからこそ今度は自分から言った。
「俺はあいつじゃありません」
思った通り、驚いた素振りを少しも見せなかった。
「君の言うあいつが優雨くんのことなら、君は?」
「俺のことなんてどうでもいいでしょう」
「君がそう言うなら……」
ヒナタさんの興味の対象は俺じゃない。
「君はいい人そうだし」
それきりだった。そして、それだけで十分だった。
ヒナタさんにだいたいのことは伝えられた。
『大丈夫。俺はずっと、お前の見方だ』
優雨にも伝えたいことは伝えられた。あとはただ、ゆっくりと日常に戻っていくだけ。
「寂しいの?」
「え?」
「何がそんなに辛いの?」
寂しい?辛い?何を言ってるんだ?
「寂しい時はちゃんと寂しいって言う。辛い時は辛いってちゃんと言う。そうすればきっと誰かが助けてくれるから」
「誰か?誰かって、一体誰?」
「さあね。その時君の近くにいる誰かだよ」
俺の近くには誰がいてくれただろうか。思い出せない。俺の中の記憶の器は今、あいつの記憶だけで埋め尽くされている。
「寂しいなら、辛いならちゃんと言ってね。今一番近くにいる私が君を助けるから」
「……」
羨ましかった。
今更もう遅いのに、俺は後悔してる。もう誰も思い出せないのに、馬鹿みたいに心が誰かを求めてる。雨なんかじゃこの渇きは潤せなかった。
「……辛いです」
「……」
「本当は辛くて、泣き叫びたいほど寂しいです」
「……うん」
誰かのためが、こんなにも辛くて寂しいものだと思わなかった。
「俺もあなたや優雨みたいに、誰かのために生きたかった」
両親の顔も、自分の名前ですら分からない。だからせめて生きた証だけでも残したい。
「誰かのため……なんて、誰もが思うほどかっこいいものじゃないよ?」
「俺から見たら二人ともかっこいい存在です」
「ある人に言われたことがあるの。自分を犠牲にして得られるモノなんかに価値はないって。自分をすり減らしながら生きてたその時の私にはすごく刺さった」
「今は違うんですか?」
「うん。誰かのために。その誰かに自分も入れるようにしてる。本当の自分を隠して強がってても誰も笑ってはくれないから」
幸せの対象に自分という選択肢を入れても、結局この人は自分以外の誰かのために動いてしまうだろう。それでもさっきの言葉は優雨にも聞かせてあげたかった。
「だから君もそうしてね」
やっぱりさっきの言葉は優雨にもちゃんと伝えよう。この言葉が必要だから。
「あなたも、その人に救われたんですか?」
「まあね。私が今ここで生きていられるのもその人のおかげ。」
「その人は?」
「もう、いない」
彼女が視線を落とした。
「でも、私は忘れない。心に刻まれたその名前はそう簡単に消えるものじゃないよ」
「名前」
「だから君も、消えはしないよ」
ただの気休めかもしれない。いずれ消えてしまう俺に同情して温かい言葉をかけてくれているだけかもしれない。
でも心からの言葉なのかもしれない。
「絶対に、ね」
どっちであったとしても、俺には十分だった。
ヒナタさんを救ったというその人もきっとそうだったに違いない。それもまた一つの幸せという形なんだ。
でもやっぱり、少し寂しいものだな。
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