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降り出した大粒の雨を家の窓越しに覗く。
『体はもう入れ替わらないぜ?』
僕の体はもう用済みってこと?
『いいや、少し違うな。お前も俺の記憶を見たんだろ?』
うん。
『だったらもう分かってるはずだ』
分からないことだってあるよ。君自身のことを僕はなにも教えてもらってない。
『教えるも何も、俺だって自分のことは覚えてないんだ。自分の名前すら思い出せない』
そんな……。
『でも、分かったことが一つだけあるんだ』
分かったこと?
『お前の記憶を覗いて思い出したのか、それとも消えなかったのか。どっちかは分からないが』
何を思い出したの?
嫌な予感が通り雨のように過ぎ去った。
『俺もあの日、お前の両親が亡くなった六月十七日、あの事故に巻き込まれて死んだ』
死んだ?そんなはず、だって今もこうして……。
『ああ、そうだ。記憶がないのも俺の体がないのも死んでるからだ』
……いきなり死んでたなんて言われても現実的じゃないよ。そう簡単に受け入れられるほど僕はできた人間じゃない。
『どんな巡り合わせか、神様が時間をくれたんだ。俺とお前のために』
ならもっと自分のために時間を使えよ!なんで、こんな貴重な時間を僕なんかのために……?
『お前だけのためじゃない。自分のためでもあったんだ』
何が、お前のためになったんだよ?
『俺は誰かのために何かしたかったんだ。お前やヒナタさんみたいにな』
確かにお前は僕を救ってくれた。本当に感謝してるよ。
『そうか。それはよかった』
でもやっぱり……。
『もういいんだ。最後に、お前の中に俺の生きた証が残せたから』
雨に打たれたように心が濡れていく。一人きりじゃ僕は傘をさすこともできない。
『俺はいなくなるが、お前はもう一人じゃないだろ?』
一人じゃなかったらいいってわけじゃない。
『もともと俺はいなかったんだ。大丈夫さ』
何が、大丈夫なんだよ。
『お前は確かに自分では傘をさせないかもしれない。でも誰かのために傘をさしてやることはできるじゃないか』
じゃあ僕は濡れてればいいのか?一人でずっと佇んだまま。
『本当に馬鹿なやつだな。さっきも言っただろ?お前は一人じゃないってさ。お前が濡れたまま佇んでたら他のやつが真っ先に傘をさしにきてくれる。お前がそうしたように』
……お前には誰が傘をさしてやるんだよ。お前は僕がいなくなったら一人になるんだろ?
『俺のことは気にすんな。確かに一人になるけどさ、お前との思い出だけで十分だ』
本当に、これで最後なのか……?
『ああ。これからは雨の日も楽しめよ』
この雨が降り続く限りあいつはまだいてくれる。そんな勝手な独りよがりで自分を保ったまま、今までの日々を思い返していた。
『安心しろよ。もうすぐ雨は上がる』
お前は本当に、最後まで人の心を……。
『俺たちは繋がってるんだ。仕方ねえだろ?』
そうだね。
今までありがとう。じゃあね。
『ああ』
必死に耳を澄ませてみても雨音は聞こえない。どうやらもう雨は止んでしまったらしい。
『最後にもう一つだけ。俺からの贈り物だ』
あいつがそう言った瞬間、目の前が真っ白になった。双眼鏡で太陽を覗き込んだ時のように眩しくて、僕は瞼をぎゅっと閉じた。
『じゃあな、優雨』
そう聞こえた気がした。
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