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4 戻れない過去
翌日は一日、寮の自室へ荷物を運び込む、いわゆる引っ越し作業のために授業は休みだった。早く終えた新入生は学園内を探索したり、自室で明日から始まる授業に備えて予習したりと、それぞれ自由に過ごしている。
清月はというと、自室で荷物の整理をしている最中だった。朝8時に目覚め、休憩を挟みながらやっていたとはいえ、既に時刻は正午を回っている。そろそろ終わりにしたかった。
「やっと残り一つか……」
開け放った窓から流れ込む風は清々しいものだったが、作業をしていると汗を掻き始めたため、扇風機もつけた。
髪を風になびかせながら、首にかけたタオルで汗を拭い、最後に残ったダンボールに手をかける。
これ、何が入った箱だろう……?
自分で入学式前に準備していた箱には、だいたい箱の外に何を入れているかマジックで書いていた覚えがある。しかし、この箱には何も書かれていない。
部屋の中を見渡しても、大方必要な物は揃っているため、この箱に何が入っているのかますます分からなかった。
「母さんが、何か余分に紛れ込ませたのか……?」
入学式の直前、母の静紅が寂しげな顔をしていたのを思い出す。静紅はもともと体が丈夫ではなく、子どもを産むのは一人がやっとだと言われていたらしい。
それでも、兄の聖馬と清月の二人を産んだ。そのうえ、子育てを手伝おうとする親類の手を振り切り、強い意思で夫の諒真とともに二人だけでここまで育ててくれた。
静紅曰く、子どもは母親と父親が守り、育てるもので、いくら親類と言っても、他の人間に任せたくなかったらしかった。
その静紅は清月が中学生に上がる頃には安心して気が抜けたのか、風邪にかかりやすくなり、寝込みがちになった。そのせいか、このところは息子二人に甘えてくるところがあって、寮に入ると伝えた時はずいぶんと泣きつかれたものだった。
「母さんというより、ちょっと妹みたいなものだもんなあ」
苦笑いを零しながら、箱に手をかけ、ガムテープを剥がしていく。
さて、母さんは何を入れたのかと箱の中身を覗くと、数冊のアルバムと一枚の手紙が入っていた。母親からの手紙なんて恥ずかしいな、と思いながら手紙を開けたのだが、その文面を見た清月は目を見開く。
それは静紅からの手紙ではなく、グレイスからのものだったからだ。
思わず、そこに書かれていた文を声に出して読んでいた。
「10年後の清月へ。今、どうしてる?俺とは仲良くしているか?俺はもしかしたら、お前に意地悪をしているかもしれない。でも俺の中ではずっと清月が一番で、絶対に何年経ってもそれは変わらない。だから、もし、清月が俺のことを嫌いになっても、俺が清月を嫌いになることはありえないから、それだけは安心してくれ。清月、俺は。いや、これ以上は直接言うから、待ってろ。……って、これで終わりかよ?言いかけてやめるなよな」
手紙相手だと分かりながらも、つい文句を零しながら笑みが浮かぶ。
この手紙には見覚えがあった。実際、昔見たのは中身ではなく外側の封筒だけだが、確か小学校を卒業する時に、自宅の庭にタイムカプセルを埋めることにした。そして、これはその中にグレイスが入れた手紙だ。
あの時自分が入れたのも、実はグレイスへの手紙だったと記憶している。手紙の内容はあまり覚えていないが、もしかしたら静紅はグレイスにも送っているのかもしれない。
あれからまだ10年も経っていないが、この手紙を書いたのはずいぶんと昔のように感じる。
「グレイス……」
俺の中ではずっと清月が一番、という部分を指でなぞりながら、昨日のことを思い出す。
ーー悪いな、清月。これはお前のためだから。でもな、俺は……。
言いかけてやめた台詞は何だったのだろう。
あの後、結局グレイスは部屋から出て行って戻って来ることはなかった。
この手紙でも言いかけてやめている。まさか同じ台詞ではないだろうが、中途半端に放り出されると余計に気になった。
「……」
手紙を丁寧に畳んで仕舞い、アルバムはそのままにして、部屋を出ることにする。向かう先はグレイスの部屋だった。
「えっと、確かこっちだったかな……」
一度しか行ったことがない場所に行けるかどうか怪しかったが、同じ一階だったことは覚えている。それならばなんとかなるだろうと思いつつも、念のため長らく使っていなかったグレイスの連絡先を表示して、文字を打ち込む。
「今から、そっちに……」
行く、と打とうとした時だった。誤って途中で送信ボタンをタップしてしまう。
「あ!あー!」
送信しましたの文字が表示され、頭を抱えていると、廊下の角から髪を後ろで結んだ背の高い人物が現れる。中性的な美形で、一瞬男か女か分からなかったが、制服を着ているため、男だろう。
「どうされました?」
「あ、いや、単に誤送信を……」
にこやかに聞かれて、思わず素直に事情を話そうとしたのだったが、その目を見てぞくりと鳥肌が立った。
近づいて来るごとに、目が、顔つきが、次第に恍惚としたようなものに変わったからだ。いや、恍惚としたというよりも、獲物を見つけた肉食獣のような。
咄嗟に逃げようと反対方向を見たのだが、そちらからも人が現れた。
「……ひっ……」
「なあんかいい匂いがすると思ったら、お前だったのか」
にやりと笑みを浮かべながら、舌舐めずりするように唇を舐めたその男も結構な美形だった。
まずい。αが二人も……!?
昨日、保健室で言われたことが頭を過る。抑制剤を朝起きてすぐに飲んだが、やはり気休めでしかなかったのだ。
「っ……」
背後を振り返り、たった今出てきた部屋に引き返そうとしたが、男たちの方が動きが早かった。
「捕まえましたよ」
中性的な男に左腕を掴まれ、すん、と首筋の匂いを嗅がれる。
「っ、ん……」
「最高の匂いですね。これは早く僕のものに……」
「っ、やめ……!」
授業がないからと私服を着ていたのが仇になった。脱がされやすいTシャツだったせいで、腹部から侵入してきた男の手が胸元を這い、乳首を探り当てようとする。
「お前がそっちなら、俺は下を攻めるか」
「!」
いつの間にか隣りに来ていたもう一人が、足元にしゃがんでズボンをずり下ろしにかかっていた。
「やっ……!」
じたばたと暴れようとするが、二人がかりで抑え込まれては叶わない。それも、αにΩが抵抗しても無駄だ。
絶望的な状況に観念しかかった時だった。
「こんなところで何やってるんですか、先輩たち」
聞き慣れた声にはっと顔を上げると、大河とグレイスの二人が急ぎ足でこちらへ向かってくるのが見えた。
「幸……っ」
「グレイスは下がってた方がいい」
前に踏み出しかけたグレイスを大河が制して、清月の服を脱がそうとしていた二人に近づく。
足元にしゃがんでいた方のαは舌打ちして離れたが、服の中に手を入れていた方はなかなか離れない。
「あっ、……」
胸の尖りを押されて思わず声を上げた瞬間、がん、と壁を殴りつける音がした。
「先輩、俺の幸野に手を出さないでもらえますか」
低い声を出したのは、グレイスだ。強い怒りを燃え滾らせた目を見て、どきりとする。
俺の、幸野……。
グレイスの台詞が頭の中で反響する中、ようやくもう一人のαも清月から離れたが、その際に囁かれた。
「片方、僕たちと同じ目をしていますね」
「え……」
「じゃあ、僕たちはこれで」
案外あっさりと立ち去ってくれ、ほっと息をつきながらも、去り際に残された台詞の意味が分からなかった。
「危ないところだったな。グレイスに呼びつけられて飛んで来てみれば、清月が襲われかけてるんだもんな」
「え、グレイスが……?」
「……メール」
余所見をしたままぼそりと言われ、誤送信したメールのことを思い出す。しかし、どうしてあの文面で来てくれたのだろう。
じっとグレイスを見ていると、頭を掻き、そっぽを向いたまま続けた。
「俺も話があったから」
「話……?」
「……」
また沈黙が返ってきて首を捻ると、隣で成り行きを見ていた大河が声を上げる。
「あのさ。邪魔して悪いんだけど、部屋に入って話した方がよくね。またあんなことになるかもしれねぇし」
「あ、そうだな」
頷き、自分の部屋へ向かおうとして、ちらりとグレイスを見ると、ぱちりと目が合う。
「何だよ」
「その、さっきはありがとう」
「っ……べ、つに」
笑みを浮かべながら礼を言うと、僅かに頬を赤くしながら目を逸らされる。
「えー、グレイスだけ?俺は?なあ、清月、俺は?」
「あ、もちろん大河もな」
「何かついでっぽい。ひでぇ」
「そ、んなんじゃないって」
笑い合いながら3人で部屋に入ると、結構狭く感じた。
「狭いな……って、これアルバム?うーわ、懐かしい……」
勝手にアルバムを開いて見始めた大河に苦笑しながらも、側に寄って覗き込む。開かれていたページには、小学校の卒業式の写真があった。
門のところで、大河と清月とグレイスの3人が並んで立ち、肩を組んでいる。この後大河が引っ越してしまうためか、清月の表情はやや歪んでいた。
「清月、俺さ」
「ん?」
隣を向くと、思わぬほどの近さに大河の顔があった。驚いて身を引こうとするとぐいっと腕を引っ張られ、大河の腕の中に抱き込まれるかたちになる。
「え、ちょっ……」
「あの頃から俺はお前が好きだった」
「!?」
言いながら頬に唇を押し当てられ、さらにシャツの中に手が侵入してきて腰を撫でられる。
「やっ……ちょっと、たい……」
「おい、幸野を離せよ」
後ろからグレイスの声がして、大河の腕から清月を奪い取ろうとするが、力負けしているのか、完全には奪い取れずに舌打ちしている。
その間にも大河の手がズボンの中に入ってきて、臀部を撫で、揉み込む。
「や、ァ……ッ」
嫌なのに、Ωの性なのか双丘の奥が疼くのを感じて絶望する。
なんで、こんな……っ
背中を反るようにして大河の腕から逃れようとするが、力では勝てない。グレイスも何とかしようとしているが、できないようだ。
「グレイス、悔しいだろ。Ωの今のお前では、αになった俺には勝てないからな」
「お前、さっきの奴らと同じことしてるぞ。こんなことして、許されると思っているのか」
「……分かってるよ。だけど、今の清月と番えるのは俺だ。お前こそ、本当はずっと清月に」
「黙れ!」
グレイスが怒鳴り、その迫力に飲まれてか、大河は口を噤む。そして、溜息をつきながら、ようやく清月から離れて言った。
「どんな理由があるかは知らないが、お前がいつまでもそんなだったら、俺は遠慮なく清月を奪うからな」
そのまま振り返ることなく、大河は部屋から出て行った。
部屋の中に沈黙が満たす中、ふと開きっぱなしのアルバムに目が留まる。そこに写っている3人は、これから起こる未来のことなど知らずに笑っている。
戻れない過去を思い、アルバムをそっと閉じた。
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