5 壊れていく関係

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5 壊れていく関係

 また、聞きそびれたな……。  眠れない夜を過ごした後、ベッドから起き上がって一番に思ったのはそれだった。  大河に告白されたことはもちろん驚いたし、このままではαになった大河に強引に抱かれてしまうかもしれないという不安もある。だが、それよりも頭の中を支配しているのは、なぜかグレイスが言いかけてやめた些細な言葉だった。  ーー俺も話があったから。 「グレイス……」  声に出して名前を呟くと、切なげに響いて、あれ、と思う。  どうしてグレイスのことばかり考えているんだろう。  ずっと口を利いてくれない時は、悲しくて、苦しくて、寂しくて。いろんな感情がごちゃごちゃになっていた。  でもこのところは、やっとまた少しずつ口を利いてくれるようになってきたから、嬉しくて。それなのに、いつも何かを隠されているのが悲しくて。  グレイスのことを考えていると、他の人には抱かないいろんな感情が湧いてくる。この気持ちを言葉にすると何だろう……。  答えに辿り着きかけたが、まだ知るのは怖かった。  溜息をつき、授業に出るための支度をしながら、抑制剤を入れた紙袋の中を覗く。保健医には一日1錠と言われたが、昨日のことを考えれば一つでは足りないのは明らかだ。  そこで2つ取り出し、口に入れて水で飲み下す。一応、過剰摂取した時の注意事項もあったが、2つくらいなら大丈夫だろう。  勝手にそう決めて、教材を入れたリュックを背負って部屋を出た。  部屋の鍵を閉めようとしたタイミングで、ポケットに入れていたスマートフォンが振動する。鍵を閉めてスマートフォンを取り出すと、グレイスからだった。 「後で話がある。昼休みに俺の部屋に来てくれ……?」  グレイスからメッセージが来たのは嬉しいが、話とは何だろう。昨日言いかけたことかもしれない。でも、わざわざ部屋で話すくらい重要なことだろうか。  首を傾げながらも、了解と返信してポケットに仕舞い直す。  改めて教室に向かおうとした時、視線を感じた。 「……?」  見回すと、清月と同じように教室に向かおうとしている生徒たちが、ちらちらと清月を見ながら囁き合っている。 「……なあ、あいつって式の時に倒れた奴だよな。フェロモンやばくね?」 「……だな。垂れ流しって感じだよな。Ωってあんないつも垂れ流してるもんだっけ?」 「……いや、違うとは思うけど。でもま、俺はβのまんまだから良かったわ。あの薬って何か怖いし」 「……てか、俺らの理性が試されるよな。何とかしてほしいわ」  歩く度に囁かれる内容が耳に入ってきて、鉛を飲み込んでいるような感覚が胸を満たす。  好きでこうなったわけではない、と叫んだところで無駄だろう。人は自分の身に降りかからない限り、人の気持ちや立場はなかなか理解できない。  ぐっと唇を噛み締めながら、重たい足を引きずるようにして教室に向かい続けていると、前方からスーツを着た若い男が現れた。そして、清月の1メートル程手前のところで立ち止まり、こちらの顔をじっと見てくる。 「……?」  制服を着ていないことから教師だろうと思われるが、学生と言っても通用しそうなほど若い。精悍な顔つきをしていて、黙って立っているだけで通り過ぎる生徒が何人もちらちらと男を見ていた。 「君が、幸野清月君か」 「は、い……そうです、けど……」  ふいに名前を呼ばれ、ぎこちなく返事をすると、男は真っ直ぐ清月を見たまま、無感情な声で続けた。 「私は幸野君のクラスを担当する教員で、万城(ばんじょう)と言う。いきなりで悪いが、今日から始まる授業について話さなければいけないことがあるので、職員室について来てほしい」 「……?はい、分かりました……」  初日から呼び出されるほど悪いことをした覚えはないが、ついて行けば分かることだろう。頷いて万城の後について歩いて行くと、今度は違う意味で注目を集めた。 「……あの人、めちゃめちゃかっこいいな。先生?」 「……何、お前狙ってるの?でもあの先生って確か……と、できてるって噂があるような」 「うっそ、まじかよ」 「しぃっ、声でけぇよ」  肝心の誰とできているの部分が上手く聞き取れなかったが、ありえない人物だった気がした。  何にせよ、周りの目が自分より万城に向いていることで気が抜けて、職員室に着くまでの道のりは楽に息ができて助かった。 「ここだ。おはようございます、幸野を連れてきました」  万城に促されるまま、後に続いて職員室に入ると、教員の目が一斉に清月に集まった。 「万城先生、彼が例の……?」 「ええ。あ、向坂(さきさか)先生はΩだから匂いとか分からないんですね」 「はい。まあ、元αだったこともあって、見た目からも幸野君は目立ちますしねぇ……。あ、初めまして幸野君。私は1年生の学年主任の向坂と言います」  比較的若くて見た目が華やかな教員が多い中、向坂はどこにでもいる中年男性という感じで、にこやかな表情に肩の力が抜けた。 「初めまして……」 「今日はいきなり呼び出されてびっくりしたでしょう?すみませんね。別に君を注意するために呼び出したわけではないから、安心して聞いて下さい」 「はあ……」 「万城先生、牧田(まきた)先生は……」 「そろそろ来る頃です」  万城がそう言うのとほぼ同時に、背後の出入口から聞き覚えのある声がした。 「おはようございます。あれ、ちょっと遅れちゃいましたかね」  振り返ると、あの入学式の日に会った保健医が頭に手を当てながら立っていた。白衣を着ているために誤魔化されているが、若干中のシャツが崩れていてだらしがない。 「牧田、髪」 「え?あ、寝癖?」  万城が牧田に近付いて、自然な動作で乱れた髪を直してあげている。それを見て、先ほど廊下で生徒が噂していた台詞が蘇った。  ーーでもあの先生って確か保健医と、できてるって噂があるような。  二人を見ていると噂が真実に思えるが、それならば清月に手を出そうとしたのは浮気にならないのだろうか。  思わずジト目で牧田を見てしまうと、牧田は言いたいことに気付いたようで、慌てたように顔の前で手を振る。 「いや、私は別に、あの時は単に魔が差しただけというか」 「魔が差したって、何の話だ?」  すぐに反応した万城が、表情を僅かにきつくして牧田を見る。 「あ、いや……」 「幸野君、後でその話を聞かせてくれないか」 「はい」  しっかりと応えると、牧田はがっくりと肩を落とした。 「こほん。メンバーも揃いましたし、そろそろ話しましょうかね」  向坂がそう言うと、緩んでいた空気が引き締まり、皆の視線が向坂と清月へ向かう。 「ここにいる幸野君は知っての通り、入学式で例の薬を飲み、体調を崩して保健室に運ばれた生徒です。牧田先生が言うには、彼は薬の副作用が強く出たということでしたが……。幸野君、そちらの方はもう良くなりましたか?」 「はい、それはもう大丈夫です」 「それは良かった。……ですが、今ここで問題視するのはそのことではなく、薬の作用の方の効果です。αからΩに作り変えられた幸野君は、副作用だけでなく、薬の本来の作用も強く出てしまったのか、予想以上に……。いえ、普通のΩ以上にΩになったと言いますか、通常の抑制剤では抑えられないほどのフェロモンの放出をするようになってしまいました。ここから起きる問題点は、お察しのとおり、他のαやβから彼は襲われやすくなりますし、彼自身の身の安全が保証できないということです。そこを我々教員の力で守るためには、授業を彼だけ特別に、自室でオンラインで受けてもらうということを考えました。これに関して、異論がある先生はいらっしゃいますか?」  誰も異を唱える者はいなかった。 「幸野君、君は何かありますか?もちろん、クラスの皆と簡単に話せなくなるという問題はありますが……」 「……そう、ですね。正直、その点は気にしていないと言えば嘘になりますが、今は好奇の目で見られてきついので……」 「じゃあ、オンライン授業については君も同意ということでいいですね?」 「はい」 「……では、話を進めます。しかし、オンライン授業はあくまでも、彼に効く抑制剤が出来上がるまで、または彼がどうにかフェロモンを抑えられる体になるまでとして、決して卒業までずっとオンラインということにならないよう、我々も手を尽くしましょう。しかし、実はこの件に関しては、ピンチはチャンスと言いますか、視点を変えてみるといい点も出てくるわけです。牧田先生、説明をお願いできますか」 「はい。私たちがこの政策に取り組もうとしたもともとの目的は、日本の人口を増やすことでした。強引なやり方だという批判もあり、実際、周りがどうこう言ったところで、番を見つけられるかどうか、結婚相手を見つけられるかどうかは本人の問題です。ですが、幸野君には辛いことですが、彼が身を持って体験したことで、薬の改良を進めることができますし、さらにこれから彼がフェロモンをどう抑えていくのかにはいくつか方法があります。彼にも説明しましたが、番を見つけることが第一で……」 「あの」  牧田の説明を遮るかたちで、一人の教師が手を挙げた。 「どうぞ」 「フェロモンを抑える方法は結局、番を作ることというのは予想がつきましたが、それだと、彼には他の生徒以上に強制的に番相手を見つけさせることになるのではないですか?それでは、彼の意思とかそういうものが踏み潰されてしまうのでは」 「はい。その点に関しては仰る通りですね。ぐうの音も出ません。ですので、一日も早く薬の改良を進めながら、もう一つの方法を取ってもらうのがいいでしょう」 「もう一つの、方法……?」 「幸野君には幸いにして、幼馴染と呼べる間柄のαが二人います。彼はこれからオンライン授業で自室に籠もることになりますし、新しい相手とどうこうなるというのは難しいでしょう。ですから、二人のαに幸野君のフェロモンを一時的にも抑える手助けをしてくれないかと、実は昨日話をしておきました」  二人の、α……? 「牧田先生、でも、グレイスはΩになったんじゃあ……」  嫌な予感がし始めているところに、牧田は、はっきりと残酷なことを告げた。 「幸野君は知らなかったんですね。アッフォード君は昨夜、もう一度薬を飲んでαになったんですよ」      職員室から出た後、顔合わせのためにと1限目だけ教室で授業を受けることになった。  教員の計らいだろうが、前の席がグレイスで、後ろの席が大河だったためか周りの視線は気にならず、代わりに先ほどの話のことばかり考えてしまった。  昨日話したと牧田は言っていた。さらに、グレイスがαに変わる薬を飲んだのも昨夜だとも。だとしたら、グレイスは自分を助けるためにαになったと考えてしまうのだが、思い上がりだろうか。  そして、もしそうだとしたら、グレイスはどうしてそこまでして。ずっと口を利きたくなかった相手なのに?  思い返せば、グレイスの態度は矛盾だらけだった。口を利かないという点は一貫していても、校門で大河の手を清月から離したり、保健室では清月のことを心配して牧田に詰め寄ったり、清月のために性交をしようとしたり。  挙げ始めたらいくつもあって、余計にグレイスのことが分からなくなった。  それと同時に、気持ちが掻き乱されてグレイスのことばかりを考えてしまう。  どうしてくれるんだ、の意味を込めてグレイスの背中を睨みつけていると、当の本人がくるりと振り向いた。そして、ばっちりと目が合ってしまう。 「っ……な、何だよ」 「……いや、視線を感じたから」 「!……き、気のせいじゃないか?」  視線をうろつかせながら言うと、グレイスがふっと笑ったような気がして、まじまじとその顔を見つめた。だが、その表情には笑いの跡は少しもない。  気のせいだったのか。  少し残念な気持ちを抱いていると、ふいにグレイスの目が冷たさを帯びる。 「……?」  視線の先を追って後ろを向くと、子どものようにあっかんべーをしている大河がいた。 「……何やってるんだ」 「べふに?」  そのまま授業を受けるつもりなのかと思ったが、ほんの数秒でやめたので、正面に向き直る。するとグレイスも正面を向いていた。  え、まさか今の、グレイスへの牽制?  子どもじゃあるまいし、と呆れつつも、可笑しくなった。  小さい頃、大河と喧嘩した時は、グレイスも清月も毎回あっかんべーをされていた。まさか今でもやっているとは思っていなくて、束の間、胸に燻っていたもやもやとした気持ちを忘れられた。 「アッフォード、この数式解いてみろ」  授業開始から40分程が過ぎた頃だった。終了まで残り10分というどこか緩んだ空気の中、ふいにグレイスが指名された。 「はい」  返事をして立ち上がろうとしたグレイスの体がぐらりと傾いだかと思えば、机に手を付き、なんとか転倒を免れていた。 「アッフォード、大丈夫か。顔色が悪いようだが、保健室に行くか?」 「……は、い」 「分かった。誰か付き添いは……幸野、アッフォードを」 「付き添いは、いりません」  教師の言葉を遮り、ふらふらとしながらグレイスは教室から出て行こうとする。  居ても立ってもいられず、清月は立ち上がって教師に目配せし、頷き返されたのを見てそのまま後を追いかけた。 「グレイス」  呼びかけ、肩を支えようとしたが、振り払われる。それでもめげずに再度近寄ろうとすると、じろりと睨まれた。 「寄る、な……」 「嫌だ。今にも倒れそうなのに、ほっとけるわけないだろ」  チッ、と舌打ちされ、清月も怒鳴りたくなった時だった。  ちょうど男子トイレに差し掛かったところで、急にグレイスがもたれかかってきたかと思えば、肩を抱き寄せられる。 「え、な……」  突然接近したことでどきりとし、困惑する間にぐいぐいと男子トイレの方に誘導され、あっという間に個室に連れ込まれた。 「え?ちょっ、何……」  見上げると、熱っぽく潤んだ青い目とぶつかる。荒々しい息遣いを耳にして、ようやく身の危険を悟った時には既に遅かった。 「お、前が……、寄ってくるから、……悪い」 「グレ……っ、ん……」  語尾を吸い取るように唇を奪われる。荒々しく口付けられるかと思ったが、興奮しているわりには優しいキスで、頭の芯が痺れた。 「ん、ぅ、……ふっ……」  繰り返し重なっては離れ、を繰り返したかと思えば、次第に合わさる時間が長くなり、唇の合わせ目からぬるりとしたものが滑り込んできて、びくりと肩を強張らせる。すると、それを宥めるように背中を擦られ、背骨を辿って双丘を揉み込まれた。 「ん、ぁ……」  びり、と背筋に電流が走り、双丘のもっと奥深くが疼くのを感じる。  理性では、駄目だ、こんな簡単に流されてはと思う反面、その声を上回る本能の部分でもっと確かな刺激が欲しくて堪らない。  こう思うのはΩになったからか、相手がグレイスだからかは分からない。ただ一つ言えることは、昨日大河に触られた時よりももっと、遥かに抑えきれない欲望に飲まれていってることだ。  ズボンの上から双丘を割り開かれ、高い声が漏れかけるのを堪えながら、自らグレイスの体に身を寄せると、グレイスが喉奥で呻いた。足の間で主張し始めていた互いのペニスが擦れ合ったためだろう。 「幸野……っ、幸野……」  熱に浮かされたように耳元で繰り返し呼ばれ、愛を囁かれたようだと思った途端、それを喜ぶように先走りがじわりと滲んだのを感じる。  まだ、触られてもないのにこんな……っ  羞恥心が込み上げて逃げようとしたが、逃さないというように引き寄せられ、ベルトを鳴らしてあっという間にズボンを下着ごとずり降ろされた。 「ッ……」  グレイスに股間のほとんど完全に勃起したペニスを見られ、かっと顔に熱が籠もる。グレイスの口元に笑みが浮かび、からかわれるのかと身構えたが、そうではなかった。 「俺相手に……こんな、反応してくれるんだな……」  どこか嬉しげに見える表情に、思わずぼうっと見惚れかけた。 「っ……や……」  濡れそぼった屹立を握られ、上下に扱かれると同時に、後ろの窄まりにも指を潜り込ませ、入り口を擽られる。期待感で喉が鳴ってしまうのに気付いたのか、またグレイスがふっと口元を緩ませた。  そして。 「あっ……」  扱いていた指先を後孔に押し込まれ、とうとう中に侵入された。先走りで濡れていたおかげか痛みはなく、中で指を動かされる度にくちゅくちゅと鳴る音で鼓膜も犯されている気になった。  知識として知ってはいたが、Ωの後孔は本当に女性器のように濡れるというのを、今身を持って知った。窄まりは容易く数本の指を招き入れるほど濡れ、グレイスの指を美味しそうに食み、物欲しげに収縮を繰り返している。  その時、授業の終了を知らせるチャイムが鳴り、トイレに誰かが入って来る足音がした。 「!」  一枚ドアを隔てた向こう側で、何人かの男子生徒が話しながら用を足している。 「っ……ん……」  グレイスの目を見て必死で首を振るが、キスで口を塞いできながらも行為は止めてくれず。 「んんっ……」  片足を抱えられ、とうとう後孔に熱塊を突き入れられた。目の前で火花が弾け、喉奥で悲鳴を上げてしまい、ドアの外でそれについて男子生徒が何か話しているのが聞こえる。  だが、律動を開始されてしまえば、もうそれどころではなくなった。 「っ、ん、ン、ン……っ」  入れた途端にグレイスも抑制が効かなくなったのか、激しく抜き挿しを繰り返し、ひたすら奥の子宮がありそうなところばかりを突いてきた。 「やっ、あ……い、や……っ」  グレイスはゴムを嵌めていなかった。このまま孕まされてしまうのではないかという恐怖がある一方で、目が眩むほどの快楽に飲まれ、何も考えられなくなっていく。 「幸野……っ、……だ」  耳朶をぞろりと舐められ、囁かれた瞬間、限界に達した。 「……ンンーッッ!!」  大きな声を上げそうになったところを寸前でキスされたことで免れ、グレイスが清月の中から自身を抜き取り、太腿辺りに吐精したのを感じた。  荒い息を吐きながらグレイスに凭れかかると、少し早く刻む鼓動が聞こえてきた。  ついに、抱かれてしまった……。  達したことで少しずつ冷静さを取り戻してくると、引き返せないところに来たのだとひしひしと感じた。耳元でグレイスが発した台詞が聞き取れなかったのを、どこかで残念に思いながら。
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