2Late

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2Late

 彼女の肌は写真で見たのと同じように、少し乾燥しているのに皮脂でしっとりしていて、浮き上がった鎖骨とその上の窪みは、この骨に今すぐ噛みついて欲しいと存在を主張していた。 「ねえ……」  僕は今縛って捨てたばかりなのに、また彼女の肌に触れてしまう。 「待って、まだもう少し待って」 「待たない。もう散々待ったよ」  肩をゆっくりと押さえて、余韻で微かに震えている彼女をベッドに沈める。 「ここ、美味しそうだ」  僕は鎖骨にキスをすると、動物がするように骨をしっかりと咥えてそっと歯を立てた。彼女の蕩けた声が僕の耳のすぐ側で聞こえる。もっと吠えて、動物みたいに。  待ち合わせた駅のコンコース、土産物屋やコンビニが立ち並ぶ辺りをキョロキョロと見回すと、すぐに君だとわかった。思った通りの背格好。  僕らはひょんな事から知り合ったけれど、ずっと遠距離恋愛だった。ずっと会いたいと思い続けて、一年とちょっと。やっと会うことが出来る。 「あ」 「あ!」  お互い目が合った時に、もう笑顔だった。初めて会うけれど、全く初めての気がしなくて、僕は駆け寄って彼女を抱きしめた。  不思議だ、僕は初めて彼女を抱きしめたのに、彼女の匂いが懐かしい。  手を繋いで歩いた。けれど、二人で計画したデートは手を繋いだ瞬間に白紙になった。 「あー、あの、今日観光する予定だったけど、明日にしない?」 「……うん」  パタン、と窓の無い部屋のドアが閉まった時には、もう僕らは我慢が出来なくて貪るようにキスをした。息が出来ないくらいに。  彼女には初めて触れるのに、何度もこうしたことがあるみたいに僕の手は彼女の身体を這って、彼女は声を上げた。いや、初めてだった。こんな風に理性も何もかもなげうって夢中になるのは。  ぼくはほんとうにかのじょのことがすきなんだ。  それは確信したのは、二人で泣きながら抱き合ったからだった。  彼女はキラキラと目の縁と睫毛を輝かせて、瞬きをするとひとしずく、ふたしずく流れていく。ああもったいない、と何故か思って僕はそのしずくを啜った。 「大好きよ……」  愛しい人から言ってもらって嬉しい言葉のはずなのに、僕の胸はつぶれそうに痛んだ。つぶされた場所に亀裂が入って、僕の味わったことのない液体が溢れて胸から身体全体を浸した。その痛みにも似た味に、僕は驚いて耐えられなくて、彼女をきつく抱きしめることしか出来なかった。何度も、何度も。  翌日、僕らは観光を楽しんだ。たくさん写真を撮って、同じ風景を見て、違うものを食べては食べさせあった。 島に渡る船で海を眺めながら、彼女は言った。 「いいところに住んでるね。少し足を伸ばしたらこの風景が見れるなんて」 「うん、気に入ったなら引っ越してくる?」  僕はおどけて冗談交じりに言ったけれど、半分本気だった。確かめるように彼女の顔を見つめると、一瞬だけ困った表情をして弾けたように笑ってみせた。 「ほーんと、引っ越してこようかなー?」 「……いつでもおいでよ」  そこまでしか言えなかった。僕は口をつぐんだ。 「うん、また遊びに来るね」  それが彼女の返事だった。 「……うん」  島を散策しながら、僕は彼女の手を引いて、誰も住んでいない民家の裏路地に入った。抱き寄せると彼女は目を閉じる。僕は彼女の瞼に、正確には瞼と睫毛の際にとても小さなほくろがあるのを見つけた。これを君の男は毎日見てるんだな。気付いてなければ、いいのに。   そう思いながら、僕は彼女の瞼と唇に口づけた。  僕は彼女の身体に一つも痕をつけず、きれいなままで帰した。それが礼儀だと思ったし、僕は彼女を抱くことが出来ただけで、いや、あの胸がつぶれるような気持ちを味わっただけで、本懐を遂げた気がしたからだ。  僕は全てあの男よりも周回遅れで、何もかもが遅すぎた。  彼女に出逢ったのは、彼女が結婚式場を探すのに疲れて、たまたまネットで呟いた時だった。僕は結婚式場で働いているから、ちょっとしたアドバイスをしてみただけだったんだ。 “それ、式場に頼んでしまっていいですよ。それに、こんなこともできます”  写真を添えて、僕がお客様に喜んでもらったアイディアを教えた。 “ありがとうございます! これ使わせてもらってもいいですか?” “どうぞ! 出来れば系列のホテルをご利用頂けると嬉しいです!”  そして、彼女は僕の働く系列会社のホテルを利用して、今の夫と式を挙げ結婚した。 それからどうして彼女とこんな関係になってしまったのかは、自分でも最初の記憶がおぼろげだ。 「またね……」  新幹線の発車を知らせるかまびすしい電子音が、ホームに鳴り響く。  彼女の肌の感触、彼女の匂い、彼女の声の音色。僕はこの想いを閉じ込めてしまわないといけない。周回遅れの男には、もう次は無いのだから。  彼女の手を握った。冷たくて小さな手。僕は最後の言葉を言った。 「さよなら」  僕は新幹線を見送ると、彼女と繋がる全ての手段を、スマホから削除した。
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