蕎麦屋に行こう。

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 チキンライスカレーの食事を終えてから三日たった冬の雲が厚く気怠げに揺蕩う日、軍艦は青年の故郷である芙蓉皇国の軍港に着いた。  進入路が狭く船が行き交い危険な港湾内を誘導する水先案内人を乗せた軍艦は推進用の回転羽を止め、海軍軍楽隊の演奏や政府要人や軍高官の出迎えの中、二隻のタグボートに押されゆるり横に動き無事に埠頭に接岸したのである。  着くやいなや、青年と少女が舷窓にかかる深紅のカーテンの影に身を潜め、外の様子を満遍(まんべん)なく、自身の眼のみを動かして視界全体を伺っていた。  先頭に、オーべラル連邦王国への外交使節代表の皇族と政府高官、これにオーべラル連邦王国海軍が催した観艦式でたった二隻だけとはいえ、芙蓉艦隊の指揮をとった艦隊司令長官と艦隊司令部の幕僚の一群を末尾に、軍艦の舷側と埠頭が華やかに着飾れされた登り舷梯(タラップ)で繋がれ海軍行進曲の演奏が始まるや続々と足並みを揃え歩み始め、彼らの両脇に分かれ居並ぶ正装した将兵の狭間をキビキビとした敬礼の渦巻くなか整然と歩き、胸に手を当てたり答礼を返したりしながら、皇国の国章と海軍の紋章が大きく刺繍された幔幕の前で横に並んで待待っていた首相以下の閣僚の前まで進み、そうして政府代表の首相が皇族の老紳士の御前に進み出て慇懃にして荘厳なご帰還を祝う挨拶を承けた。 「…宜しいですかロリさん。帰還の儀式が終わるまでの二時間。艦内チェックが済むまでに更に二時間。そして大挙して見学に来た一般客に艦が開放されてから二時間後。一般客が退出を開始した頃合いに彼らの乱雑な行列に混じり軍港の外に出ます。それまでの合計六時間はこの部屋で待機です」 「Aye Aye(了解した)」  ふたりはこれから芙蓉皇国に密入国しようとしている。  いや、より正確には、着物姿の青年“草野惣太郎”は密入国ではない。  元芙蓉皇国海軍中尉で民間人になった彼は、夜半寝ているところを住まいのある下町。“ドブ板通り”の更に奥まった町家のなかにあるボロ長屋に踏み込んで来た軍に拉致された挙げ句、回遊してきた芙蓉皇国と同じ島王国で同盟国である“オーべラル連邦王国”でのダブルスパイ探しを無理くりやらされたあと、故あって巡り合ってしまった齢十三歳のオーべラル海軍に属する少女“Dolores Schoenfield(ドロレス・シェーンフィールド)”こと、愛称“ロリ”を伴って自国の芙蓉の土を乱暴に踏もうとさせられている。  つまりは密入国するのは異国人であるロリ一人だけなのだが、これには理由があった。 「まあ実際には、公式な旅券(パスポート)や長期滞在許可証はオーべラルを出国する際にあちらさんから手渡されましたが、この際、それなしで芙蓉国内に入り込むことが出来るかどうか試して欲しいと艦隊司令部から依頼されましたからね」 「Gave me a lot of money(手間賃はずまれた)」 「一銭たりともあたしの懐には入りませんでしたけどね」 「Because I was asked to work(それは依頼されたのがあたしだから)」  ロリは成功の証として、軍港の外の指定の場所に一枚の絵葉書を届けるよう義務付けられている。  そこで絵葉書と引き換えに、報酬である現金と交換できる仕組みとなっていた。 「大事に使ってくださいね。この国ではその程度(オーべラル換算)の金額でも四人家族が半月は楽に暮らせるお金なのですからね」 「Yup(うん)」  わかった大事に使う。と、ロリは素直に応じた。 「では仕事を始める夕方頃までゆっくりしますかね」 「turn in(寝る)」 「あたしもそうしましょうかねぇ」  ロリは小さな身体をパタンと鋼製組み立て式の簡易ベッドに倒れ込み、毛布にくるまってすぐ眠りにつき、惣太郎もこれに(なら)い別のベットに横になってこちらも安らかな寝息を立てた。  今度は彼ら二人にとって、昼寝ならぬ朝寝を楽しむには丁度よい頃合いであったのだ。  
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