ステラ・マリスはポケットにいれて

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◇ 「長らくのご乗車、誠にありがとうございました。終着駅、ステラ・マリスに到着です」  髭の車掌さんが、恭しく挨拶にきた。あたしは微笑んで、ずっとポケットに入れていた月長石を大事に差し出した。 「ここまでありがとうございました」  あたしの言葉に車掌さんはほんの僅かにさみしげに首を振って、月長石を優しく撫ぜる。ずっと灯っていた青の炎は瞬きもせずに消えた。 「お足元、大変やわらかくなっています。ご注意を」 「はい」  車掌さんが手を差し伸べてくれたので、あたしはその手に自分の手を重ねてステップをゆっくりと降りた。  ああ――  潮を含んだ、水の匂い。懐かしい星の香りが身を包む。  降り立った足元では波紋がどこまでもやさしく二重、三重に広がっていく。  ステラ・マリス。――海の星。  それはたぶん、もうひとつの地球と同じだ。遠い昔、船乗りが航海の目印にしていたと言われているこの星は、どこまでもどこまでも、やさしい海が続いている。  トン。トントト……トン。  リズムを変えて歩を進めると、水面は可愛らしい旋律を奏でる。暗い宇宙の中に漂う見渡す限りの青の地平へ、音は際限なく広がっていくばかりだ。その音楽の中に、また、ポオっと透き通った音が割り込んでくる。顔を上げると、真っ赤な星間汽車が宇宙へと飛び立っていくところだった。  星になって消えて行くその姿を見送ってから振り返ると、懐かしい顔があった。  海と同じくらい。大地と同じくらい。風と同じくらい。懐かしい顔が、地球と同じ優しさで微笑んでいた。 「まさか本当に来るとは思わなかった」  星屑がなるシャララという音にさえ紛れて消えちゃいそうなくらい、その声は小さくて。だから消えちゃう前に近くで聞きたくて、あたしは彼に飛びついていた。  水滴が跳ねる。  ぬくもりが伝わってくる。触れ合うこと。そのあたたかさを、感じた。 「来たよ」 「うん。ありがとう」  ステラ・マリスは海と同じで、すべてを包み込む星だ。あたたかい。  少しだけ離れて。ちょっとだけタレ目がちな大好きな顔を見上げて、そっと唇を開いてみる。 「ねぇ。今なら訊いても答えてくれる?」 「うん」 「あなたは何を望んでいたの?」  星屑の音の中、彼はしばらく黙って佇んでいた。それから、ほんのりと顔を赤らめて、困ったように笑った。 「君とずっと一緒に居たかった」 「――え?」  目を瞬かせる。  すると彼は、ステラ・マリスの海の上で、最初はくすくすと、やがて大きな声で笑い始めた。 「だから、やめようと思ってたんだよ。ここに来るの。星間汽車見送った後のことまで考えて色々してたのにさ。押し込められるとはなー」 「ちょ、ちょっとま、まってまって」  唐突な打ち明け話に、あたしは何を言えばいいのか判らなかった。  なに、それ。  待って待って。  それってつまり―― 「あたし……」 「早とちり」  ピンッとおでこを弾かれた。痛い。痛いけど、泣きたいのはデコピンのせいじゃない。じゃあ、なに? この、離れ離れの二年間は無駄だったってこと?  泣き出しそうに顔を歪めたあたしに、彼はそっとくちづけた。 「二年。会えなくても、離れていても、気持ちは変わらなかった。それを知れたのは、すごく大きいって思うからいいんじゃないかな?」  それに、と。悪戯気な笑みを浮かべる。 「君は、ステラ・マリスまで来てくれたから」  ――ああ――  そうだ。思いから思いへ渡る、一番強い願いの結晶、ステラ・マリスへの切符。月長石を手に、青い炎を灯らせてあたしはここまできたんだ。  ただ、あなたに会いたくて。  黙り込んだあたしを見ていた彼が、そっとポケットに手を入れた。何かを取り出す。 「それ……?」 「二年前に渡せなかったもの。時効じゃなければ受け取って?」  それは小さな瓶だった。可愛らしいまあるい形の瓶に、こんぺいとうが詰まっていた。  きらきらと、ステラ・マリスの光を受けてきらめいている。  よく判らないまま、あたしは瓶の蓋を開けた。手のひらに傾けて、こんぺいとうを数粒だして。  そこで、あたしはまた動きを止めてしまった。  手のひらに転がりだしてきたのは、星粒によく似たこんぺいとうと、それから――  ちいさな星を宿した、銀色の指輪。  顔を上げる。  照れくさそうに、彼が小首を傾げていた。腕を広げてくる。  愛しさが、胸をつきあげてくる。  なんて周り道をしたのだろう。なんて馬鹿馬鹿しい茶番劇だろう。だけれど。  こんぺいとうが跳んだ。  水面に波紋が広がる。  やさしい旋律が広がる。  あの星と同じ香りが広がる。  ステラ・マリスの海の上。  二年分の、それ以上の、優しさと願いと思いをこめて。  あたしたちは強く、強く、抱きしめあった。  どこか遠くで、ポオ――と、星粒の吐かれる音がした。
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