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イースターホリデーが終わりを迎え、日常の風景が街中や二人が勤務する病院にも戻って来る。
その病院の廊下を掃除しているメンテナンススタッフの女性に声を掛けたのは、連休明けの仕事は辛いと全くそうは感じさせない笑顔の慶一朗だった。
「ハロゥ、ジーン。連休はどうだった?」
「あら、ドクター。楽しかったですよ」
ドクターはどうだったと背後に研修医のアンディを従えた慶一朗に問いかけたジーンは、デイキャンプに初めて行ってきた、楽しかったと笑顔で返されてそれは良かったと頷く。
「さー、今日からまた頑張って働くか」
「ドクターも手術、頑張って」
「サンクス、ジーン。あなたに応援してもらえたから今日の手術はパーフェクトだな」
まだ理解出来ない顔で苦笑するアンディを肩越しに振り返った慶一朗だったが、そろそろ手術室に向かうかと伸びをすると手術室がある廊下へと歩いて行く。
「今日の曲は何にするかな」
手術の終わりの前、儀式のように音楽を慶一朗は手術室に流すのだが、それを何にするかと呟いた時、廊下の向こうに遠目でも誰だか判別できる巨体を発見し、その隣に幼い少女を抱き上げる彼と似たような体格の男性を発見する。
「アンディ、先に行ってろ」
「え? あ、はい」
その二人が何を会話しているのかが気になるというよりは男の腕の中で屈託なく笑う少女の笑顔に引き寄せられたように大股に近寄った慶一朗は、鍛えられている肩に背後から腕を乗せ、ハロゥ、リトルプリンセスと会話に割り込む。
「ケイ?」
「モーニン、プリンセス・エミリア」
「……ドクター・ユズ、お久しぶりです」
満面の笑顔の少女が嬉しそうに慶一朗に手を伸ばし、その手を取って軽く握手をする姿に少女を抱き上げた男性も顔を輝かせ、久しぶりですと笑顔で返す。
「エミリアの調子はどうですか?」
「あの手術の後からすっかり元気になりました」
今は幼稚園で友人達と毎日楽しく過ごしていますと、リアムがこの病院に勤務するようになって初めて担当をした少女、エミリアとその父の言葉に二人が顔を見合わせた後、心から嬉しそうな顔で頷く。
「それは良かった」
「本当にありがとうございました」
今日は定期検診に来たのだがお二人に会えて良かったと笑う父にエミリアも嬉しそうだったが、そろそろ診察に呼ばれるのでと丁寧に会釈され、二人も頷いて少女とその父を見送る。
少し前に救急搬送されて来た少年を救えず、己は役立たずだと嘲った慶一朗だったが、やっぱりお前は役立たずじゃなかったとリアムがポツリと呟き、その言葉が不思議な重さをもって心の中に落ちてくる。
「……そう、ありたいな」
「安心しろ、ケイ」
お前はいつでも誰かの役に立っていると言葉で背中を押し力を分け与えてくれるリアムに頷いた慶一朗は、ここが家ならばハグもできるしキスもできるが流石に職場でそれをする事は出来ず、だが感じた思いを伝えたい気持ちから、リアムがあの時手当をしてくれて今ではうっすらと傷跡が浮かんでいる手の甲を口元に押し当てた後、その手を鍛えられている胸元にトンとぶつける。
「……今から手術だ」
「そうか、頑張ってこい、ドクター・ユズ」
「ああ。ご褒美のランチボックスを期待してる」
周囲を患者やスタッフらが通り過ぎる中でひっそりと二人だけが分かる会話を交わし、それぞれ手を挙げて背中を向けあって自分達を待っている場所へと向けて歩き出す。
慶一朗が手術室に入るとスタンバイをしていたスタッフらが口々におはようと挨拶をし、それに一つ一つ返した後、気分を切り替えるように一度眼を閉じた慶一朗は、さぁ、今日もやるかと手術台で麻酔を掛けられて待っている患者に正対し、メスを手に取るのだった。
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