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ランチタイムに裏庭に出るドアを開けた慶一朗は、夏の終わりを迎えそうな空に目をやった後、木の陰になっているテーブルに先に腰を下ろしている背中を発見して待たせたと声をかける。
「ドクター・ユズがまた難しい手術を成功させたって噂になってるぞ」
「肩の荷が降りて良かった」
ニヤリと笑う愛嬌のある顔に不敵な笑みを見せた慶一朗が向かいに腰をおろすが、隣でなくていいのかと小さく問われ、あれは家で二人きりの時だけだと目元を赤らめつつ返す。
「今日のランチはバーガーだな」
「チキン? ビーフ?」
「肉ばかりじゃなくて野菜も食え、ケイ」
二人分のランチボックスを開けてバンズとトッピングの野菜やチキンを広げたリアムは、飲み物はお前が淹れてくれたコーヒーだと片目を閉じる。
「自分が好きな味のコーヒーは冷めても美味く飲める」
だからポットに入れて来たが多少冷めていても大丈夫と笑い二つのコップにコーヒーを注いだ慶一朗は、先日二人で決めた約束がこうして守られている事が嬉しくて、トマトを挟んでくれても良いと告げ、まるで己の専属コックのようにリアムを見れば、見られた方も仕方がないと言いつつ希望通りのものを挟んでいく。
「今日の仕上げの曲は何にしたんだ?」
「ん? エミリアに会ったから今日はあの時の曲にした」
慶一朗が朝から臨んだ手術はリアムの言葉通り難しいものだった。
今までならばそんな難しい手術の後は気分を切り替えるためにハードロックの曲を流していたが、今日慶一朗が選択したのはエミリアが好きだと言っていたアニメのテーマ曲だった。
新しい世界を見せてあげると歌うそれは手術を頑張った少女へのご褒美にとリアムが希望した曲だったが、今日の手術の後、慶一朗が自然と思い浮かべた曲でもあった。
まさか自分がアニメの曲を流す日が来るなんてとおかしさを感じた慶一朗だったが、歌詞の内容に意識を向けた時、リアムと初めてここで出会い、手術の見学をさせた時に自分達の前で新しい世界の扉が開いたのだと気づく。
医師としては優秀だが日常生活においては生活不能者とすら言われてしまうほど何も知らない、出来ない己を呆れるでも叱るでもなく受け入れてくれる、そんな人がいる世界など想像もしていなかった。
リアムに出会うことで開いた新たな世界への扉。
それを後方に振り返った慶一朗は、ほらと差し出されるバーガーと声に我に返り、どうしたと目を丸くされる。
「プリンセス・エミリアに感謝だな」
「ん?」
意味がわからないことをまた突然言うと眉を顰めるリアムに小さく笑った慶一朗は、自分のために作られたバーガーを手に取り、いただきますと小さく日本語で呟くのだった。
二人の頭上、夏の終わりを迎える寂寥感を与えない雄大な雲が風に乗ってゆっくりと形を変えて流れていき、その雲が作り出す陰と木々の間をわたる風の音に、二人誰にも邪魔をされずに過ごしたイースターホリデーで初めて体験したデイキャンプを思い出してしまい、またキャンプに行きたいと慶一朗がポツリと呟けば嬉しそうにリアムもまた行こうと頷く。
そして、仕事が終わって一日の終わりを迎える時、日によってリアムの部屋になったり慶一朗の部屋になったりはするが、あの日交わした約束の通り、同じベッドで朝を迎えるのだった。
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